【#小説】 戸惑うぼくが ここにいて
幼稚園のころ、ぼくは、おじいちゃんが飛行機に乗っていたという話を夢中になって聞いていたらしい。
祖父母の家に行くと、いまだに、その話をされる。
しかも、ちょっとボケてきたおばあちゃんは、その話を1日に何度もする。
幼稚園のそれがきっかけだったのか、自分でもわからないけれど、ぼくは航空業界を目指していた。
といっても、なりたいのはパイロットではなく、地上で働くスタッフだ。
ぼくなりの理由は、笑われそうだけど、新しいことに挑戦する人を応援したいからだった。
うん、誰に言っても、「それでなんで航空業界?」って聞かれる。ぼくも調べるうちに、「なんで?」って思うこともあるけれど、自分の中では、ちゃんと筋は通っている。
インスタで知り合ったフランス人の女の子が、日本に合気道を学びにくることになった。
彼女は、初めての一人旅、緊張と長旅で、飛行機を降りた後に気分が悪くなり、航空会社のスタッフが付き添ってくれたらしい。そのスタッフに、日本へ合気道を学びにきたんだと伝えると、スタッフがこう言ったそうだ。
「この空港があなたの新しい挑戦のスタートになるのはうれしいです。不安や緊張は全部、ここに置いていってください。うちの飛行機が、空に飛ばしてきますから」と。
その話を聞いて、彼女以上に感動してしまい、そっか空港のスタッフって、新しい土地に降りたつ人を、初めて迎え、応援できる人なのかもしれない・・・そう思って、急に目指したいと思ってしまった。
でも、コロナがすべて変えた。
航空業界の採用は大幅縮小。採用中止がほとんどとなった。
ぼくは、何もする気がなくなった。
起きて、だらだらして、若干引きこもり気味に暮らしていたある日、
おじいちゃんが倒れたという連絡が入った。
9月後半なのに、ものすごく暑い朝だった。
コロナ禍ということもあり、ぼくが病院に行ったのは、おじいちゃんが倒れてから、10日ほどたっていた。
倒れた時は、父さんも母さんも、弘之おじさんたちも、覚悟していたらしい。でも、おじいちゃんの生命力はすごくて、その危機を乗り越えた。
90歳を超える昔の人は鍛え方が違うなと感心した。
その日一人で、病室に入ると、おじいちゃんは、窓の外を見ていた。
「おじいちゃん」、そう声をかけると、さすがにやつれてはいたが、声は元気で、「しゅん」と名前を呼んでくれた。
大丈夫と声をかけようとする前に、おじいちゃんが言葉を続けた。
「大変だな」
いや、それはこっちのセリフだよと思いながら、おじいちゃんの顔を見た。
「こんな時代で大変だな。航空業界、受けれそうか?」
全くボケるということを知らないおじいちゃんは、ぼくが航空業界を目指している話を覚えていた。
「おじいちゃん、覚えててくれたんだ。
わからない。どうしていいか、正直わからない」
ぼくは素直に言葉にした。父さんや母さんには心配かけまいと、他にもいろいろ探しているなどと、嘘をつくが、この時は無防備だった。
「おじいちゃんが若い頃な・・・・・」
あ、戦争の頃の話がはじまるんだ。そう思った。
小さい頃は、おじいちゃんはよく戦争時代の話をいろいろしてくれた。
ほとんど覚えていないけれど、飛行機に乗っていた話だけは、覚えていた。
自分がどんなに優秀だったか、自慢気に話すおじいちゃんに、小学校の頃は羨望のまなざしだったが、中学、高校の頃には、その話が面倒くさく思えてきて、あまりちゃんと聞かなくなった。
当時のぼくは、何もできない自分が恥ずかしかったんだと思う。自分とそれほど違わない年の子たちが、飛行機の訓練などをしている話は、ぼくの劣等感だけを増していった。
だから、戦争の頃の話を聞くのは久々だった。
おじいちゃんは、窓の外を見ながら、話を続けた。
「目標にしていたことがなくなるって、辛いよな。
世の中は、自分の力ではどうしようもないように動く。
抗えないことも多い。
自分が進む道がこれでいいのか、自信を持てないこともある。
そして、
自分が生きていていいのかわからないから、せめて自分はすごかったと自慢したり、自分がどんなに不幸なのか言いたくなる」
これは戦争の話?なのか、話の行方がわからず、ぼくは黙っていた。
「隼は、おじいちゃんの戦争の話、嫌いだったな」
そう言って、おじいちゃんは笑った。
「気づいてたんだ。ごめん」
「いいんだ。当然だ。
ばあさんにも、よく言われたよ。昔の自慢話はやめなさいって」
そう言って、おじいちゃんは、ぼくの顔をしっかりと見た。
そして、こう続けた。
「おじいちゃんな、来月、死ぬはずだった」
ぼくは、ちょっと声がでなかった。
そして、喉のあたりにひっかかっていた言葉をようやく音にした。
「まだ元気じゃない。おじいちゃん」
「死ぬはずだったんだ。10月に入ったら、新しい飛行機で、アメリカに突っ込むはずだった」
これは初めて聞く話だった。
いや、もしかしたら小さい頃も話してくれたのかもしれないけれど、当時は、ぼくには意味がわからなかったんだろう。
「訓練に明け暮れる毎日。まだ日本が勝つって信じてた。自分の腕なら、アメリカまで飛んで行ける、そう自負してた。
そしたら、戦争が終わった。
おじいちゃんに、目指していた10月は来なかった」
ぼくは、受け止め方に躊躇して、
「激動だね」と、それらしい返事をした。
「戦争が終わった頃のおじいちゃんは、こうして病室で、孫と話すような将来なんて、考えたこともなかった」
「おじいちゃんはどうやって、乗り越えたの?目標なくなって、しかも日本が負けて、どうやって、目標を見つけたの?」
ぼくは、すごい経験をした おじいちゃんだし、昔の人は、今のぼくらとちがって、肝が座っていたんだろうと思いながら、聞いてみた。
「乗り越えてなんていないさ。ただ生きていただけだ」
おじいちゃんは少し黙って、言葉を探しているようだった。
そして、こう言った。
「弱いことを、恥じるな」
ぼくは、その言葉を心の中で繰り返した。
ぼくは、ずっと、できないこと、決められないこと、うまく適応できないこと、それらに悩んでいたけれど、おじいちゃんの言葉で、気づいた。
ぼくは、悩んでいたんじゃなくて、恥じていたんだ。
上手く生きている人、上手く就職先を決めた人、自分よりできる人、自分より意思が強い人などに対して、ずっと、弱い自分を恥じていた。
「おじいちゃんは、この世の中に、突然出てきたわけじゃなくて、母さんや父さんがいたり、さらに、そのおじいちゃんがいたり。戦国時代にだって、きっと遠く血の繋がった先祖がいたはずだ。
その人たちが、みんな強く、意思を貫き、常に目標にむかっていたなんて思えんだろう? 戸惑うし、目標なんて失うし、いじけたりもしてたと思うよ。そう考えた方が自然だ」
「でも、厳しい中でも生き延びた強さがあったんでしょ」
ぼくは、小さな反論を試みた。
「強かったなんて、後から人がそう解釈しただけだ。
少なくとも、おじいちゃんは、あの戦争が終わって、目標を失った時、それこそ、今で言う、引きこもりみたいだったよ。
違う夢を探そうとしたとか、夢を失わないようにしたとか、後からは、どうとでも言えるけど、その時のおじいちゃんは、そんな立派じゃなかった。気づいたら、そうただ生きていたら、いつのまにか、違う目標にむかってた。
そして、気づいたら、こうやって孫と病室で話してた」
そう言って、おじいちゃんは、ぼくの顔をまっすぐに見て、笑った。
*********
年があけて、おじいちゃんは亡くなった。
静かに眠るようだったと、看護婦さんが話してくれた。
ぼくは、まだ少し引きこもっている。外にでないわけではないけれど、大学に行く気持ちも、新たな就職活動をする気も起きずだった。
でも、ことさらに自分を不幸だと思ったりはしないようにしていた。
そして、自分を恥じることもやめようと決めていた。
どんなにかっこわるくても、夢がなくても、そして、どんなに戸惑っていても、ぼくは世界(ここ)にいていいんだって、おじいちゃんが教えてくれたから。
END