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私は子どものことを理解している、と考えてはいけない理由
保育士の最も重要な仕事の一つとして、子ども理解がある。
子どもに対し、どのようなことが好きなのか、どのような場所が好きなのか、特別な特性があるのか、家庭環境はどうなのか、などなどの事柄を日々の保育や家庭とのやりとりのなかで理解していく。
その上で、保育室の環境を変えたり、給食の介助の仕方を考えたり、声かけを変えてみたりと日々の保育につなげていく。
保育士であれば、言葉にするまでもなく日々行なっていることである。
子どもを理解するということは、疑いようもなく保育士として重要な仕事の一つであろう。
だがときおり、保育士が「私はこの子のことを理解している」と考えてしまうことがある。
というか、私がそのように考えてしまった。
ある日のこと。
午前中の活動の中で、片栗粉の感触遊びを行った。
みんなが、片栗粉に触ったり、水を入れてかき混ぜたりする中で、Aくんだけが一人、電車遊びをしている。
以前、寒天遊びをした時も、春雨遊びをした時も、みんなの活動から離れ、違う遊びをしたから、Aくんは感触遊びが苦手なのだと私は理解していた。
だから、その日もAくんを誘おうとはせず、他のみんなでやろうとした。
すると、リーダーの保育士が、
「ぽとす先生、Aくんを片栗粉遊びに誘ってみてよ」
と話した。
私は内心、
「Aくんは感触遊びが苦手だから、やろうとしないんじゃないか」
とも思ったが、リーダーの言う通り誘ってみることにした。
片栗粉の前に立つと、案の定嫌がり逃げようとするAくん。
それでも、なおのこと片栗粉遊びを続けようとするリーダー。
「Aくんのことを理解していれば、これ以上誘うのはAくんを無理強いすることになるんじゃないか」
そんなことを思っていると、リーダーは片栗粉をジップロックに入れ、Aくんの目の前で水を入れ始めた。
途端に、逃げ出そうとしているAくんの動きが止まり、リーダーの手にする袋をじっと見つめる。
リーダーはその袋をAくんに渡した。
Aくんはその袋を受け取ると、モミモミと片栗粉の感触を袋ごしに味わっていた。
じっくりと遊んでいるAくんがいた。
リーダーは、Aくんは感触遊びが苦手とは考えなかった。
手に付くのが嫌なのかもしれない、じっくりと観察できることが好きなのかもしれない、そのような考えのもとにジップロックの袋を渡し、その結果Aくんは片栗粉の感触にじっくりと関わった。
今振り返ってみると、私はAくんを理解したつもりになっていた。
感触遊びが苦手、参加させても逃げる結果になるだけだろうと。
だが、それは間違いだったのかもしれない。
じっくりと片栗粉に関わるAくんを見て、そう感じた。
子どもを理解しようとすることは大事である。だが、理解したと考えてしまってはいけない。
それは、目の前の子を保育士の枠に当てはめ、可能性の芽を潰してしまうことになってしまうだろうから。