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見えない敵


2年くらい前まで、会社への通勤に六本木一丁目駅を利用していた。

オフィス街を象徴するように毎朝たくさんの人々が行き交う。

同じ電車に乗り会社に向かう”同志”の顔ぶれなのだが、もちろんお互いに関心を寄せるわけもなく颯爽と歩く。



そんな中で、私は60歳代くらいの”ある男性”のことを覚えている。

彼は四肢に麻痺があった。両手はおそらく動かせず、常にカバンは持っていない。片足を庇うようにゆっくり一定のリズムを刻みながら歩く。

彼はおそらく私よりも1本早い電車で来ていた。毎日、足早に駅を出た歩道で彼に追いつき、そして追い越していく。

特に気に留めることもない、そんな日々だった。



初秋のある朝、晴れていた空が一転し雨が降ってきた。私はカバンに常に持っていた折り畳み傘を開く。


ふと前を見ると、例の男性がいた。

雨の日は予めカッパを着ている。

しかし今日は予想外の雨だったらしい。半袖のワイシャツは肩から濡れ始めていた。

袖から伸びる華奢な腕の先には、何も握られていない手がだらりとぶら下がる。そんな彼を雨は次第に強く降りつけ、ワイシャツが身体に染み込んでいく。


私は迷った。


傘に入りますか?と声をかけるかどうか。


しかし、彼のオフィスがどこにあるかも知らない。

もし方向が違ったら私は遅刻してしまうだろう。


そもそも、声をかけることを迷惑に思われるかもしれない。


周りを見渡すと、サラリーマンが急な雨に濡れながら小走りしていた。


障害者だから 走れないから 気にかけるのか?

健常者だから 走れるから 気にかけないのか?


近くにコンビニは無いので、雨を避ける手段がない事は同じはずだ。


ここで手を差し伸べることは、正しいのか。間違いなのか。


そんなことを考えながら歩いているうちに 私は彼を追い越してしまった。

結局私は、真っ直ぐ会社に向かった。


濡れた傘を畳みながら、しばらくモヤモヤした気持ちが私の胸で渦巻いていた。


✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼


それから数日後、私はいつもの通勤路を歩いて会社に向かっていた。

半分ずつ溶け合った夏と秋の空気が風に乗って、颯爽と歩く私の髪の間を通り抜ける。


30メートルほど先にスーツを着た若い女性が見えた。足が痛いのか、歩調が周りの人達よりも遅いことは見てすぐにわかった。


私は また迷う。


カバン重そうだし声かけようかな・・・。

いや、でもあそこまで行くのは距離あるし・・・。

会社まで、あと数十メートルだし・・大丈夫か。



結局、私はいつものように道路をショートカットして、彼女の元へ行くことなく会社に向かった。



会社についてメールをチェックしていると、先程の女性は会社の人だったことが判明した。

というか、同じ部署の”違うチームの同僚”だった。


「なんだ、Aさんだったのか!声かければ良かったな・・・」


そう思ったのと同時に、あることを思い出した。


「そういえば、夏にバーベキューした時に「足が悪くて今後検査する予定」って言ってたな・・」


しかし、いつも通り周囲に明るく笑いかけるAさんを見て、きっと大丈夫だったんだろうと思った。




それから程なくして、Aさんを会社で見ることが無くなった。

出張に行っているのかと思っていたが、そういうことでもないようだ。


心臓が一瞬高鳴った。


嫌な予感がする。


何か、あったのだろう。


それからまもなく、彼女の上司からメールが回って来た。


メールには、Aさんとチームメンバーがランチをする写真が添付されていた。


そして、私の目に飛び込んできたのは、衝撃的な言葉だった。


Aさんは ”「ALS」という神経難病だった” という事実がそこに書かれていた。


ALSは、運動神経系が少しずつ老化し使いにくくなっていく病気です。 運動神経系の障害の程度や進行速度は個々の患者さんでみな異なっています。 知覚神経系は障害されないと言われています。 ALS患者さんは、長い間、発症後3~5年で生じる呼吸筋麻痺や嚥下筋麻痺で亡くなる病気とされてきました。


私は、人材紹介業の中でも「医療従事者」に特化した仕事だったので、ALSというワード自体は知っていたし、それが神経系の病気であるということも知っていた。

しかし、若くしてそのような病気にかかるのは、「ドラマの世界」だと どこかで思っていた。

人は不思議なもので、宝くじを買うときには「当たるかも」と思うのに

こと病気や事故などになると「自分とは関係のない」ことだと思ってしまう。


「10万人に1〜3人の割合」と書かれていたその病気でも、

本人からしてみたら「1分(ぶん)の1」であることに変わりはない。



私は、そのメールを見てから、ALSというワードを取り憑かれたように調べた。


どうか、最新の治療薬が出来ていて、どうか回復に向かって欲しいと願った。


でも、そんな私のちっぽけな希望なんて跳ね除けるように

検索して出てくる言葉は


「進行性の病気」

「今のところ原因が分かっていない」

「有効な治療法がほとんどない予後不良の疾患」


といった言葉ばかりだった。


他人事にしかなれない私が こんなにショックを受けている。


だったら、病名を知らされた時の Aさんの気持ちはどんなだっただろう。


考えても想像もつかない。


私は、「あの日、スーツ姿で足を引いて歩く女性に声をかけなかったこと」を心底後悔した。


きっとあの時は、検査結果を待っていた時期だ。


身体の自由を少しずつ奪われていく恐怖。

その原因も 病名も分からない恐怖。

結果が出ることは、それを知ってしまう恐怖。


その”恐怖”はどれほどだっただろう。


それでも、そんなこと微塵も感じさせずに、会社では周りを笑顔にさせるほど暖かさを振り撒いていた彼女。

そうしなければ、崩れてしまいそうだったのかもしれない。



私があの日、声をかけていても彼女の運命は変わることはなかった。


それでも、その恐怖と必死に戦って仕事に向かう彼女に 少しでも寄り添うことができたんじゃないか。


不自由になっていく身体で、ひとり孤独を感じていた姿に寄り添えたんじゃないか。


でも、私は、手を差し伸べることができなかった。

神様は2回も私を試した。2回もチャンスをくれていたのに。


私は、見て見ぬふりをした。



それっぽい理由をつけて、


「相手から拒絶されるんじゃないか」

「偽善者だと思われるんじゃないか」

「相手を傷つけてしまうんじゃないか」


そんな恐怖に負けてしまった。


手を差し伸べることが正しいこととも思わない。

見て見ぬ振りをすることが悪いこととも思わない。


でも、私はきっと

本当は手を差し伸べたかったのに 相手から拒絶されるのが怖かった。


だから迷った。


だったらもう、拒絶されてもいいから

自分が「こうしたい」と思った気持ちに従って動いたらいい。


それを拒絶するか、受け入れるかは相手が決めること。


だから、迷ったら手を差し伸べる自分でいたい。

”恐怖”という見えない敵に負けない。


そう、心に誓った。


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