こんな教材いかが?(3年 明かりをつけよう)
3年生では、回路が途切れることのない一つの輪のようになっていることを学びます。そこで、こんな教材を作ってみました。(といってもたいしたものではありませんが・・・)
豆電球の中身を見えるように開いたものです。これを人数分作りました。こうしてみると、豆電球の中も間違いなく電気の通り道ができていることが分かります。下から来た線が上部のフィラメントを通って、左側面へつながっていますね。
ただ、授業を考えるにあたって教材そのものより大切なことがあります。それは、子供はどのようなときに豆電球の中が気になるかということです。子供が「豆電球の中を見てみたい」と思う場面をいかに生み出せるかが肝です。教師が「豆電球の中身はどうなっているのだろう」と投げかけるだけでは不十分です。きかれているから考えるのと、自分が気になるから考えるのとでは天と地ほどの差があります。(ここで言っているのは理想であり、私の力では全く実現できていません。)
そのために今は、こんな授業を構想しています。
1時間目 写真のようなソケット付き豆電球と乾電池を使って、どのようなときに明かりがつくが調べる。ここで、一つの輪のようにつなげたときに明かりがつくことを子供は発見します。
2時間目 裸電球と銅線、乾電池を使って、どうすれば明かりをつけられるか調べます。2本の銅線は、豆電球の下側(黒い部分の下部)と側面にそれぞれくっつけると明かりがつきます。
ここでソケットを確認してみると、確かに下側と側面につながるように作られています。
3時間目 明かりのつく豆電球と、つかない豆電球を分ける。
箱の中には、明かりのつく豆電球と、切れた豆電球が混在しています。子供がこれらソケットにはめて回路作り、仕分けていきます。そのうちにきっとこう思うに違いありません。
「こっちの豆電球の明かりがつかないのはどうしてだろう?」
すると、明かりのつく豆電球と切れた豆電球を比べるはずです。比較は理科における大切な技能の一つです。よく見ると、明かりがつかない豆電球はフィラメントが切れていることが分かります。(虫眼鏡が必要になりますが、きっと子供から「使いたい」と言ってくれるはずです。)
ところが、フィラメントが切れていないように見えるのに明かりがつかない豆電球もちらほら見つかるのです。次の写真の豆電球は明かりがつかない豆電球ですが、フィラメントが切れているようには見えません。
ここで問いが立ち上がります。
「切れていないのに、明かりがつかないのはどうして?」
沈黙が広がり、次にざわめきだし、そして誰かがきっとぽつりとこう言うのです。
「・・・見えていない中身の部分で、線が切れているのかも。」
ここで、ようやく冒頭の教材の登場です。(まあ、こんなうまくはいかないんですけど・・・。)
ここまでいってようやく子供は、回路が一つなぎの輪のようになっていることを実感するのではないでしょうか。
ソケット無しの豆電球に銅線をつないで明かりをつける方法は、学校の先生でも知らない人がいました。やらせてみると、下の部分に2本ともくっつけてしまう人が多かったです。それだと輪にはなっていないですよね。学校の先生ですから一つの輪にならないと電流は流れないことは知っているはずです。もしかしたら、言葉を覚えているだけになっているのかもしれません。(その先生を非難しているわけではありません。私も言葉を覚えているだけのことばかりだと実感しています。)言葉を覚えさせるだけの授業をしないように頑張ります。目指すは概念の獲得です。