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僕が料理人をやめて、仕掛け人になった理由。

2020年12月7日月曜日、14時。
ミシュランガイド東京2021の掲載店発表はオンラインだった。

仕掛け人としてシェフにスマホを向けながら動画を撮影していた。



思えば、1年前は料理人だった。




僕が書くことに特別な意識をし始めたのは、小学生の頃だ。詩のコンクールで表彰されたのが始まりだった。

足が速いわけでも、勉強ができるわけでも、歌が上手いわけでもない。

何か特別なものを持っているわけではない。
自分ではよくわからないが、愛嬌だけは良いと言われる。

あの頃の僕は、書くことが好きでも嫌いでもなかった。

ただ、恥ずかしいと思いながらも出した詩が誰かの目に付いたことは事実だった。

30歳までに何か武器を見つけたいと思っていた。
そして、もしかしたら料理がそれに値するかも
と思い立ち、プロの世界に足を踏み入れた。

料理は好きだった。
しかし、そこでも自分が何か特別なものを持っているわけではないことは痛いほどわかった。

『自分が好きなことの先に喜ぶ人がいることは、人生をかけてやるべきことだ』と自分自身に呪文のように唱えながら、料理を作っていた。

調理場は、戦場であった。
刻一刻と変わるシチュエーション。
必ず守るべきところと未来のために攻めるべきところ。

一発勝負のプレッシャーが、どうやら僕は苦手だ。

それでも料理は好きだった。


できないことが少しずつできるようになり、ダイレクトに自分が作ったもので誰かが喜んでくれるのは、かけがえのないことだと思う。


だからこそ、ある日のまかないで言われた一言は、忘れられない。

「やっぱ、お前は料理じゃないな。」

吹っ切るきっかけは、親子丼だった。

料理人なのか、料理が好きな人なのか

僕は料理人をしながら、noteでsioのイズムについて書いていた。


それがいつしか、逆の生活になり、週に一回キッチンに立つ以外は、伝える・広げる・届けきるために書く仕事をメインでしている。



キッチンに立っているある日、まかないで親子丼を作ることになった。



親子丼はとろとろの卵、ぷりぷりの鶏肉、クタクタなのかシャキシャキなのか玉ねぎはお好みでいいだろう。甘じょっぱいまったりとしたあんをごはんと一緒にかきこんだら、山椒がふわっと香る。

僕のは、甘じょっぱくなかった。しかも2回とも。しょっぱいことを恐れた僕は、親子丼を攻めきれなかった。

料理は想像力だと、シェフはよくいう。

そして、相手を満足させて想像を超えるには必ず技術がいる。技術は、死ぬ気でやれば80%のところまでは身につく。
しかしその先はある程度センスがいる、と。


僕が何度も味見をしてもわからないことも、分かる人にはわかるのが現状だろう。

僕自身も肌感で分かっていた。
そうだよ、80%側の人間だ、と。

それでもやっていきたいと思う気持ちもあった。

だけど、圧倒的な存在との出会いはとてもとても大きかった。

もはや、これはレクイエムとも言えるのだが、
僕に残っていた少しの期待は無惨に散ったのだ。

それはちっぽけなことだったのかもしれないが、僕には大きなことだった。

普段は割と意外にもオブラートに包むシェフはあのときはなぜかはっきりと僕に言っていた。


結局、僕は料理人を卒業した。

あれは、シェフの優しさだったのだと今は思う。

やりたいことに才能がない、そのあとに

同じことをやらせても、上手くいく人もいれば上手くいかない人もいる。

上手くいかないことが悪いわけではないが、評価されるわけではない。

期待されたことに対して結果を出せる領域が何かを見極めることは重要だとようやく気づき始めた。

やりたいこと至上主義もいいが、今冷静になって考えると大事なことは、自分のことをよく知ることだ。

客観的に見れないなら周りの人にハッキリ言ってもらうのも一つかもしれない。

料理は好きだから、これからも何らかの形でやり続けるだろう。


でも、自分を客観的に見て、冷静に判断して、自分を飼い慣らす選択も大事だと思ったし、何より人に貢献できることを積み重ねていく方がいいと思ったから、意外にも料理人はスッパリやめれた。

いつまでも駄々っ子じゃいられない。

僕は書くことが、人の役に立てることだった。
(もしかしたら、また違うのかもしれないけど)

僕にとって書くということは、不思議な存在で、その時間が何よりもワクワクするというよりは、やりがいを感じる。

やりたいことと、ワクワクすることと、役に立つことがマッチしたら、そのミラクルに感謝して突き進めばいい。

違和感があるなら立ち止まってみるのも一つの手だ。

あきらめの悪さが生む強さもあれば、あきらめから生まれる輝きもある。


料理人をやめてから、より文章を書き始めた。
僕の文章を読んだ人から、たくさんの感想をいただく。
それがなによりの答えなんだと思う。

実際、これまで自分がやってきた活動は、ホーム戦が多かった。自分の友人や知人が喜んでいた。

しかし、この書くことは、もちろんsioを通してだが、自分が知らないところにも広く届いて、たくさんの反響を頂いている。

僕が働く会社は、1番輝けるポジションが見つかる。
それは僕だけではない。
SNSでクスッとさせるのが得意な人もいれば、対面して褒めるのが上手な人もいる。

真面目な人も、抜けてる人も、シュールな人も。
それぞれが違う特性を持ち、メインの仕事とその人にしかできない仕事を持ち始めている。

ソーシャルインパクトがあることをやりたいなら、何者かになることはかなり重要だと最近思う。

何者かになるということは、武器を持っていることだ。

武器の等価交換でしか対話ができない人たちもいる。
そして、その人たちとしかできないことは、ソーシャルインパクトがあることだと思う。

だから、自分が他者との関係の中でこれは武器になると確信を持てることにコミットするべく舵を切ることは重要で、そのためにはまずは自分を理解しやりたいことではなく貢献できることを探すことが重要だ。

自分は魔法使いなのに、剣を持たせてはいけない。


ミシュランの発表を経て、一年前を振り返ったら、思わず長くなりました。

僕は、元料理人。
今は、仕掛け人。

この会社に入ったからできた、僕にしかできない仕事。

もう後がないと思いながら始めた料理人をステップにして、僕にしか伝えられないことを届けていきたいと思う。


シェフが丸亀製麺の親子丼を食べながら、これなんだよなぁ、と話す。

何の変哲もない親子丼かもしれないが、僕にとっては一生ハッとさせられる料理だ。

#私の仕事 #sioのイズム #仕掛け人 #料理人 #私のお店 #創作にドラマあり

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