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「何者かになりたい」それって最強にコスパ悪くね?
SNSの台頭により、令和は皆が「何者かになること」を渇望している時代だ、一億総クリエイター時代だ、なんてことを言う人たちが出てきた。
昔は偉人の言葉を聞きたいものなら、わざわざ図書館に行かないといけないし、わざわざ直接講演会に足を運ばないといけなかった。すごい人というのはせいぜい科学者だとか研究者、政治家で、すごい人になる方法はすごく限られていた。且つ、社会の主要領域は成人中年/老年男性が覇権を握っていた。
だが今はどうだ。
ネットテレビ、Twitter、Instagram、YouTube、blog、至る所で同年代のインフルエンサーが活躍しているところを、スマホを通して容易に見ることができる。
同じ20歳の女の子が年収1千万超えているのだ。何なら小学生までもお金を稼いでいる。全国、時には海外にまでたくさんのファンがいるじゃないか。
あれれ?私は?同じ20歳の私は何をしている?
学生起業をしたわけでもない、長期インターンでトップの成績を叩き出したわけでもない、有名なYoutuberでもない、SNSのフォロワー数が多いわけでもない、ちょっと響くんじゃないかと思ったことを呟いたところでせいぜい仲いい友達がいいねをしてくれる程度、ブログの閲覧数も大して多くない、文才があるわけでもない、なんなら友達も多くない、彼氏もいない、親友もいるのかさえ分からない、東大生のようにキレキレの頭を持っているわけでもない、世界一周したわけでもない、留学経験が豊富なわけでもない、対してかわいい容姿でもない、歌って踊れるアイドルでもない、万人ウケするような性格をしているわけでもない。
輝いてみんなからいいねいいねと言われるような同世代のインフルエンサーたち、有名でなくても何かに向かって頑張っているように見える同年代の若者たち、インスタに生息している華奢でくりくりおめめの女の子たち、画面のクリック一つで驚くほど容易に彼ら彼女らのような存在に触れられてしまう。少しネットの世界を冒険すればびっくるするほどの数のそんな”スゴイ”人たちがいるように感じてしまう。
焦らないわけがない。身近な人の成功を素直に喜べない。アンチによって自分の平静を保つしかほかない。本来その焦りやフラストレーション、怒りを向けるべき人間は自分以外の何者でもないのに。
あ~私って何者なんだろう。私も何者かになりたい。私が生きようと死のうとせいぜい影響を受けるのは家族と親密な友人数人程度。いなくてもいいんじゃないか。そのうち焦りは消極的精神の死へと歩みだす。
だが、普通に考えて、この時代の流れでそう思うことは何ら普通のことだし、何も悪いことでない。あなたは間違っていない。エリクソンの提唱した発達段階説で青年期にあたる世代なら、当たり前すぎる悩みだ。あなたは順調に成長している。すばらしい!!!
しかしだなぁ、これを幸いととるか否か、ネットの普及で、天井がなくなってしまったのだ。
それ故に、以前は「何者かになりたい」と少しでも思うのは正常な発達プロセスを踏んでいる証拠で、私たちを豊かにしてくれるはずの悩みや願望であったはずのものが、今は私たちを蝕み始めている。
おそらく、少し前までは何者にもならなくてもなれなくても、十分幸せになれたはずだ。
「個性」だとか「自分らしく」いきるだとかいう言葉が行き交うが、別に自分が”自分らしく”いようとしなくても、本来十分幸せになれたはずだ。実はすてきにみえる「自分らしさ」さえも仮装にすぎないのかもしれないと思ったりもする。
あれれ?そう思うと、何者かになろうとするのは、人間として幸せに生きる上で最強にコストパフォーマンス悪いんじゃね??自分らしさなんてものを模索することさえも、コスパ悪い?そこにただ存在するだけでいいんじゃね?それでも十分幸せになれるんじゃね?
”個性” ”自分らしさ” ”何者かになりたいという願望”
そんな一見よさげに見える流行の言葉たち。それらは実は私たちを気づかぬうちに地獄へと導く、私たち自身が生み出した地獄の使者なかもしれないね。
こわわっ
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