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愛が賛否を超えるとき 断罪と希望と「ジョーカー : フォリ・ア・ドゥ」


#ネタバレ

前作とはまた違うベクトルで、それはもうはっきりと楽しみました…とても面白かった

確かに続編として見た時に無粋なところがあるし、前作のシャープな語り口と比べて退屈な部分もかなり多い、それを誠意と見るか失敗と見るかはともかくとして、個人的には素晴らしい続編だと感じました





前作の公開当時、そもそもアメコミ原作映画が好きだったことに加えて、「これはきっとヒットするやつ」と確信していたのもあって初日に駆け込んだことをよく覚えている

そしてあまりの衝撃に劇場で二度観た、その後も定期的に鑑賞しては新たな発見があったりして、とにかくオールタイムベストのひとつには絶対入れたい大好きな作品です
それは別にアーサーを肯定するとか共感的に評価するということではなく、映画として魅力がありすぎるという観点からではあるんですが



前作はいわゆる「信頼できない語り手」としてのアーサーを軸に、あえて謎を多く残すことで観客に解釈の余地を与える作りで、描かれる出来事のショッキングさも相まって数々の議論を呼んだわけだけど


今回その余白をわざわざ、しらみつぶしに「あの件、実はこうだったんです」と懇切丁寧に説明していく展開が複数用意されているので、これはやっぱり前作を好きであればあるほど残念には感じられると思う

しかもそのほとんどが裁判という場所でなされる、まさに真実そのものを語る場で真相を語っていくので、これはな〜個人的にも少し残念ではありました、解釈の幅が狭められてしまった

このようにして「※画像はイメージです」を嫌味なくらい徹底的に説明するスタンス、これは確かに好き嫌いはあるよね…フィクションをフィクションとして楽しめる人からすれば蛇足でしかないし

あくまで映画作品としての芸術性や美しさを壊さない範囲でしっかり説明はしてくれていた前作と比べても、今回はさらに踏み込んで明確な線引きをする形をとっていた、とにかくこれは驚きでした



しかしそのようにして、高く評価されている一方で現実社会にさえ影響を与えてしまった前作の美点をも、作り手みずから潰しにかかっていることの意味というのはやっぱり考えたいところ

単なる火消しとか引責といったような言い訳の映画では決してないと思います、今のところは思っていますのでそのあたりの雑感を書き散らしておきたい









振り返った時に、やはりまずは全体を通してとにかく美麗で無駄のない画づくり!!!シリアスに物語を盛り上げる色彩感覚がとにかく見事だった

今回はミュージカル要素をふんだんに盛り込んでいるので、アーサーやリーの脳内世界を表現する現実離れした演出の数々がどれも楽しかったし美しかった
タップダンスまで見れるとは…あと白スーツのジョーカーもアニメで見て以来なので嬉しい


それからどの曲も、というわけではないだろうけどけっこうな割合で曲の裏に不穏な音を流していて、単に気楽なミュージカルシーンとしては描かないあたりも好きです


ただし今回、ミュージカル要素を入れるにあたって、そのほとんどが「歌ってるパートは全て妄想です」という描かれ方だったように記憶していて

そうなると「歌ってる時に現実では何も起きていない・話が進んでいない」という前提が強化されてしまうので、ストーリーが前進しないという意味で退屈に感じられてしまうところはあったかな
そういった虚実の歪みがまた、物語の切なさを加速させてもいくわけだけど




切なさで言うと、前作はアーサーが殺人を重ねていくにつれて狂っていく話だったのに対して
今回のアーサーは基本的に暴力を受ける側、破壊や殺人はあくまで妄想の中でという線引きになっていたのも印象的だった

髭剃りのシーンを始め、痛みの想像ができるような演出が文字通り痛々しく、相変わらずないがしろにされてしまうアーサーがやはりかわいそうではあり…
一方でおよそ反省や更生は望めそうにない傲慢なジョーカーでもあるという、どうにもやるせない展開が続いていく前半は辛かった

リーに出会って充実感に満たされていく中でもやっぱり不穏な影があり、どうしたって幸せになれないアーサーという予感が悲しい




そこから丁寧すぎるくらいじっとりと進む裁判シークエンスを経て、物語は結末へ向かっていくわけですが



先天的な特性、不条理にまみれた生い立ちなどはあれど、それでもアーサーは自ら主体的に人を殺し、責任能力もあった
そこにはっきりとNOを突きつけることを、単にコンプラ的なバランス感覚ではなく、あくまで物語上の因果応報の範囲で着地させる展開はやっぱり見事だと思う

最終的にアーサーがあのポーズでああなる、という結末によって完全に輪を閉じて見せたのも、突き放したエンディングではありながらいろいろな感情が去来する、とにかく忘れがたいシーンだったな



アーサーを刺した男が自らの口をナイフで切っているように見えた、さながらダークナイトにおけるジョーカーの誕生譚にも連なるような大バッドエンドとも言えるラスト

アーサーは涙を流すでもなく、口から血のようなものが流れて終わり、そのあっけなさ・美しくなさもまたエンディングとしてふさわしい堂々たる描き方だったと思う






でも個人的には、あながちバッドエンドなだけでもなかったなと感じていまして


世間の声に翻弄されながら虚飾と妄想を行き来したその果てにあったのは、自らの大きすぎる罪に対する救いようのない報復、なんならその報復は「自らの罪を認めた」ことが引き金になった…という皮肉でもあったわけだけど



前作は「共感できる悪に見せておいて、当の本人は共感すら求めない絶対悪」という読み取り方ができる結末だったのに対して

今回はある意味ではっきりと対照的に、「自分が取り返しのつかない罪を犯したことを受け入れ、あくまで個人としての贖罪を選ぶ」というきわめて素直な、誠実とすら呼べる行動に出るという展開になっていて

またそのきっかけになるのが同僚ゲイリーの優しさであり、リーの暖かい受容(実質的にはアーサー本人への愛情ではなかったにせよ)であり、さらにはアーカムアサイラムでただひとりアーサーを慕ってくれていた若者の理不尽な死であったことを考えると

虚実が入り混じる中ではあったけれども、アーサーが生身の人間との直接的な繋がりの中で主体的に結論を出す、それは広い意味で「人間の愛や関心が心を動かし得る」というまっすぐな希望でもあると感じました


そしてそれが例えば自室や牢獄のような閉じた場所ではなく、社会そのものとも言える法廷の場での贖罪というのもやはり、アーサー自身が壊してしまったものへの明確な償いではあったわけで


愛が人を動かす、というシンプルで真っ当なメッセージをこの地獄絵図の中で切実に描き切る作品でもあった、と今の段階では感じています

前作のように人生は悲劇か?喜劇か?という閉じた二択問題ではなく、より豊かな生き方の模索へと話が広がっているのも続編として魅力的なポイント
模索した先に何があるか、は必ずしもハッピーエンドとは限らないのが今回の悲しさでもあるんだけどね




弁護士やドクターたちのようにアーサーを擁護する側も、ジョーカーに心酔するリーたち信者の側も、見方が違うだけでやはりアーサーを自分の見たいように見ているし、実際救えなかった

じゃあどうすればいいのか、そこはきっと観客に委ねられている部分だし、単なる考察やら解説ではおよそ答えが出ない問いかけでもあったように思う








前作で誤解を招いてしまった部分を丁寧に拾いながら、殺人や破壊を悪としてはっきり断罪し、最終的にはアーサーを殺すという結末

確かに前作のネガティブな影響力を踏まえて「本当は悪いことしちゃダメですよ!もちろん分かってますから!!」ということでもあるだろうけど、ただそれを描くだけならリーやゲイリーの存在は別に関係なくなってしまうわけだし

全てをあけすけに暴露する語り口が基本ではあるけれども、果たして最後にアーサーとの面会を希望したのは誰だったのか、それを考えるだけで心が締めつけられる

人と人とがどうすれば信じ合い、支え合うことができるのか?
数々のショッキングな描写を通して前作・今作が連なって問いかけるもののひとつには、そういった部分もあるように思いました





それから「こんなにもアメコミ原作と関係ない話をやるなら、そもそもジョーカーという名前じゃなくてもいいんじゃないか」みたいな話も前作の時けっこう出たと思うんだけど、個人的にはジョーカーという題材だからこそ狙いが成功した映画だと感じている

というのは、特にダークナイトの大ヒットを受けて世間ではすっかり「悪のカリスマ・ジョーカー」が浸透しきってるところがあり
観客も作中のゴッサム市民たちと同じようにアーサーをカリスマとして見ることができる、現実とゴッサムの境界が曖昧になるところはジョーカーならではの効果だったんじゃないだろうか、という部分で

観客が想定するリアリティーラインをある種メタ的にグッと引き下げることができるというか

それゆえ観客によっては期待するものに大きな差異があり、拍子抜けに感じる人も出てくるのはやっぱり致し方ないんだろうなと思う
さらに今回はハービー・デントが出てきたり、バットマン文脈での広がりや掘り下げを期待してしまうのはファンなら避けられないだろうしね

ジョーカーとは何者なのか?この作品を観ている自分もジョーカーたり得るのか?みたいな受け止め方にも容赦なくNOを突きつける、そういう意図は今回強くあったように思います





観客の評価が賛否まっぷたつなんです!というのは、いかにも興行の打ち方として扇情的だし成功してる部分もあると思う、実際これは賛否分かれそうだとも感じた

しかし個人的には、とにかくこの作品が描く地獄や狂気やユーモアは単なる露悪ではなく、「それでも愛を信じる」というきわめてポジティブな思いが込められているんじゃないかと、そういう気持ちがあり書き散らした次第です

エンタメとして楽しめる要素もたくさんあるしジョーカーはやっぱりかっこいい場面も多い、それでいて単に消費されていくような薄っぺらい作品では決してない、いろいろな受け止め方に耐えうる強さがあると思う

自分にとって大切な作品になりました、観ることができて本当によかった!!!取り急ぎ言葉でまとめてみたけれども、今後も折りに触れ思い出していろいろ考えるんだろうな


#映画 #ジョーカー #フォリアドゥ #感想 #映画感想文

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