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ただの偶像でしかないんだよね
心に響いた言葉は、ふとした時に思い出して自分を元気づけてくれたり、考えを巡らすきっかけを与えてくれたりする。私は心理学を学んでいることもあってか、大学生活で心に残っている言葉は、心理学の専門家であるゼミの先生が私たちに授けてくれる言葉がほとんど。先生はゼミ中に話が脱線することが多く、その時に人間の本質について話してくださる。そこでの話が面白くて心に残るのだ。
12月のゼミで先生の言葉によって考えを改める機会があって、最近はその事についてよく考えている。
親子関係について研究しているゼミ生の進捗をみていた日、どういう流れでその言葉が出てきたのかは正直覚えていない。むしろ、ゼミ生も先生も何故そんな話になったのか忘れるくらい飛躍していた(飛躍するのはいつもの事なのでみんなも、先生自身も慣れているみたい)。私の心に残る言葉を仰られる時先生は大体、ため息をついて諦めているかのような声で話される。その時もそんなトーンで、
「私たちが相手に対してみている・感じているものはただの偶像でしかないんだよね」
と仰られた。
あっ、忘れていたなあその感覚。
私は自分の持つ勘や感性・感情を他の人より大切にしているほうだと感じる。それは、自分が初対面で感じ取った相手の性格は数年経っても変わっていなかったり、相手が考えていることを想像した際、後日答え合わせをしたら当たっていたりすることが多いから。
この大学生活は自分が生きてきた中で1番、自分の感性・感情を大切にしてきた期間で、その気持ちを言語化できるように頑張ってきたので自分の気持ちを中心として生活していた気がする。
けれど、相手との対話を通してはじめて偶像が実像となるため、私の相手に対しての考えは全て、偶像でしかない。いや、相手との対話を通してできた像ですら、私が相手に対して勝手に作り上げた偶像でしかない。
そういえば、私の見ているものは私だけの偶像でしかないと思う出来事が年始にあった。
1つ下の友達と初詣に行った際、小学生の時お世話になった先生に対してどのような印象を持っていたかの話になった。6年時の担任の先生は私の恩師で、その先生おかげで、家だけでなく外でも自分らしくいることの大切さを知り、内向的な私が外に目を向けられるようになった。聞き分けの良い私ではなく、悪知恵を思いつく意地悪な私をはじめてポジティブに受け止めてくれた先生だったので、その先生のことは当時も大好きだった。
その先生は私を担任してくれた翌年に1個下の友達の担任になった。
私はその先生のことを良い先生だと思っていたけれど、友達は苦手だったみたい。話を聞くと、理不尽に怒られることが多く、先生への信頼感は薄かったという。
当時のことを思い返すと私の学年は落ち着いていて、頻繁に怒られている人はいなかったけれど、1つ下の学年は活気があって毎日のように怒られているイメージがあった。そのとばっちりを友達は受けていたようだ。確かに、自分は何も悪くないのにまとめて全員怒られてばかりだと、その先生への信頼感が下がるのも当たり前だ。
私の恩師である先生は、私にとっては「私を認めてくれる存在」であったけれど、友達にとっては「自分をひとりの生徒として見てくれない先生」だったようだ。恩師の先生のことをみんな好きな先生だと思っていたけれど、それは私の作り上げた先生への「偶像」でしかなかったのだ。
最終的には「私は好きだけどね!」、「私は苦手だよ!」で話は終了し、自分の気持ちを大切にしつつ、自分の意見がみんなの総意だと思ってはいけないこと学んだ。
自身の感情や直感を信じて判断し、自分の作る相手への偶像を大切にしながらも、他の人からの視点を自分が出来る限り想像してみることは大切だなとふと思った。
ゼミの先生からご教授いただけるのもあと少し。最近は研究室に訪れて、抄録の添削を行ってもらうついでに、普段の生活や学部についてお話ししていただく。今吸収できるものを最大限吸収して、大学院に進みたいと思う。
追記
このnoteを投稿した後、ゼミの先生と連絡をとる機会があった。そこで、先生からとっても嬉しいお言葉をいただいた。
いろいろと周りに気を払ってくれて、必要なときは動いてくれて、ゼミ教員としてはとても助かりました。他の人達がそれに気づいているかは謎ですが🤔
貴方は思い遣りがあり大人なので、新天地でもより一層頑張れると思いますし、愛されると思います。
ご活躍をお祈りします。
あ〜嬉しい、、、素直に感情を表現することが苦手な私の気持ちを汲み取ろうとして、そして気づいてくださっていた先生には感謝の気持ちでいっぱい。ゼミ生の人柄、先生の人柄、自分のことを話しても大丈夫という安心感、全部ひっくるめて、このゼミに入って良かったなと思った。