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人の目が気になって行動できない人へ
人の目が気になって不安な人。
人の目が気になって行動に移れない人。
人間なら誰しも、まわりの人にどう思われるか多かれ少なかれ気にするものだけど、それが敏感な人にとっては辛いものだ。
でも、厳しく聞こえるかもしれないけどおぼえておいてほしい。
自分が思っているほど、まわりはあなたのことをじっくり見ていない。
そもそもあなたがやっていることをさほど認識していないし、たとえあなたが失敗しても、気にもしなければ、すぐに忘れてしまう。
なぜなら、あなたが「自分はまわりからどう思われるか」と自分の不安にばかりフォーカスしているように、まわりの人たちも一番の関心事はその人自身のことであり、あなたのことではないからだ。
それなのに、もしあなたが自分に向けられる視線がやたらと気になるというのなら、それは自分のことを買いかぶり過ぎている。
あなたが自分に向けられていると思いこんでいるまわりの目は、あなたが心のなかで勝手に大きくした幻想だ。
幻想なんだから、それを気にして歩みや挑戦を止めたりするのはナンセンスとは思わないだろうか?
「幻想に止められたから、やりませんでした」
人生をあとからそんなふうに振り返るのは嫌じゃないか?
もしもまわりの目が決して幻想ではなく、現実に自分に向けられているとしても、他人が自分をどう思うかなんてどうせコントロールできない。
コントロールできることとできないこと。これを区別し、コントロールできることにだけ注力するほうが賢明かつ前向きだし、そういう人こそが「自分の人生」を生きられる。
コントロールできないまわりの目を気にして、それに振り回されながら生きるのは「自分の人生」を生きているとは言えない。
この先、年齢を重ねていって人生の可能性が狭まっていったとき、行動しなかったことをきっと後悔することだろう。
実際、死ぬ前の後悔でもっとも多いのが、「自分に正直な人生を生きればよかった」というものだそうだ。
今ためらっているその行動が、自分しだいでコントロール可能なものなら実行に移せばいいし、逆にまわりを気にして行動をためらっているのなら、それはどうせコントロールできないんだから気にしたところでしょせん無駄だ。
コントロールできることをコントロールするのは自由でストレスもないけど、コントロールできないことをコントロールしようとしても無理なんだから、ストレスがたまって辛いだけ。
だったら、コントロールできることだけにフォーカスしよう。
自分が何を言い、どんな行動をし、あるいは何を言わず、何をやらないかはあなた次第。つまりあなたがコントロール可能なことだ。
その選択を行う自分自身への評価もまた、あなた自身でコントロール可能なものだ。
かたやまわりからどう思われるかという評価は、コントロール不可能なものだ。
だったら、まわりからどう思われるか、どう評価されるかではなく、行動を起こすことそのものに評価基準を置いて、行動できた自分をほめてあげればいい。
そう思わないだろうか?
もう、まわりの目なんてどうでもいいものは無視して行動しよう。
「自分に正直な人生を生きればよかった」とあとで思わないためにも。