「ワクワクするほうを選べ」が微妙に間違っている理由
自分らしい人生を生きたいなら、あるいは成功したいなら、「ワクワクするほうを選べ」という考え方がある。
たしかに、つまらないことに取り組み続けるよりも自分が心惹かれる道を選んだほうが人生が充実しそうに思える。
楽しくて心が沸き立つものに取り組んだほうが、なんだか成功の確率も高そうな気がする。
とりわけ、現状に不満な人、自分の人生はコレじゃないと感じている人の耳にとっては、「ワクワクするほうを選べ」は強く響く言葉になるだろうと思う。
「こんなところにいるより、ワクワクする道を選べば、自分はもっと輝ける!」
いまこの瞬間もこんなふうに考えている人が世の中には数え切れないほどいるはずだ。
ワクワクを求めてさまよう人々
ただ、ここで注意が必要なのは、「ワクワク」というのはあくまで感情の一種に過ぎないということだ。
感情がプラス方向に高揚した状態。それがワクワクだ。
あくまで感情だから、その高揚感はいつまでも続かず、遅かれ早かれしぼんでしまう。人間は刺激に慣れるから、最初のころと同じレベルでワクワクを持ちつづけることはできない。
また、すぐに成果が出なかったり、現実は思っていたのとは違ったりでワクワク感が消え失せていくと、もうその取り組みがおもしろくなくなってしまい、また別の「ワクワクさせてくれる何か」を求めてさまよってしまう。
これはもう、ワクワクの禁断症状が出ているワクワク中毒患者であり、ワクワクを求めてさまよい続けるワクワクジプシーだ。
ワクワク感とは、リトマス試験紙である
そうやって当初のワクワク感がなくなるたびに投げ出し、また別の何かにを求めてしまうのは、ワクワク感が前に進むための推進力になってくれると勘違いしているからだ。
ワクワクというのはあくまで、自分はどういうことが好きなのかとか、どんな未来が現実になったらしっくり来るのかなど、心のリトマス試験紙みたいなもの。
リトマス試験紙、つまり判断材料なんだ。
だからワクワク自体は、行動し続けるガソリンにはならないし、ちょっと成果が出るまで時間がかかったり、思っていたのと違うというとき、乗り越える力を与えてくれるものではない。
そもそも感情というのはワクワクという形で上がることもあれば、思うようにいかず下がってしまうこともあるものだから、短期戦ならともかく、感情の力で目的地までの長い道のりを踏破するのは無理というもの。
自分の心がワクワクするような目的地への道のりにおいて、挫けないタフネスを与えてくれるのは、私がnoteでいつもシェアしているようなメンタルを鍛えるスキルや習慣の数々だ。
感情はアゲルより下がらないことが大事
感情に関する理解で大事なのは、ワクワクのように感情が上がる何かを追い求めるのではなく、感情が下がって歩みが止まってしまわないよう、できるだけ気をつけるということだ。
要は、できるだけ凹まないメンタルを持てるようにするのが大事なんだ。
たとえばプロのトップアスリートたちを見ると、ただでさえ成果やファンからの視線で厳しいプレッシャーにさらされている彼らは、それ以外の余計なことで心煩わされることを極力避け、やるべきことを淡々と続けられるよう心を砕いている。
感情が下がって日々の努力ができなくなったり、試合でのパフォーマンスが落ちるのを嫌うからだ。
そうして感情に振り回されずに、やるべきことを高いレベルでやり続けていった結果、その競技に携わる世の中の人のなかでほんの一握りの存在になっているわけだね。
だからワクワクという感情に頼るのはやめて、感情が下がるようなストレス要因に直面してもダメージを軽くできるような強メンタルを身に着け、立ち止まらず淡々と努力を続けられる人間になっていこう。
これができれば、感情という不安定なものをガソリンにする必要なく、自分が望む人生の実現に向かって進んでいけるから。