見出し画像

性格も価値観も覚悟だってぜんぶ言葉に出てる。

慣用句、名は体を表す。

言わずもがなではありますが、名はそのものの実体を表している。名と実は相応ずる。という意味です。

言葉には、それほどまでに力があります。言霊とはよく言ったもので、サッカー日本代表の久保建英選手のインタビューは、惹きつけられました。

普段ならありえないシーンで外した焦りを冷静に分析し、試合中に切り替えて、自分を鼓舞しながら、最後には結果を出す。

試合の中で自らを鼓舞した『決めるとしたら今日は自分しかない』という言葉が覚悟であり、未来を手繰り寄せるフックでした。

久保くんさんと呼ぶツイッタラーを見て、膝を打ちました。違和感は心に響かせるフックでもあります。

″名前″は体を表す

名には実体を表す力があります。
その人の名前にも人となりが滲み出てくる、と僕は思います。

なぜ、そんなことを思ったかというと、通っていた企画メシという連続講座を主催する電通のコピーライター阿部広太郎さんが書いた『それ、勝手な決めつけかもよ?』を読んだからです。

読むと、印象的なタイトルがありました。

『名前は子どもへの最初の贈り物であり、そこには願いが込められている。』

さて、自分の名前はどうなっているだろうか。

僕は散らかすのが得意です。片付けるのが苦手です。何かと始めるのは得意でしたが、後片付けは苦手でした。あと、長続きしません。

僕の名前は、拓哉と書きます。
拓は、未開の土地を切り開くという意味があり、哉には、始めるという意味があります。

つまり、名前からもう始める人なのでした。

ちなみに、哉は、漢文で疑問の助字として使われる漢字でした。『〜だろうか?』という意味がある言葉です。僕が会話をしているとだいたい返答は、『いや、』から始まります。直したい口ぐせでしたが、ようやく理解しました。
名前から体を表されていたのだと今気付かされました。

始める人と終わらせる人。

物事には始めると終わらせる人がいます。
両方が高水準の人はいません。数年前から終わらせる人は、広がった風呂敷を綺麗にすることから、畳み人とも呼ばれます。

肌感ではありますが、始める人はいます。しかし、綺麗に畳め切れる人は中々いません。

むしろこの時代だからこそ、畳み方がわかっている人が強いと思います。
完遂力がなければ、始めてもスケールしません。

始めるのが得意な人が、終わらせることまでできるようになれば、その人の評価はぐんと上がります。

誰しも得手不得手がある中で、なかなか両立できる人はいませんから、だから畳み人がいます。
自分は、始めたがる人だと思います。
特性を理解した上で、自分のやれることをしっかりと見つめてやっていきたいと思います。

いいなと思ったら応援しよう!