あなたは合理的な判断ができますか?
今日は合理的な判断についての話。
最近社会学について少しだけちょびっとだけ勉強しているので、そのまとめ。
人間は合理的な生き物だと考えられている。
例えば、アダムスミスの「見えざる手」などはその代表例だろう。人々が自分の利益のために合理的に経済活動(ものを買うとか売るとか)を行えば、自然と経済はうまく回るというものだ。
しかし、人間は果たして本当に合理的なのだろうか。例えば、合理的に考えればおかしい伝統と呼ばれるものがこの現代にまで残っているのはなぜか。
それは、人間には限られた判断力しか残されていないからだという。つまり、伝統とはこれまで上手くやってこれた方法のことであり、他の手段を考えることに労力を割くよりは、盲目的に伝統に従った方が楽だということである。
マックス・ウェーバーなどはこの人間の特性に気付いていたとされている。
言われてみればなるほど、となることだ。
より合理的な手段を求めて情報を集め、その中から最適なものを選ぶというのはかなりの労力が掛かる作業だ。だから、人間の下した判断や行動は必ずしも合理的では無いと言える。
このことはバスケにも当てはまる。例えば、どんなオフェンスをしたらいいか分からないから伝統的な3out2inをひたすらやり続ける。3メンなどはその最たる例だろう。何のためにそのオフェンスをするのか、何のために3メンをするのかということを明らかにしないと合理的ではない判断をし続けることになる。
ここでいう合理的な判断とは選手が最大限成長できる選択肢ということだ。だから、選手の強みが生きるようなオフェンスを、選手の課題に応じた練習をする必要がある。
つまり、目的がとても大切なのだ。
何のためにそれをやるのか、ということを考えることが少しでも合理的な判断につながる。
しかし、忘れてはいけないのは、伝統を排除すれば良いというものではないということだ。伝統とは、これまである程度上手くいく方法だからこそ伝統になれたものだ。つまり、伝統は王道なのである。何でもかんでも伝統を変えることは大切では無い。大事なのは、あくまでも自分たちの目的に合致した手段かどうかを常に考えるということだ。
常に目的を考えよう。
何のためにその行動をするのか。