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帰り道
下校は、友達と一緒に居られる、1日の中で最後の時間だから、わたしにとって貴重で大切な時間でした。
友達との帰り道の話題は、いつも違う話。
自分の好きなモノや嫌いなモノ、
芸能人やテレビの話…
どうでもいいような他愛ない会話。
そして、学校では喋れない悩み相談、グチ、
溜まったものは吐き出すという時間でもありました。
時には将来について夢を語ったりもしました。
友達との会話に共感したり、
こういう考えを持っているんだと感心したりして、
自分の心が動いたりすることもありました。
わたしは友達がいるおかげで成長してきたんだと、
改めて友達の大切さに気付かされました。
オバサンのように井戸端会議をするのはいつものこと。
帰り道だけじゃ短すぎて。
話が楽しすぎて帰りが遅くなるのはしばしば。
あまりに遅いときは親に心配され怒られました。
その時は(もっと早く切り上げてくれば良かった〜)と思っていましたが、
今考えてみると、なんか良い思い出だったかもな、と懐かしいようにも感じます。
高校ではみんなバラバラになって、
もう中学校での友達とは帰れない、
あの帰り道も通らない、
と考えると寂しい気持ちになります。
すごく良い時間だったと感じています。
高校でも新しい友達とたくさん喋って、良い思い出を作りたいです。
……
こんにちは、ずなです🙋♀️
上記の内容、実は中学校の卒業文集でわたしが書いたものです。
実家のクローゼットに眠っていたところを起こしてきました。
漢字や言葉など読みやすく改編したぐらいで割とそのまま。
「でした」続きが多いことや語彙力がないことが目に付きますね。
15歳のわたしが書いたものなので大目に見てください。
実はわたし、この文集の題材を気に入っています。
なぜか?それはわたしの姉が褒めてくれたから。
本当に単純な子です。
ちょっと15年前にタイムリープしますね。
当時のわたし、学校が好きではありませんでした。
勉強ができない訳ではないし、友達がいない訳でもない。
でも運動会や文化祭などの行事で、みんなで協力し合う。
あの空気が苦手でした。
いろんなタイプの子たちと仲良くするのが苦手だったのです。
やれば楽しいんだけれど、やらされている感は拭えなかった。
部活動は美術部。
クラスの中で自分を表現するのが苦手なわたしにとって、憩いの場でした。
ただそれも2年生の中頃まで。
部活内がギスギスし出しました。
考えが違うというだけで他人を受け入れられなくなったあの頃。
周りを意識し出し、自分は他人からどう見られてるか心配で仕方なかったあの頃。
一言で片付ければ思春期。
毎日所属はしているけれど、さほど充実感は感じられない場所でした。
そんな学校生活も、いざ卒業間近となり、アルバムに掲載する文集を考えることに。
特別楽しかった行事も印象的な出来事も思い浮かばない。
でもすぐに、下校時が何よりも幸せだったと、頭に出てきたのです。
上辺を取り繕って頑張っていた学校から解放された時間だったから。
ただ戸惑いました。
学校生活じゃなくて下校の時の話なんて暗すぎない?と。
しかし元来、自分の心に嘘を付くのが嫌な性分なので、
なんと思われてもいいし誰も読まないだろうからまあいいや精神で正直に書きました。
そうして出来上がった卒業アルバム。
小学校教諭の姉が帰省していた頃、ある日「アルバム見せて〜」と言われたので照れ臭いながら渡しました。
わたしの文集を読んだ姉は
「帰り道を題材にするなんて独特だね〜
他の子が行事や部活動をテーマにするのが多い中、着眼点が面白い!」
と褒めてくれたのです。
身内だから易しいのもあるけれど、
小学校の先生で、かつ国語の教師も目指していた姉に言われたこの言葉は、わたしに自信をくれました。
このままのわたしで良いんだと。
いま文集を読むと文章力はないけれど、
わたしがnoteに気持ちを吐き出す際、時折このエピソードを思い出すのです。
持っている言葉でしか表現できない拙さは未だあるけれど、
わたしが見て感じたことを臆せず形にしていきたい。
姉は覚えていないだろうし、ほんの些細な感想だったとしても、
頭の中のことを文章にする活力に充分な程なっています。
みなさん、卒業文集なにを書かれていましたか?
この文集を探している最中、さまざまな過去の自分が出てきて興味深かったので、
生き方のヒントを過去から貰おうかなと思いました。
ちなみに高校での思い出も、電車を何本も見送る程、帰り道が1番楽しかったな。