interviewてつぷらな人々 #1 綿内真由美さん
哲学プラクティスに関わっているのは、どんな人々なんだろう? 哲学プラクティスに関わる人のこれまでやいま、これからについて、その考えについてもっと知りたい。
そんな想いから「#interviewてつぷらな人々」シリーズをはじめます。
今回は、高校教員としてこどもてつがくを行っている綿内真由美さんにお話を伺いました。
それって「こどもてつがくだよ」と言われるまで、自分が「こどもてつがく」をしているとは知らなかった
-アンケートで「特別支援教育を念頭においた学びのユニバーサルデザインの一例として発表」したところ、土屋陽介さんから綿内さんの実践は「こどもてつがく」だと教えてもらった、とご回答いただきました。「それって“こどもてつがく”だよ」と言われるまでご自身がやっているのがそうだと知らなかったというのが興味深かったです。
そうなんです。そこで「こどもてつがく」と出会って、今に至ります。
-土屋さんとは以前からお知り合いだったんでしょうか?
信州大学人文学部に、かつて基礎人間学専攻という、哲学を学ぶ場がありました。土屋陽介さんはそこでの先輩なんです。在学当時はお互い知らなかったのですが、あるとき、哲学懇話会の発表者として、卒業生である土屋さんと私が呼ばれ、そこで初めてお会いした、というかお会いし直しました。
-そのときも、高校の教員をされていたんですか?
はい。2004年から教員をしています。倫理で採用されたんですが、最初に行った諏訪湖のほとりにある南信地区の高校では授業開講科目の中に倫理がなく、日本史や他の科目をやっていて。倫理をやるようになったのは、望月高校に転任した後の、2011年から。その哲学懇話会で発表したのもそのときのことです。
学校ではちょうどそのとき、文科省の特別支援教育の指定を受けていて、特別なニーズをもつ子どもたちや、様々な理由で生きづらさを抱える子どもたちへの支援に力を入れていました。私のクラスにも、いわゆる「診断名」はないんだけれども特別な支援は必要だな、生きづらさを抱えているなと感じる子たちがいっぱいいました。
-「支援が必要」というのは、たとえばどのようなことでしょう?
たとえば、最初は「学校に来たいけど来れない」というのが1つの集団としてあって。「学校には来れるけど授業中ずっとふせっちゃう」とか、なかなか50分というのは長いので、50分間をうまくのりきれないというのが2つ目のタイプとしてあり。それと「授業に50分のっているんだけれども理解がなかなか難しい」というタイプが3つ目かな。あとは、「家庭がすごく難しい状況にあり、たとえば保護者も生きづらさを抱えていて、本人たちも健康や生活そのものにちょっと困難を抱えている」というのが4つ目かな。
たまたま私のクラスに、その4種類全部について困難を抱えてきた子がいたもので、他の先生たちに助けてもらったりしながら色々なチャレンジをしていました。
ちょうど私が望月高校にいたころは、2007年から高校の特別支援教育が文科省で始まっていての2009年だったので、先駆け的な部分もあり、「ちょっと色々やってみて」という感じがあったんです。学校全体でも佐藤学先生の「学びの共同体」とか、「学びのユニバーサルデザイン」とかも取り入れていました。「学びの面で子どもたちの生きる力を一緒に育んでいければいいなあ」ということと、「社会に出てから何とか自立していってほしい」というところで「色々な場所とつなぐ」ことを大事にしていましたね。
望月高校の子たちと出会って、何か一緒に考えたいし、一緒におもしろがりたいなと思った
-望月高校での出会いから、そうした学びに関心を持つようになったんでしょうか?
もともと、望月高校に行く前から、そうしたことへの関心はあったんです。なんだろうな、自分は「なんだか教員になっちゃった」んだけど、自分も学校時代にすごく学校が生きづらかったというのがあって。学校に来たら「ひとこともしゃべらないで帰ろう」みたいなところが自分の中にあったんですよね。でも、それが苦しかったから。やっぱり学校に来て「ちょっとしゃべってみる」じゃないけれど、子どもが自分で何かひとこと言ってそこから何かちょっと「おもしろい」と思えるような、そういう授業ができたらいいなということは思っていて。それで、「倫理」っていうのは哲学者のことばとか人生とかがあって、そういうことができる科目だなと考えていたんです。
ただ、最初5年間はチャンスに恵まれなくて。転勤して望月高校の子たちと出会って、何か一緒に考えたいし、一緒におもしろがりたいなと思って。倫理の時間もやらせてもらえることになったし、子どもたちが話してそこからまた何か考えていくという時間がもてたらいいな、みたいなことで、やってみたという感じです。
私はやっぱり望月高校が、自分がすごく生かされたし、とても楽しかったな、またやりたいなという思いもあります。今はなかなか哲学対話をする時間も場所も取るのが難しくて。
-望月高校では、他の先生方も「子どもたちが自分でちょっと話せて...というところが大事だよね」というような部分を、共有してくださっていた感じだったのだろうなと想像しました。
本当にそうでした。私が来る前に佐藤学先生の「学びの共同体」で言われている「グループ学習」というものを学校全体で共有してやっていたという流れもあって、「子どもたちが自分たちで話し合って考え合ってみたいなことを大事にしよう」という土壌がもうできていた。
でも、私や子どもたちをいちばん助けてくださっていたのは、実は教員だけじゃなくて、支援員の方たちです。困り感を抱えている子どもたちのそばに寄って、一緒に授業を受けてくれていたり、私のホームルームにも入ってくださったり。退職された養護教諭の先生だったり、地域のサポーターの方だったり、病院の関係で支援に加わってくださっている方だったり、そういう方々が本当に子どもの声をよく聞いて、子どもたちと小さい声で色々話をしながら授業に向かわせてくれていたというか、その場にうまくいれるようにサポートしてくれていたというのがありました。そこから学んだことが私はすごく大きかったです。
プレイフルな場づくり
望月高校では、「楽しい雰囲気」も大事にしていました。学校って楽しくないので、何かちょっとほっとできるというか、おもしろがって色々話したりできる場になればいいなあと。社会科資料室という部屋が独占できたので、やりたい放題(笑)。張り紙をしたり、本を置いたり、ぬいぐるみ置いたりしていましたね。以前、豊田光世先生に「すごいプレイフルだよね」と言っていただいて、とても嬉しかったんです。
子どもたちが遊ぶ時って、それぞれ遊ぶじゃないですか。一緒に遊ぶ人もいるし、各々何かやってる人もいるしっていう、何かそういう感じでのプレイフルということがあればいいなあと思っています。だから、学校なんですけど、対話をする時には机とか椅子とか取っ払って、レジャーシートを敷いて、「そこに寝転がってもいいし、レジャーシートの上にいてもいいし、出てもいいし、聞いてるだけでもいいし、話してもいいし、自由に、とにかくそれぞれのスタイルで参加してもらえればいい」ということは子どもたちに必ず伝えるようにしていました。
鉛筆や紙や黒板っていうのは、教員にとってやっぱり武器というか、防具なんですよね。そういうのがあると安心しちゃう。
でもそういうのをなくして、「何も分かってないんだな」っていう自分でいる。そういう自分なんだから「ちょっと一緒に考えてくれない?」みたいなことを子どもたちに言ったりとか、そういう場にしようと考えていました。
まず私が丸腰にならないと、子どもたちも丸腰になっていかないんですよね。自分が丸腰になって子どもたちと一緒に、最初のとっかかりとしては楽しさとかこわくないよっていう安心感みたいなものをつくる。そういう意味で、まずは自分がはだかんぼになろうという決意はしていますね。
-学校の先生のなかには、生徒さんの前で丸腰になるのは怖いとおっしゃる方も少なくありませんが...
自分も、輪に入るっていうのはすごく最初は…今もなんですけど、ちょっと怖いっていうか。自分が口下手だし考え下手でもあるから、「そういう輪に入ってどうなっちゃうの?」という不安が先に立っちゃっていました。
輪になる前は、佐藤学先生的に席4つを合わせてグループ学習みたいにしていました。子どもたちがたとえば「恋って何?」みたいなことを話し合って考えて、その中で一番納得した答えを挙げてもらって、私はそれを板書しみんなにシェアして、それをまた個人でちょっと考えてねみたいな時間を取り、終わるという感じにしていた。だから、私はその「考える」の外にいたんですよね。「こういう考えがあるんだ、すごいね、おもしろいね」「子どもって本当にすごいな、おもしろいな」みたいなことは思っていたけれど、それだけだったんです。
だけど、輪に入るとそれじゃすまないというか、一緒に考えないといけない。じゃあ、自分が「恋って何?」ということに対して何が言えるかといったら、何も言えないんですよね。何も言えないっていうことに、やっぱり気づいた。分かっていたから怖かったんだと思うんだけど、改めて輪に入った時に、質問も浮かんでこないし、何も自分が語ることがないということを気付かされ、「これはいけない」というか、いや、いけなくはないんだけども「こんな人生つまんない」というか、もっと自分の言葉で話せたらいいなと思うこともありました。そういう「輪になる」スタイルというのは望月高校では、高橋綾さんが来て3.11の震災に関する対話のビデオを見せてくれて、そのときはじめて子どもたちと輪っかになって話すような場をもつ、というのが初めてだったんです。そこにいさせてもらって、そういうことにすごく気付かされ、「ああこのままではいかん」と思ってそこからはもう輪になって、それで自分も輪に入っちゃっているんですけど。うん、だから「先生」じゃなくなることの怖さとか覚悟、というのはありますね。
みんな違うものさしで色々なものを見ながら生きていることに気づいて、おもしろがれるといいな
-「学校でやる」と言った時、授業の中でやる時などは特に、何かの「理解を深める」といったことを期待して子ども哲学を取り入れる人もいると思います。綿内さんは、「子ども哲学をやろう」と思って始められたわけではないですが、そういうことをやっていくことでどういうふうになればいいなと思っていらっしゃいますか?
最近、中学生の体験授業で「悪人ってどんな人?」というテーマでやったんです。その時の感想で、一人の子が「自分にとってすごく難しい時間だった」って書いていて。「隣にいる人が、違う世界にいるように思えた」って。自分もその時、「違う世界にいるんだよね」っていうことを、改めて考えさせられました。うまく言えないけど、同じ世界にいるんだけど、みんな違う世界を生きているというか。違う価値観だったり、違うものさしで色々なものを見ながら生きていて。だから、何かそういうことに気づいて、それを「あ、そうなの?!」っておもしろがれる。「あ、そういうふうにも見れるのね」みたいなことをちょっとお互いに、うまい言葉じゃないかもしれないけれど、尊重できるというか、ある程度認め合えるというか。何かそういうこと…そういう感覚というのか力とかが、自分の中にも、子どもたちの中にも育っていけばいいなあ、と思ったりしています。
※学校外で子どもやおとなとてつがく対話を行うことも‥‥。上の写真は小布施町の古民家で行った、てつがく対話の様子。
大きな学校の中での、小さな試み
今、私がいるのは、北信地区にある生徒数1000人規模の大きな学校です。高校3年生だけ「倫理」が奇跡的にあるので、4月〜7月くらいにかけて、4講座でそれぞれ3回くらい哲学対話をさせてもらっています。長野県立大の馬場智一先生に来てもらったり、信州大の先生に入っていただいたりもしています。望月高校みたいに毎回できるわけじゃなくて、たとえば「倫理」に「思想の源流」というパートがあるのですが、そのパートが終わったときに自分たちが疑問に思ったことを書いてシェアしたなかから多数決で選ばれた問いについて話す、みたいな感じです。たとえば「なぜ恋をするの?」「よく生きるってどういうこと?」とか。でも2021年は新型コロナウイルスの影響で、2回しかできませんでした。
あと、「世界史」や「現代社会」でも、ぽつぽつと、定期テストごとくらいに機会を見つけて哲学対話をやっています。日々の授業の中でも新聞記事なんかを取り上げると、子どもたちが「こういうこと、どうなってるの?」と聞いてきたりすることもあるので、そういう時は、いわゆる「40人のぎっしり詰まったクラス」でも子どもたちの声は大事にしたいと思って、色々な声を拾ったり繋いだりしてみています。
「対話の時間」じゃなくても、少しずつやっていけたらいいなと思って。また、司書の先生の働きかけや私の授業をきっかけにして、図書委員の子たちが自分たちで読書週間やに「哲学カフェ」を開いてくれていて。そういうのはすごくうれしいしおもしろいなと思います。
今の「学校」の「私の授業」だけだと限界があるので、子どもたちが色んな場所でやって、ってなっていけばいいな。授業だけじゃなく、話ができたりする場があればいいなと思っています。
あと、学校に来ても教室に入れず、別室で勉強している子たちが何人かいるんですね。そういう彼女ら彼らの思いみたいなものを一緒に考えたり、共有…共有は無理かもしれないけど、話をする中で広げたり深めたりする、そういう時間とか場ももてたらいいねっていうのは、生徒支援部の先生と、今後の展開として話したりしています。
-今の綿内さんが今の学校でされていることも、色々な人の参考になりそう。みんなが望月高校みたいにできるわけじゃないから、「それならいけるかも」というのが今のお話の中のどれかにはあるかもしれないと思います。
(聞き手:てつぷらマガジン編集部)