noteのいいところ

4月後半からnoteを始めてもうすぐ1ヶ月になるところで、ふとnoteのいいところを考えてみました。

noteはストレスなく続けられる


文章を書くということはとても好きでした。上手い下手は置いておいて、今もとても好きです。

モヤモヤしたり、落ち込んだりしたときは携帯とかパソコンのメモにこれでもかというほどの勢いで書きなぐって(打ちなぐる?笑)文章にすることで気持ちを整理していたし、

なにか思いついたこと考えたことがあれば、どんなにくだらなくてふざけたことでも、大事に言葉にしていました。

おそらくnoteを書いている人ならみなさん知っている、

自分の頭や感情と、自分の書き出す文章の強烈なつながり、をわたしも心から大切にしていて、

言葉としてはっきり出すことで、自分がどれほど曖昧な気持ちで怒っていたかとか自惚れていてかとかがわかったし、

一方で、悲しいことはどう悲しいかと合わせてなぜ悲しいかを言葉にすると、なんだか客観的になって悲しさが薄れていくことがかなりの快感でした。

(それに、こういう感情的な文章ほど、あとから見直すと結構おもしろい笑
恥ずかしいけど、本音で話してる感じがして(自分の文章にも)信用できる)

ここなのだと思います。

文章を書くことが快感。

文章を書くこと、それ自体がもう楽しい。

正直、週に何度も何度も投稿し続けられるとは思わなかったです。

本当を言うと初めの7日間以降は毎日更新しなくなってしまいましたが、それでも

あ、書きたい

と、ふとしたときに沸々とわいてきます。

しかも、noteがあれば、誰かに読んでもらえるかもしれない。誰にも読まれなくても、少なくとも、誰に何を伝えようとしているのかを自覚することができる。

これこそが、noteのいいところなのではないかなと感じています。

noteはみんな対等

それから、noteを書きはじめてから初めて、

文章を前にして、ひとはみんな対等になるんだなと思いました。

文章の上手い下手はあるかもしれないけど、出した言葉はその人だけのものだし、同時にその人自身を表現したものでもある。

顔もスタイルも関係ない、仕事も関係ないし、家も車も名声も関係ない、思いこがれて吐き出した言葉自体にそのバックグラウンドは関係ないのだと思います。

もちろん、どんな文脈で話しているのかがダイレクトに響いたり、誰かを傷つけるような乱暴な言葉を出すことはよくないし、意図せず傷つけてしまったり、意図して操るなら責任を持ってフォローをすべきです。それを前提に、

自分の書いたことは垣根なく誰にでも読んでもらえて、しかもそれが自分そのものであるということの解放感たるや!笑

たしかに、有名なほどスキがもらえるとかフォローされる可能性が高いという部分はあるにしろ、「他人からの評価」を気にしないんだとしたら、

これほど、対等で、平等な世界はないのではないかなと思います。




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