「人間」として大切にすべきこと
どうもこんにちは。RYOです。
今回もまたまた珍しく日中に記事を書こうと思います。
(ただ単に土曜日で暇だっただけです(笑))
この記事を書いているのは2022/3/12。
今日は本当に暑くてですね、長袖のシャツを肘くらいまで捲ってキーボードを叩いています。
以前の記事でも触れましたが、益々一層春の訪れを実感します。
長く暗い冬を越え、生命の息吹が感じられる季節です。
(個人的な話をすると、私RYOは「暑さ」には強いのですが「寒さ」にはめっぽう弱いです。なので暖かくなってきて本当に嬉しい限りです。(笑))
さて今回は、記事の題名にもあります通り「人間」として生まれていく上で大切にすべきこととは、ということをテーマに書いていこうと思います。
まず前提として、私は「ヒト」と「人間」という表現を使い分けることがままあります。
前者の「ヒト」は、生物種としての人を指します。
当然人も一種の生物です。犬や猫と同じ哺乳類に分類され、かつさらに精緻に分類するならばサルやチンパンジーと同じ霊長類に分類されます。
それらの分類は、生物学的に共通する点が非常に多いからこそ、そのカテゴライズがなされています。(私はド文系ですので、詳しいことは聞かないでください。笑)
そして、後者の「人間」という表現は、いうなれば知性体としての人を指します。
皆さんも当然の如く理解していらっしゃるとは思いますが、この地球という星を掌握しているのは紛れもない「人間」です。
すなわち、ヒトは他の哺乳類とは、他の霊長類とは一線を画していると言えます。
その要因は何か。「ヒト」を「人間」たらしめるものは何か。
それは勿論、「知性」です。平たく言えば「考える力」です。
従って、もし仮にヒトに知性が備わっていなければ、ヒトが家畜として他の生物に飼い慣らされていた世界も存在するでしょう。
前提のお話はここまでにしておきます。
なぜ私が前提のお話をしたのか。それは、「ヒト」を「人間」たらしめるものは知性であり、人間に生を受けた以上、この知性を最大限発揮しなければならない、ということを強調したかったからです。
知性を活用しない人はただの「ヒト」だ、と言うつもりは毛頭ありません。どんなに脳死で日々を送っていたからといってそのあたりに生息している猿と同じ知能だということにはなりませんから。
しかし、この授かった知性というものを、活用すればするほど「人間らしい生き方」ができると私は思うのです。
では一言で知性とは何なのか。
知性は、いくつかの種類に分類することができると私は考えています。
この分類というものは各々によって異なりますし、その数も異なると思いますので、あくまで一例として捉えていただきたいのですが...
・愛
・問題解決能力
・友情
・慈悲
・夢
.....
などでしょうか。
この記事をご覧になっている皆さんは、自ら人生を送っていく中で何を自分のプライオリティーとして生きているでしょうか。
今私はこの問いかけを皆さんにしましたが、勿論それがわからないという方だっていらっしゃるでしょう。
それなりの自己分析を行わないとこの「大切にしたいこと」の輪郭は見えてこないと思います。
かく言う私も、ざっくりなんとなく見えてきたかな?というような程度です。
それじゃあ、お前の大切にしたいものは何なんだよ?って方。
↑この記事をまずご覧ください。(笑)
この記事に付け加えて私の考えを述べますと、愛は他のどの感情や知性よりも人間を突き動かす力を秘めています。自分が好意を持った人間一人で、その人間の人生は容易に変革すると思います。
勿論例外は存在します。
例えば、「幼少期に難病を患っていた子供が、天才的な医者によってその命を救われ、その子供も同じく医者を志した」というようなケースであれば、その子供の邁進は愛よりも夢が主導していると言えるかもしれません。
以上の例からわかるように、その人間が何を大切にして生きるのか、と言うことはその人の環境に依存すると言っても過言ではありません。
家庭の家計が常に火の車である家庭で育った子供は、ゆくゆく「お金」というものを優先して生きるようになるでしょうし、DVが恒常化している家庭で育った家庭は、愛の中でも特に「家族からの愛」を渇望して生きていくでしょう。
兎にも角にも、何を大切にしていくかを考える上で、そこに優劣は絶対に存在しません。どれも人間が持つ知性に立脚しており、それはまさに「人間を謳歌している」と言えるからです。
加えて、一本折れない根幹を持つことにより、その人間の人生は必ずその前よりも鮮やかな、彩られた人生になると、私は思います。
自分にとってどうでもいいものを切り捨てることができるようになり、自らのしたい、優先したいことにより多くの時間を割けるようになるからです。
とまぁ、今日はこんなものでしょうか。
この記事をお読みになっている方は、ぜひ自らの中で折れない根っこを探してみてください。
たまには自己分析をすることで、その後の選択が変わりそれが人生を色付けるはずです。
春の訪れとともに花粉も絶賛来訪中です。(笑)
私は花粉症ですので、早く夏にならないかな、と考えたりもします。春という季節が好きな方、ごめんなさい。(笑)
では、また近いうちに再びお会いしましょう。
それでは。