父の日に父のことを書いてみる
私の父は、私が24歳の時に他界した。
60歳だった。今思うと、結構若いと思う。
私は、父親と過ごした記憶が正直あんまりない。
母が公務員だったため同じ地域から動くことができず、
私が幼い頃から父は単身赴任をしていた。
帰ってくるのは月に1〜2回程度。
だから、「父が家にいる」のは私にとっては特殊な状況だったし、
そんな父親に対して「可もなく不可もなく」というのが正直な感覚だった。
でも、私が大学生で町田に住んでいたとき、たまたま父も横浜に転勤、兄も横浜に住んでいて。
逆に母だけ実家に単身でいる状況になっていた。
だからたまーに3人で飲みに行ったり、お正月に横浜から広島まで車で帰省してみたり、夏に甲子園を見に行ったりした。
あれ、結構仲良しかよ。w
なんか、幼い頃の思い出がなかった分、友達感覚で仲良くなれた気もする。
そして、私が社会に出たと同時に父は大阪に転勤になった。なんか、すごく絶妙なタイミングで同じ地域にいたんだなと思った。
働き始めて2年が経とうとしていた3月のある水曜日。仕事を終えると母からメールが入っていた。
「お父さんが心筋梗塞で入院しました」
病名の深刻さに、携帯を持つ手が震えてしまった。
電話したいのに、容態を聞くのが正直怖かった。
「HCUにいるものの、意識もあるし安定している」と聞き、少し安心した私は、次の休みの土曜日に大阪に行くことにした。
そうしてHCUに入院する父に会ったものの、変わり果てた姿に目を背けたくなった。
薬のせいで顔も体も浮腫んで、身体中に管が付けられていたその姿は、私の知っている父親の姿ではなかった。
それだけで涙が出そうになってしまったが、私の姿を見てにっこりと笑う父にそんなものは見せたくないと思って必死に堪えた。
HCUは面会の制限があるため、待合室で1時間待って、HCUで15分程度面会して、を何度か繰り返していた。
そうして待合室で待っているとき、看護師さんが慌ててやってきて、父の容体の急変を知らされた。
ドクターも複数名来ていて、緊急オペにもなった。
しかし、彼らが尽力して繋ごうとしてくれた命は、あまりにもあっさりと絶たれてしまった。
私は、父に親孝行のようなことは何もできていないし、感謝の気持ちさえ伝えられていたか自信がない。
どうしてその時になるまで忘れていたんだろう。
別れが訪れるのは突然かもしれないこと。
その時に、何も伝えられないかもしれないこと。
そんな当たり前のことを 父が最期に教えてくれた気がした。
今日は、父の日。
生きていたら孫の様子を報告できたかな。
何も贈ることはできないけれど。
届くといいな。
お父さん、ありがとう。