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本物の学びとは?①

 「子供に本当の学力をつけさせたい」そう願う人は大勢いるだろう。子供と関わりがない人でも自分自身に対して「もっと賢くなりたい」とか「成長したい」と少なからず思っているに違いない。

 そして、そのためにどのようなことをするかは人それぞれだ。もちろんそれは当然なのだが、成長や学びのためにとるその行動の根拠や理念もバラバラである。だからだろう、世の中には数えきれないほどの勉強法やスキルアップ法が溢れている。一人一人違うとまで言っていいレベルかもしれない。

 多くの場合これらの勉強方法は、その人の経験を根拠にしているのではないだろうか。経験は大切な資産である。そこから生まれた方法も大事にされるべきだ。しかし、同時に経験は信用できないものでもある。

 人は全く無意味な行動だったとしても、そのことで苦労したり努力したりすると、その無意味な行動を意味にあるものと捉えてしまう性質をもっていることが分かっている。単なる経験では根拠にはなりえない、とまで言い切るのは言い過ぎだろうが、あながち的外れでもないだろう。

 「じゃあ、どうすればいいんだ」となるが、ここで一つ確実な方法がある。今から書くことは、(ある意味では)間違いなく同意を得られるだろうし、実際に効果を上げている実践例が多数報告されている。近年の教育界の世界的スタンダードと言ってもいいくらいだ。それは

 ○○の力をつけたいのならば、○○をする

 ことである。具体的に書くと数学の力をつけたいのならば、数学をするのである。理科の力をつけたいのならば、理科をするのである。この○○は各々で自分が学びたいことを入れればいい。スポーツかもしれないし、私の知らない分野のことかもしれない。(分かりやすくするためにここからは○○を理科で書かせていただくが、各自脳内で自分の成長したいことや、子供に学ばせたいことに変換して読んでいただきたい。)

 「何を当たり前のことを言っているんだ?」と思われるだろう。「当然そうしてるさ」と言いたくなるだろう。しかし、ここで一度自分に問いかけてほしい。

 あなたが理科の力のためにやっていることは、本当に理科ですか?

 理科を勉強するとなったとき、人はどうするのだろう。教科書を読むかもしれない。参考書や問題集を買うかもしれない。もちろん、それは素晴らしいことだ。

 しかし、これらの行動を先の問いに照らしたとき、若干の疑問符がつく。理科とは教科書を読んだり、問題を解いたりすることなのだろうか?と。

 すると「いや、そうではないだろう。理科の本質的な部分は実験して確かめることにある。」というようなことを思うかもしれない。もちろん他の意見もたくさんあるはずだ。

 ここでもう一度先の問いに戻ると「実験をしていれば理科といえるかと言われれば、それだけではない気もする。」となる。そしてこれを続けていくと、最終的には「理科ってなんだ?」となる。

 理科とは何をすることかを分かっている人は誰だろうか。それは科学者だろう。彼らがしていること、それがすなわち理科(というか科学)である。科学者たちと同じような活動に従事することがauthentic(真正な、本物の)な理科だ。ここまでで「○○の力をつけたいのならば、○○をする」をより具体的に言い換えると

 ○○の力をつけたいのならば、○○の専門家と同じような活動をする

 となる。しかし、これは容易ではない。初学者が本当の科学者と同じ問題に取り組めるだろうか。当然不可能だ。そこで教育者たちは、問題自体は発達段階に合わせるが、問題を解く手法や活動を科学者のしていることから抽出し、授業にもちこもうとしている。(科学の例としてはモデル作りといった活動がある。)これを真正な学びという。

 サッカーならば、プロのサッカー選手たちがどのように上達したか考えればよいだろう。「優秀なコーチのおかげだ」と言ってしまえばそれまでだが、コーチは選手へフィードバックを行っているのであって、それを自分ですればいいのである。動画で自分のプレーやキックを振り返るのもいいだろう。練習方法をそのまま真似してもいい。もっといいのは、練習方法の生み出し方を真似することだ。もちろん外側だけ真似しても真正とは言い難い。何を狙った練習なのか、何を考えながらプレーしているのか、その内面まで真正なものにしたい。

 仕事のスキルアップ的なことでも、同じように考えればいいだろう。その仕事の専門家、トップの人と同じような活動をしてみるのである。

 一番シンプルな真正な学びの方法は、その文化の中に飛び込むことである。そして、自分もその活動に参加するのである。(残念ながら、今の公立学校はほとんどが学びの文化、学問の文化の場として成立していない。何とかしようと意識している私の授業もそうである。飛び込む場所はよく吟味し、だめだと思ったら飛び出していただきたい。)

 私が思うに、成長に近道はない。(遠回りの道はどうやらたくさんありそうだが。)どんなプロフェッショナルも近道をして、そこにたどり着いたわけではない。その道を一途に歩き続けたからこそ、プロフェッショナルに到達しているのだ。その道を真っすぐに歩むことが、真正な学びである。