トレーディングハッピーハロウィン その2
一から四までは下記リンクの記事から.
五.
居間には、縁側と、そこから庭に出られるようになっている大きな窓がある。台所のちょうど反対側だ。僕はつい、今度はそちらに行ってしまう。何も考えることなしに。
だって、ごく普通の、明るい挨拶なのだから。そぐわない、だなんてはずがない。
「ちょっと待ってくださいね。今、開けます」
本当は、すぐに開けるとまで応える必要はなかった。せめて姿を確認してからでも良かっただろうに。でも、不用心な僕は自分から宣言してしまった。
お客さんのために。
かちゃり。カーテンを動かし、人影が目に入ると同時に窓の鍵を回していた。
「こんばんは」
ざるで顔を隠し、僧の装いをした人を筆頭に、膝下まで覆う白い布を被った人、法被を着て顔に赤や黒を塗って化粧した人……ずらずらと大勢の人が何列も横に並んで立っていた。
「夜回りに参りました」
一人が、呼び掛けと同じ高めの声で告げた。
僕は、回り、という言葉一つから、当然にお祭りの行列を想定した。家々を廻る。みこしが運ばれる。少しきょろきょろとしたら、後ろの方でそれらしきものが担がれているのを発見した。社のように組まれ、朱で塗られた木枠の中にある、あれは……かぼちゃか?
どうしてかぼちゃが鎮座ましましているのだろう。そもそもそうだっただろうか。大きなごつい実だ。どうも中が空洞なのか、幾つか開けられた穴から灯し火が零れている。
「……くださいな」
簡素な橙の着物をまとった女の子が、両手を皿の形にして胸の前に差し出した。角を頭に付けている。素材は何なのか、白っぽくてねじれて硬そう。
僕は後ろを振り返った。食卓に、おばあちゃんがせっせと包んだ小さなお土産が備えてある。主役はどちらかといえばこのお菓子、活躍させなければ。訪問客は、改めて見れば、総じて背丈が低い。ちらほらいる顔が分かる人も、若い、むしろ幼いかも。
子供みこしだったのか。おののいて損した。
「これ、ですか」
軽く指すと、うんうん、と皆が頷く。
六.
ここで少し考える。不法侵入者に渡すのは、弾丸による引導ではなく飴であるべきなのだろうか。何より家主が寝ている。自分に決定権はあるのか。
「祀りの倣いですよ」
列をなしている内の誰かがそのように発言した。平坦なしゃべり方は、むしろ全員の総意であることを示しているようだ。まつりのならい。正確な意味は分からないが、しなければならないことは決まっていると受け取れた。誰も彼も直立し微動だにしない。
かぼちゃ提灯の明かりが、ちろちろと揺らめく。
「はい」
僕は、まず一つ、菓子の詰め合わせをお客の伸ばした手に載せた。一つ渡したなら次もだと、幾つかお盆にまとめて積み上げ、後はさっさと配っていく。
菓子をもらったお化けたちは、それを片手に掲げたり、早速開封したり、軽く跳んだり、周りと見せ合ったりと嬉しそうだ。何のことはなかった、時間がずれただけだった。祖母には事実通り、子供にあげたと説明すれば、少なくとも怒られることはないだろう。
何人いたか分からないが、思ったより早く菓子袋は行き渡ったようだ。確認すると、列が残り数人になっている。みこしは……庭の隅で待っているようだ。静かに。おごそかに。かぼちゃなのに……。
最後の一人が来た。頭に皿、更に尖ったクチバシを装着し、鱗のような飾りがしゃらしゃら幾つもついたポンチョを羽織った少年。それは、河童のつもりなのか。半魚人か。リボンで口が結ばれた、透明で可愛い柄の袋をその手に。中にチョコレートが入っているのだ。それもハート型の。
鱗を間近で見た。反射で虹色に輝く、てらてらと。非常に生々しい。瞬間にそう感じた。
思わず凝視してしまっていると、しゃんしゃん、横で鈴の音がした。
七.
狐か、猫……、狸にも見える。幾筋も線が描かれ、二つの耳が飛び出した獣の面をした子が、背筋を伸ばして立ち、持ち手の先に木のように幾つも付いた鈴を鳴らしていた。赤と白の装束だ。黒髪も長い。巫女さんのようだ。
「お約束」
そう言って、彼女は僕に片手でつまんだ何かを突き出してくる。
ちょっとつっけんどんで、想定もしていなかったから僕は戸惑った。
「受け取ってください。お返しですよ」
こちらが渡していたお菓子の袋はビニール製だったが、それは巾着袋で、くすんだ黄色をしていた。有無を言わせないきっぱりした口調に、しきたりを感じさせるものがあり、気付くと開いた右手に握らされていた。
「では、ご無礼します」
狐か猫かの巫女さんは、いつの間にかおばあちゃんの菓子の小袋を、鈴と反対の手に持っていた。巾着をもらう前に彼女にもあげたのだったか。もう流れ作業になっていたから、ぼうっとしていたのかもしれない。彼女はすっとそのリボンをほどき、中のクッキーを取り出してぱくり。動物のように口の前を拭った。
背景に月があり、彼女と、ぞろぞろと動き始めた変装の行列、最後尾となるおみこし、その上のかぼちゃを載せた木枠を照らしている。滑稽さすらあるのに、何故かぞっとした。
この後も子供みこしは家々を廻っていく。習わしの通りに。そして回収していく。何を?
手に残った巾着を見た。和風の織物でできている。手縫いか?これ。
目を離したのは、少しの間だったはずなのに、もう庭には誰の姿も見えない。道に戻ったらしく、お囃子がひーひょろろ、かんかん、と聞こえた。でもすぐにそれも消え、風が吹くばかり。
僕は立ち尽くしていた。
はっと思い立って、確かめようと紐を緩めた時、巾着がもぞもぞとした気がした。思わず取り落としてしまう。幾つか、転がり出たのは栗の実。近所で集めたものだろうか。
腰をかがめ、拾い上げる。軽い。まるで空っぽのように。
辺りが暗い。
八.
目を覚ますと、僕は身体に毛布を巻きつけ、丸まっていた。向かいにテレビがある。居間の、ソファの上にいた。窓はきちんと閉じられ、カーテンの隙間から朝日が差し込んでいる。
「たいちくん」
びくっとして跳び起きたが、おばあちゃんの声に他ならず、台所から出てきた彼女に対して決まりが悪かった。
「おはよう」
その拍子に落ちた毛布を、挨拶を返しながら持ち上げた。
ころころ……何かが転げ出る。昨日の栗だ。濃い茶色で丸いそれを見てすぐそう思った。立ち上がって追っていき、恐る恐る、指で掴み取る。軽くて、中に入った固い物が、振ると動く気配がある。嫌な感じもしたが、中身が見える程の亀裂があり、どうやら自然のものではなくプラスチックのようだ。
「どうしたの?」
僕は再びびっくりした。おばあちゃんが後ろにいて、僕の手から栗の実を取った。
亀裂を押し開けて割ると、出てきたのは、ストラップになった好きなマスコットのプレートだった。カバだか、犬だか分からない上に、サングラスを掛け、刀をしょっているという変なキャラだ。ついでにファンシーな首輪もしている。だが、それよりも僕にとって重要なのは、ずっと前に失くした物と同じものだということだった。
学校から帰ってくると、家の鍵だけを残してストラップがどこかへ消えていた。ストラップと鍵は輪っかで一緒にし、更にゴム紐でランドセルに括りつけ、そのポケットに入れてあった。帰りの会の間、手持ち無沙汰でプレートを触っていた覚えがあるので、腑に落ちない思いがしたが、探しても見つからなかった。それも二学期、秋の日だったか……夕暮れ。
「サンドイッチを作ったよ。朝ごはん食べよう」
おばあちゃんが言うので、待たせたくもなく食卓につく。その前に彼女がごみ箱に捨てたストラップを確かめた。紛れもなく僕の物で、その証拠は裏面に、何かのおまけで手に入れた別のキャラのシールが貼ってあり、稚拙な僕のサインが被せるように入っていたからだ。
「はい、ぐずぐずしていないで、たいち。玉子サンド好きだったでしょう?」
僕は混乱した。でも、好みについてはその通りで、断る理由もなく口に運ぶ。
「ん?これ、玉子焼きがそのまま挟んであるバージョンなんだね」
嫌いなわけではないが、我が家は、刻んだ玉子がマヨネーズと混ざった具だ。ずっと。
率直な感想に、おばあちゃんは微笑むだけ。味は、喫茶店の真似をしたようにおいしく、玉子は厚くてふわふわとしていた。
合間に蜜柑ジュース。恐らく近隣からもらった蜜柑で自作したと思われ、新鮮だ。
数が減った菓子の詰め合わせ袋が、箱に入れられ隅によけてある。ということは、夜中のことは本当にあったことなのだろう。多分。僕がそれを見ているのに気付いたおばあちゃんが、一つ、棒付き飴を取り出してくれた。
「うちに来ると、ずっとこれをしゃぶっていたよね」
それも彼女の言う通り、おばあちゃんは僕のことを何でも知っている。
……いや、そうだったか?僕が口に入れてずっとねぶっていたのは、チューインガムではなかったか。微かでも味が残っているならと、それを求めて。
包み紙をほどく。中から出てきたのは、どう見ても飴ではなく、やわらかくもろもろした薄黄色のものだ。おばあちゃんはにこにこしている。指に付けて舐めた。それは栗きんとんで、よく馴染んだ、特製の味がした。
僕は、きっとフォローを求めていたと思う。でも、おばあちゃんはやはりにこにこしていた。それだけだった。のどかな陽の光が差し込んで、幾らでもいたくなるような、睡魔を誘う暖かい居間も、変わらなかった。揃いのソーサーの上で紅茶が仄かな湯気を立てていた。
「また、おいで。待っているからね」
荷物をまとめて、外に出る僕をおばあちゃんが見送ってくれた。別に、急いでなんかいなかった。収穫祭の本祭りまでいても良いのだし……でも、気付くと適当な断りをつけて家を後にし、帰途についていた。
道の先に揺れる、誰かが植えたコスモス。群れ咲いている。
門を出てしばらくしたところにあるバス停で振り返った。家の窓は全て閉められ、吊るされたカーテンも色褪せて感じた。そして壁も古ぼけて黒ずみ、年月が過ぎたことを示していた。まだ午前中なのに静かで、住人がいる雰囲気ではなかった。周囲の町も、木陰に沈んでいた。
終.
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