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自分で見つけに行くんだ

週の後半になるにつれ夏らしい暑さが戻ってきたからか、今は疲労しているみたいだ。鏡で見た自分にはくっきりとクマがある。瞼も重い。水を飲んだら全て吐き出してしまった。何度うがいをしても喉のイガイガは治らない。足元がふらつく。手元も覚束なくてペットボトルのキャップを落としてしまった。全身から休めと言われている気がする。でも心はそこまで疲れていない。あれこれ考える力は残っているようだ。こんな時に身体と心は別物なんだなと思う。吐いた自分と濡れたキッチンを俯瞰で見れる。「ああ、自分疲れてるかもな〜」くらいしか思わないのは危機感が無さすぎるだろうか。自分のことなのに赤の他人のことのように感じれてしまう。次の日は疲れを取ろうと温泉に入ってきた。けれど昼に体温測ると熱があった。しんどいことが数値化されたから自分を納得させた上で休むことができる。疲れてる状態で温泉行くと十中八九で熱が出るのほんとにやめてほしい。体が休みだと判断する機会になっているんだろうなと思いながら寝れないけどベットで瞼を閉じている。

来週末は試験があるのにてんで勉強していない。ノルマも未達だし不合格だとまずいと理解しているのに何とかなるかと思っている自分はただの怠慢だ。昔から、「コツコツする」が苦手のレベルを超えてできない。今やるかずっと先にやるかのどちらかになって、明日やろうとかは絶対にできない。何でだろう。そうか。結局足りないのはいつもやる気と勇気と覚悟だな。そう思って熱があるけどノルマはクリアできたから万事OKってことで明日からも元気に働けそうだ。

何に対してもやる気と勇気と覚悟は必要だろうし、三本柱が地についてると今の生活も人間力(?)もレベルアップしてくれるのかな〜とか思う。街を歩いていてもすれ違う大人は生活も仕事もしっかりしていそうに見える。自分なんて到底子供なんて育てられないし、自分の未熟な部分が浮き彫りになって勝手に責任感の違いを見せつけられている。比べていいことなんてほとんどないけど一般的に将来なるべき姿があれで、一般的な幸せな休日の過ごし方があれで、そんなふうに考えてしまう。25歳の年。一般的なんて捨ててしまいたいがそれができない弱い自分に嫌気も安堵もセットになって、「やる気と勇気と覚悟は入っていません」と表記された箱で手元まで届く。変えたい変えたいとはいうが何を具体的にが決まってないから変えようがないのは当たり前。結局は自分の土台ができてない。待ってたら完成するのかな。サクラダファミリア状態になってる土台部分を何とか今年見つけないと。少しどころかだいぶ焦って探しに行こうと思う。

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