映画メモ『イニシェリン島の精霊』


『イニシェリン島の精霊』(The Banshees of Inisherin)
2023年公開
監督、脚本:マーティン・マクドナー
パードリック:コリン・ファレル
コルム:ブレンダン・グリーソン
シボーン:ケリー・コンドン
ドミニク:バリー・コーガン

banshee
(in Irish legend) a female spirit whose wailing warns of a death in a house:
バンシー。アイルランドの伝説。家の中で死の予告する女の精霊


あらすじ。1923年、ちょうど世界大戦が終わったあとのアイルランド。戦後始まった独立戦争を経て、約1年間の内乱の最中。とある小さな島に壮年で未婚の兄と、同じく壮年で未婚の妹の兄妹が暮らしていた。映画の冒頭は兄・パードリックが島のゆるい坂を下り、知り合いらしき海辺の一軒家に向かう場面から始まる。

少し先取りすると、これは未婚で壮年(中年、おじさん・おばさん)の兄妹でしか成り立たない物語だ。例えば兄妹の代わりに結婚している夫婦だとどうだろう。4つのパターンがある。島民ー島民、島民ー島外、島外ー島民、島外ー島外。後ろ3つはそもそも島を捨てることになんの違和感もない。島民ー島民の夫婦の場合は”乱れた(wild)”場面が一度でも想起されるなら、全編を通しての禁欲的な抑圧が成立しなくなるし、島を出るという選択が極めて弱くなる。(例えば子供が生まれる可能性がゼロではないし、そもそも全く別の物語になってしまう)

あらすじを続けよう。パードリックは長年の友人であったコルムに突然拒絶されたことを知る。この時点ですでに拒絶は過去形なのだ。そして理由は一切明かされない。本人の口から理由らしきものは「嫌いになった」「無駄話したくない」「音楽制作をしたい」といくつか言われるが、後でひとつづつ否定されている。仲違いの目的は「突き放す」という結果を出力させること自体と考えるべきだ。理由を問うても答えは返ってこない。右脳と左脳をつなぐ箇所に損傷を負った人が、右脳のことを左脳は知らないという奇妙な状態(にもかかわらず正しい回答を出力することができ、なぜ正しい回答が出力できたかの理由を本人は認識していない状態)になるように、「自分と関わることを辞めて欲しいが自分自身はその理由を理解できない」と記述するのが正確なところだろう。



本作、画角がいい。映画を観たなと味わえるリッチな画作り。いいよね。夕日もきれいだし、積み上げた石で四角く区切られた牧草地と海が美しい。ドミニク役の演技やばすぎる。これ本当に演技なんだよね? 


でも拒絶の理由は推測できる。それはコルムがバンシー(banshees)の声を聞いたからだろう。バンシーとは「(in Irish legend) a female spirit whose wailing warns of a death in a house」家の中で死を予告(けたたましく警告)する女性の妖精だという。これは誰かを名指しにした死の予告ではなく、誰かはわからないけど家の中で死者が出るというニュアンスのようだ。コルムの意識されない願いは、何が何でもあの家から兄妹を出す、つまり死ぬ前に島を離れるようにすることと推測できる。彼の口から出る覚悟や決心はすべて真であることがわかってくるが、それが目指すところはちょうどパードリックが音大生にしたような”いじわる”によって家から(つまり島から)追い出すことにあった。

パードリックが結婚していない理由、妹・シボーンが結婚していない理由、コルムが結婚していない理由、それぞれの年齢、親戚構成については作中で明示されていない。島にも兄や妹、ドミニクと釣り合う人間はいるのかもしれないが接点が描かれることはない。兄は妹に生活の多くを頼っているし、妹も人の良い(nice)兄を見捨てることはできない。おそらく妹は本土で仕事を見つけることができたが、当初は兄に内緒のままで”無かったこと”にしようとしていた(それを覆したのはコルムの激しい行動だ)。いずれにせよ兄妹は島の中で緩慢に孤独のまま死にゆく定めにある。老人と言ってさしつかえないコルムが余命を予感しているように。

性的にも抑圧されいるふたりが同じ部屋で寝ている姿は、沈黙のうち背中あわせのシルエットを作る――お互いに性的なことはもう諦めよう、私達は盛りの過ぎたいい年齢だし――だからといって、性を完全に諦めているわけではない。妹は警官に「行き遅れ」と罵倒され深く傷つき咽び泣く。しかし、島には兄のような良い人間はいないし、酪農以外の仕事もない。ドミニクは愚かで若すぎる。この兄妹の運命を変えることができるとすれば尋常ならざる力、それを精霊の力と呼んでも差し支えないものだろう。



警官と雑貨店の店員は本当に感じ悪い。結局最後までシボーンはシェリー酒を飲む機会がなかった。マジでかわいそう。飲ませてやれよ。でも、もしみんなが肩を並べてパブで飲むような話なら「島最高!」で回収される物語になっていただろう。妹にとってのパブでのシェリー酒は決してたどり着くことがない物の象徴。そういえば、司祭への告解を通してパードリックとコルムの恋愛関係も否定している。

狂気の決断をパードリックへ見せつけたコルム。結果的にドミニクと家族同然だったロバの命が失われ、妹は島から去る。「二人死ぬ」という老婆の予言はこうした形で実った。しかし兄は去らない。楽しそうに音楽で仲間と盛り上がるコルムたち。殴りつけてくる暴力警官。話し相手のドミニクももういない。パブで話す人もほとんどいなくなった。でも彼は残った。このことはコルムの(意識的にせよ無意識にせよ)予想しなかった結果ではなないだろうか。そして兄は友の家を焼く。

激しい怒りから新しい物語が始まった。独立戦争を経てようやくイギリスからの独立を果たしたアイルランドがそのまま内乱に突入した史実と、思わず重ねてしまう。深い断絶が大地に刻まれた瞬間を私たちは目にした。歴史の瞬間だ。本当はいつ島を離れてもおかしくはなかった兄は、逆に断絶によって強く島と結び付けられもう離れることはできない。



アイルランドの飢饉は1850年と考えるとちょうど兄妹の祖父の世代だろうか。ミステリー風味は好きだけどミステリーはそんな好きじゃないんだよね。この作品くらいの謎感は良い。映画を観ていると3回口をついて出た「マジかよ」「マジかよ!」「マジかよ……」。まったく緯度は違うんだけど、沖縄の島映画のような印象を不思議なことに受けた。実際に島の映画でもある。

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