メモをとる、思考を整理する。
ゲイドルのぽたろうです。
今更ながら外山滋比古氏の「思考の整理学」を読みました。
レトリックの魔術。と言うべきエッセイで掴み所のないような文章が続いて結局のところ何が言いたいのかわかるようでわからなかった。
外山さんの文章は心地よくて、立ち止まるような感覚がある。ビジネス書のノリで何かを得ようと力んでいては、なにも手に入らない。
東大京大でベストセラーなのは、冒頭にあるグライダーと飛行機の例えにあるグライダー人間(詰め込み型の自走できない人間)というのが、身につまされるからなのだろうか。
そんな人ばかりじゃないような気がするけどなあ。
私が生まれ育ったところは、県内の学力レベルが低く、他県に進学しない場合選択肢が限られてくるところだった。私は限られた選択肢のなかで、地元の名門進学校とよばれる高校に進学して、やる気が消失して落ちこぼれた。
そんな地元の進学校でさえ、パズルやクイズを解く要領で数学やら物理やらが好きな変態がいて、彼らは旧帝大の理学部なんかに進学してたけどなあ。
努力型でコツコツ勉強して記憶力を頼りに勉学に励む人だって、継続して努力しているんだから素晴らしいし目標があるんだろう。人は変えられるし、人によって変えられる。語りがうまいからか作者は問題提起はすれけれど、そこまで切羽詰まっているわけでも困っているわけでもなさそうで、類型化してレトリックで装飾していい気になってんじゃねーよとか、思いながら意地悪な感じで読み進めておりました(申し訳ございません)。
そしたら、うんうん、と頷けるようなことも書いてあって、私なんかよりも数倍人生経験豊富な御人に文句を言うのもよくないね、という境地に至り。
年明けくらいに前田裕二「メモの魔術」を読んで、この本自体は前田さんが凄いなというが主なのですが、要約すること抽象化することの意味についてビジネス自己啓発系の文脈から語られていました。その後に「人生の勝算」を読みまして、エモいなと思ったわけでありますが。
思考の整理学に戻って、朝の方が集中できる、というのは真理だと思う。
自分も朝型生活に変えて、朝のゴールデンタイムを有効に使いたいと思うのだけど、結局のところバタバタしたりスマホに時間を奪われてしまう。
時間があるときに余裕があるときに出会えばまた違ったのかもしれません。と思ったときに、学生に読まれるのは訳があるのだなと思いました。