「育ての心」を保育士の私が読んで感じたこと
倉橋惣三。
日本の保育の父と呼ばれる人で、日本の幼児教育の先駆けとなった、東京女子高等師範学校附属幼稚園(現・お茶の水女子大学附属幼稚園)で長く主事を勤め、日本保育学会を立ち上げた人物だ。
保育に携わっている人間であれば、一度は名前をきいたことがあるかもしれない。
さて、そんな倉橋先生の代表的な著書といえば、「育ての心」
子どもに信頼を寄せ、寄り添っている保育者としての言葉は、80年以上に書かれたとは思えないほどに現在の保育に通じるところがある。
私もまた、保育に携わっているものとして、感じることがある。
その中でも、題名にもなっている「育ての心」がよい。
「自ら育つものを育たせようとする心、それが育ての心である。世にこんな楽しい心があろうか。」育ての心 上 3
まず、子どもを「自ら育つもの」と考えている点がよい。
保育をしていると、子どもは大人に育てられている、と感じてしまうことがある。
子どもは守るべき存在で、大人が育てなければならない。
そのことは間違いではない。
けれども、子どもはわたしたちと同じ一人の人間だ。そして、子どもが育つのだ。
大人によってではない。
自ら育つのだ。
この点を踏まえ、保育者として、「育たせようとする」と書いている。
育てようではなく、育たせようとする。この言葉もいい。決して一方的ではなく、手助けをする。上からではなく、寄り添っているという雰囲気を感じられる。
保育者としてのあり方を、考えさせられる言葉だ。
そして、それが「楽しい心」なのである。
保育士として働いていても、あるよなと思う。
子どもが洋服を着ようとしている。頑張っているのだけど、なかなか着ることができない。
最初は見守って、次にその子の袖の裾をつまんでみると、なんと上手に着ることができたではないか。
その子の嬉しそうな表情。その顔を見ていると、私までもが嬉しくなっていく。
そんなことを思い出す。
保育者として迷ったとき、大変なとき、ふと立ち止まってこの「育ての心」を見てみると、なんだか心が晴れやかになったような気がするのだ。