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猫は幸せだったかい?
「こないだ、飼ってた猫が死んだんです。
車に轢かれて。」
年齢が1個下の後輩に「20代のうちに何しておきたい?」なんて他愛ない話から、どう転がったか忘れたけれど、そんな話をされた。
あぁ、思い出した。
彼は「家族と北海道旅行に行きたい」と話し、
春生まれだから「これから寒くなるからギリギリだけど春になったら行った方がいいかもね〜」なんて返して、
「でも猫飼ってるんだよね?留守にすると大変だね。」って言ったからだ。
わたしは知っていた。
彼の家では、猫を外と家を行き来する、半野良状態で飼っていることを。
そしてそれに対してモヤモヤした感情を持っていた。
ーーー 車に轢かれて ーーー
(そりゃあ、そんな飼い方をしていたんだから、そんなリスクはあって当然だろうね)と、冷めた憤りが湧いて、他人のことだけれど黙っていられなかった。
しかし仮にも「飼い猫」が亡くなったのだから、寂しさはあるだろう。彼の声色からは全く悲しみが伝わってこなかったが、言葉は慎重に選んだ。
「…それは残念だったね」
と、まずは寄り添った。
でもまた同じように猫を飼うかもしれないことを懸念して、今後の為にやんわりと忠告した。
半野良で面倒をみるなら、避妊・去勢手術は必要なこと。
猫たちにとっては不自然で申し訳ないけれど、人間社会の中で生きる為に、殺処分される猫を増やさない為に…。
地域猫の在り方を教えてあげた。
できれば家の中で面倒をみてほしいことは、家庭の事情もあるかもしれないから口を噤んだ。
「これは〇〇くんが悪いんじゃなくてね…」と前置きまでして、お節介なことは重々承知していたけれど、わたしにも実家に愛する猫たちがいるから。
いろいろ知っておいてほしかった。
飼い猫がそんな死に方するなんて、悲しすぎる。
実家の猫で人目を盗んで脱走する子がいて、小一時間で帰ってくるけれど、毎度心配で堪らない。
家のすぐ横には線路があり、100mほど先には車通りの多い道路がある。
外に不慣れな猫が1週間も帰ってこなかったときは、毎日泣きながら探した。
(事故に遭っていたらどうしよう。こんな別れじゃないよね?)
不安と喪失感、そして自分の不注意で起きたことだと自身を責めた。
しかし彼は思いもよらないことを言ったのだ。
「猫にも自殺願望ってあるんですかね…。
よく車に轢かれてるじゃないですか。あれって…」
は?
「…自分から飛び込んでるって言いたいの?」
呆れた。
怒りを通り越して、呆気にとられた。
飼い猫に責任転嫁したのだ、この人は。
「…それはないんじゃないかな。
『死にたい』って思うのは、理性のある人間だけだと思うよ。
動物は本能でしか生きていない…と思う。
ただ向こうへ行きたかっただけだよ。
もしくは、ただ帰りたかっただけだよ。」
実家の近くの線路で、可愛がっていた野良の子猫が、列車に轢かれて死んでいたのを思い出した。
子猫の顔は家の方を向いていた。
あの子は、こっちに来る途中だった。
「そんな、都合良く考えちゃ、駄目だよ。」
彼は「そうですよね。」と返して、会話は終了した。
そもそも、動物に自殺願望があるかもしれないなんて、考えたことなかった。
人間は『逃げる』という生き物全般に備わっている危機回避能力を選択できない状況が続くと、『死にたい』に変換されるんじゃないかと思う。
『生きる』か『死ぬ』かの二極化にしてしまうのは、おそらく人間だけだ。
但し、ストレスのかかった飼育状況にいる動物たちはどうなんだろう。
少なくとも鬱状態にはなるかもしれない。
でも、どんな方法で楽になろうかなんて、考えは及ばないだろう。
動物は複雑なことは考えない。
本能のままに生きている。
…と、都合良く考えているのはわたしも同じか…。
他人の事情に首を突っ込んだ今日の自分や、
過去に野良猫を可愛がるだけだった自分に反省しつつ、車に轢かれて亡くなった後輩の家の猫が、それまでに幸せに暮らせていたのならいいなと悼んだ。
胸糞悪い会話だったけれど、いろいろと考えてしまった。
とりあえず、実家の猫に会いたい。