ワタクシ流☆絵解き館その255 旧約聖書の物語が導いた青木繁「大穴牟知命」
明治40年1月、金尾文淵堂から中村春雨著「旧約物語」が出版された。この本の挿絵を描いたのが青木繁である。この本には、西洋画家たちが、聖書の記述場面を描いた絵画が写真版で添えられている。
この本の挿絵作画は、1906 ( 明治39 ) 年の青木の仕事である。つまり、この頃、青木が旧約聖書や、中村春雨の「旧約物語」の原稿文を読んでいたことになる。
💡 この「旧約物語」に載る西洋画家たちの絵を見てゆくうちに、一年ほど前の制作になるが、1905 ( 明治38 )年の「大穴牟知命」の構図を決めるに当たり、この「旧約物語」に載る西洋画家たちの絵が、明治38年にはすでに念頭にあって、そこからヒントを得ていると思われてきた。
調べてみると、中村春雨「旧約物語」の出版広告 ( 下に掲げた ) には、こう記されていた。
🎯 やはりそうであった。つまり中村春雨「旧約物語」に載る西洋画は、青木が選んだのである。著者の中村春雨は劇作家、小説家であり、早稲田大学の教授もした人だが、美術の専門家ではない。
それでは「大穴牟知命」の構図のヒントにしたと私が思った「旧約物語」に載る西洋絵画を下に並べる。モノクロ図版は、「旧約物語」より。カラー図版は今日利用できるフリー画像より用いた。
🎨 イスラエルの英雄であり指導者であるサムソンが縛られている図である。サムソンのストーリーはこみ入っているので省略する。要は、勇士は裸体で描かれる、という決め事を、大穴牟知命にも援用する参考になっていると思われる。
🎨 下の絵「荒野のエリア」は、一目で、「大穴牟知命」との類似性が見えてくる。
この絵「荒野のエリヤ」に照応する中村春雨「旧約物語」の場面は、こういう描写である
もう少し、簡単にいうとこういうストーリーだ。
預言者エリヤは、迫害を受けて荒野へと逃げ延びて来たものの、やがて食料と水が尽き死を覚悟して神に祈った。 すると、神が遣わした天使が現れ、エリヤにパンと水を与えた。天使に救われたエリヤはこの後、再び立って、荒野での40日に及ぶ旅を続けて目的の地へたどり着いた。
このシーンを描いた別の絵として、ルーベンスの作品を下に示す。
🎨 この話は、憎まれて計略にはまり大やけどを負い死んでしまった大穴牟知命であったが、生き返らせるべく遣わされふたりのヒメが作った霊薬により生き返り、大穴牟知命がまた旅立って行ったという、青木が絵の題材とした「古事記」の叙述に、大筋で通い合う説話であるのを感じる。
青木の絵のふたりのヒメが、さすがに天使のようには翼はないものの、天使を連想させる白い装いと肌の露出を見せている点が、そして何より、顎を上向け、力尽き倒れた男の裸体に、フレデリック・レイトン「荒野のエリヤ」の構図と共通するイメージがある。
🎨 下の絵は、「旧約聖書」で語られるスザンナの話で、「スザンナの水浴」として多くの画家が描いている場面である。この絵の背景と青木の「大穴牟知命」のつながりはない。
しかし目に止まるのは、乳房に手を当てた構図だ。もちろんこのポーズは恥じらいの様子であり、「大穴牟知命」のウムガイヒメが、乳房をつかんでいる意味とは異なる。
それはわかった上で、青木が数ある「スザンナの水浴」図 ( たとえば下のテオドール・シャセリオーの絵 ) がある中、ペロネスの絵の構図の方を選んだところに、絵画の雰囲気づくりの参考にしたという想像も可能だ。
🎨 さらに、下の絵、ジェームズ・サントの「ささげ物」のこちらを向いた女性の視線も、「大穴牟知命」のウムガイヒメの視線を連想させるものだ。
🎨 写真で載っている預言者エリヤが隠れ住んだ荒野の様子も、「大穴牟知命」の背景に転用したのか、と思わせる雰囲気がある。
🟠「海の幸」で名を高めた青木にさっそく舞い込んだ金尾文淵堂の「旧約物語」の仕事は、青木には金になるいい仕事であり、力量を認めてくれている喜びもあったことだろう。
張り切って、以前から興味も持っていた西洋の宗教絵画の中から、物語に相応しいものを選んでいるうちに、自然に構図を学ぶところがあったと考えられるのだ。中村春雨「旧約物語」の挿入画像選択と「大穴牟知命」の構図の着想は、同時進行で進んだと推察する。
令和5年12月 瀬戸風 凪
setokaze nagi
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