手に握る色の数が
あの時、わたしの手に握られていた色は
ごくごく僅かだったのだと、
そして零れ落ちていた色たちは
元々わたしの手にあったものだと
ようやくそう気づけるようになったのです。
◇
こんにちは、こんばんは。
お久しぶりです。あるいは初めまして。
明日の仕事は午前中から、
しかも病み上がり(インフル大流行)だと言うのに、
書きたい衝動に駆られてしまいました午前3時前。
ここまでの道のりと、この先への不安と、
それでも前に進んでみたいと思っている話。
◇
最後にnoteに顔を出したのは7月の末ですね。
それから4ヶ月弱。
職場で流行した感染症のビッグウェーブに乗った以外は
無事にきちんと休まず仕事をしています。
今の職場は20代の子も多く、
ようやくいい距離感になってきました。
社会人になってからは同世代に恵まれなかったのでとってもうれしい…
空白となってしまった1年半、
同居人が帰ってくるまではずっと一人で部屋に引きこもって
まるで彩りのない世界を死んだように生きている
そんな気分でいたのだけれど、
人との関わりはそれだけでわたしの世界に色をつけてくれて、
優しさや楽しさを感じられるごとに
あぁ、今は死ぬ時じゃないんだ
そう思えるようになったのです。
職場の人と同じソシャゲにハマってみたり、
久しぶりに好きな人が出来たり、
推しのイベントやJUMPのライブに行ったり、
少しずつ、少しずつ、
わたしの手に色が増えていく。
これがどれだけ幸せなことなのか、
そしてやはりわたしはうつ状態だったと
双方を真正面から痛いほどに投げつけられる。
あぁ、前に進んでいるんだと
立ち止まって、しっかり休んだことも
きちんとわたしの足を支えてくれてるのだと
ふと思い出しては、嬉しくなる。
ただやっぱり、不安はなくならない。
またいつかあの時のように、
苦しくて消えたくてどうしようもない
そんな自分になってしまうんじゃないかと
でもそんなのは心配したってどうにもならない。
そのときはそのとき考えよう!
本当の本当に死にたければそうしたっていいじゃないか!
そのくらいふわっと考えることにしたんです。
ただひとつ、今の生活に問題があって…
それが「同居人と生活リズム合わなくてしんどい」問題。
部屋がほぼワンルームなのが悪いのだけれど、
まぁ色々ちりつもなこともありまして
同居を解消したいんですよね。
元々、実家を出たいという理由も
「他の人の生活に合わせて、気を使って生活するのが嫌だ」
というのが根本にあって。
そりゃ嫌にもなりますわな。
そんな話を友人にしたら
「じゃあ、元のを。に戻っただけなんだね」
と。
なるほど。確かにそうかもしれない。
零れ落ちたものをようやく拾えるようになったんだ。
今のわたしなら、虹は描けなくても
小さな花束なら描けるんじゃないだろうか。
どうかこの花束、見守ってくれている
あなたの心に届きますように。
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最後まで読んでくださり、ありがとうございます! コメントもいつでもお待ちしております。