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ワタクシ流☆絵解き館その216 青木繁「運命」ー絵画エッセイ風に(青木繁生誕140年記念展)

アーティゾン美術館の所蔵品を中心とする「生誕140年 ふたつの旅 青木繁 ✕ 坂本繁二郎」( 巡回展 2022年11月 二人の故郷である九州久留米の久留米市美術館での開催 ) を鑑賞し、青木繁の全画業を通覧することができた。
繰り返しデジタル画像や画集で見て来た作品ながら、実物を凝視してこそわかったこと感じたことを、青木の作品に絞り、作品ごとに書いている。今回は、小品ながら青木の本念が塗りこめられている「運命」。

青木繁「運命」油彩 1904年 東京国立近代美術館蔵

この美術展を久留米に見にゆく直前まで、noteの記事執筆のため、青木繁が白馬賞を受賞し、現在タイトルの記録だけが残っている幻の作品について考えていた。
それは、この「ワタクシ流☆絵解き館」の連作「《白馬賞》 青木繁・幻の受賞作品へのアプローチ」として7つの記事にして来た。読んでいただいた方もおられるだろうか。
(おられましたら、ほんとうにありがとうございます)
《白馬賞》 青木繁・幻の受賞作品をあれやこれや検討している際、インドの古代説話と「古事記」の両方で、ある説話に、この絵「運命」が浮かんで来た。

■「運命」は何の場面を描いているのか?―ヴィシュヌ神の化身・マツヤの説話で語られる洪水

先ず、インドの古代説話の方から語ろう。様々な文明にある「洪水伝説」のカテゴリーに入る話で、こういう内容だ。

古代インドの聖典の中に、ヴィシュヌ神という神が登場する。そのヴィシュヌ神は、いくつかの姿に化身する。《白馬賞》 青木繁・幻の受賞作品の記事で触れた「狗楼須那―クリシュナ」もヴィシュヌ神の化身のひとつ。しかし第一の化身は、マツヤである。この説話は、青木の視野にはあったはずだ。

このマツヤのストーリーの中に、太陽神スーリヤが出て来る。以前の「ワタクシ流☆絵解き館その109」の記事で、青木の「輪転」という太陽の光があふれている絵を、古代インドの賛歌集ヴェーダにおける信仰対象の太陽神、スーリヤの説話から題材を採っていると解釈した。つまり、同じ関心の範疇に入っていると言える。
マツヤは魚に化身したヴィシュヌ神で、それを見つけたのが太陽神スーリヤの息子、マヌである。その魚は、日ごとにどんどん大きくなり、飼いきれなくなって海へと戻そうとすると、魚は「7日後に大洪水が来る」と告げる。そして予言どうりに大洪水となる。マツヤがその洪水の中に現れ、船をヒマラヤまで引き上げて助けるという展開である。

塑像 ヴィシュヌ神の化身マツヤの姿 半身漁の姿をしている

マツヤは上の図版や下の絵に見るように、半人魚の姿をしている。その姿と、洪水から連想する水の動き、それが、「運命」に描かれた大きな潮流と半人魚めいた様子に重なった。

制作地:インド 18世紀前半 紙に水彩、銀彩 ビーカーネール派  東京国立博物館

■「運命」は何の場面を描いているのか?―天照神話

そしてもう一つは、「運命」に描かれている中央の珠 ( 霊力のある鏡?) をキーワードに考えていて目に止まった論考だ。
以下は、東洋大学国際地域学部の西川 吉光先生の「国際地域学研究 第 20 号/2017 年 3 月」の掲載論文「海民の日本史2  日本神話に見られる海洋性」からの教示による。
この論考で引用されている、十文字学園名誉教授の溝口睦子先生 ( 令和3年にご逝去 ) の著作「アマテラスの誕生―古代王権の源流を探る (岩波新書) 」には、日本の古代説話の太陽神で、天皇家の祖先である「アマテラス」とは、「天照らす」の意だが、古代語では「海」も「天」も同じく「あま」であり、「アマテラス」は「海照らす」の意味も持つと説明されている。
筆者は、青木は、東西文明にわたり太陽神に大いなる興味を持っていたと考えている。太陽神信仰をキーワードにして見ていると、絵の謎に近づいてゆける作品が幾つかあると思う。
ともあれアマテラスー天照大神は、「古事記」では太陽を司る女神と解釈されている。「アマテラス」神話を、青木はわが国の太陽神の神話として深く読み込んだだろう。
さらに、溝口睦子著「アマテラスの誕生」では、アマテラスは高天原と呼ばれる天上界に住んで いるが、この神も、その誕生の場は海である、と説く。ここに青木の絵「運命」につながる潮流の場面が想起される。

■「運命」は何の場面を描いているのか?―須佐之男命(スサノヲノミコト)に渡した珠

そして、話はアマテラスの弟神であるスサノヲのことになるのだが、スサノヲがすさまじい勢いで天地を揺るがして姉のアマテラスの処へやって来るので、 そのあまりに荒々しい行動に、アマテラスは天上の高天原を奪うつもりではないかと警戒する。スサノヲはそうではないことを証明するために、神意を問う誓約(うけい )をかわすことを持ちかける。
誓約の内容 は、アマテラスがスサノヲの剣をもらい、スサノヲはアマテラスの珠( 宝石 )をもらうという相互交換。ここに霊力を持った珠が出てくるのだ。
古事記の原文読み下しではこうなっている。
  天照大御神の左の御髻 (みみづら) に纏 (ま) かせる、八尺 ( やさか ) の勾璁
   ( まがたま ) の五百箇 ( いほつ ) の美湏麻流 ( みすまる ) の珠を乞い渡して
                                                                                                     ( 以下略)

文中の「八尺」も「五百」という数字も、単に大きいとか多いこと、「みすまる」は勾玉が数珠つなぎになっているさまを表すものと解されるから、大きな勾玉がたくさん連なった、という表現である。
そしてアマテラスから受けた珠を、天の真名井で漱ぎ噛み砕いたスサノヲの口 からは、オシホミミ( 忍穂耳 )を初めとする5 柱の男神が飛び出したという凄いことになるのが、この神話の続きになる。
この話に出て来る、珠と、鬘 (みづら) に注目する。
青木の「運命」の画面に散らばる珠と、古代神を思わせる人物らしき様子が、上述の文章とイメージで結びつく。またこれは、神生みの壮大な場面だが、その豪壮さのイメージが「運命」の身をちぎる大きな潮流にも重なって見えて来る。
もちろん「運命」には三人描かれているとか、高天原なのに海のように見えるとか、この話と符合しない面もある。
絵のイメージの核として考えられる、ということを言いたいのだ。

■ 実際に絵を見た結論は‥‥

では実際に会場で「運命」を見て、上述の仮想のどちらを近く感じたかということだが、どちらもぴたりと添う感じはしなかったと白状しなければならない。
リアルに感じていたのは、過去に「ワタクシ流☆絵解き館その117  青木繁絶筆《朝日》それを風景画と呼ぶべきか?」で述べた思いだった。再掲する。

 この絵 (「朝日」) からはまた、冒頭に述べた青木の一枚の絵が呼び起される。「海の幸」を描いた年、1904年制作の「運命」だ。
 二作品を比較すれば、「運命」のラフスケッチ風の描き方とは異なり、「朝日」の筆致は完成度の高さを示す。また主題の受け止め方は、絵を前にした者に委ねられている哲学的なタイトルの「運命」に対し、「朝日」はタイトルが示すとおりの明快な風景画だ。同じ画想からなる作品とは言えないだろう。
 しかしこの二作品は重なって見えてくる。「運命」を描いているとき、青木の心が太くうねる渦に打たれていたように、「朝日」もまた、海に洗われるただ中に立っている。青木の心はもう岸にはいない。

展示順としては、「運命」は、入り口近く、「朝日」は出口近くなので、一巡し、最後の展示作品「朝日」の前に立った後、会場を逆にたどって再び「運命」を凝視した。そこで上に再掲した思いを再度味わうことになった。

「運命」の流れうねる髪は、「朝日」の上空のたなびく雲へとイメージを引いている錯覚があった。
「朝日」の旭光を受けて橙色に照り映える海面には、「運命」のよじれた赤い下半身が波間に沈み切り、色の名残だけを余情としているように見えて来た。

筆者の加工によるイメージ画像 元の絵は青木繁「朝日」全体図 および「運命」部分
青木繁 「朝日」油彩 絶筆 1910年 佐賀県立美術館寄託 

この二枚の絵が、筆者の中でなぜ分かちがたく結びつくのかは、誰にも納得がゆく理屈では語れない。パーソナルな思いである。
1904年当時、青木を衝き動かしていた創作の炎が、「運命」という絵を描かせた。「海の幸」「わだつみのいろこの宮」、その両名作の核心を「運命」は内包しているように筆者には感じられる
一方絶筆の「朝日」から感じ取るのは、遺書で述べているように、貧乏絵描きとして果てるという凍るような慚愧の念に襲われながらも、創作の炎こそが己が画業を支えて来たと自負し、全ての歩みを肯う青木繁の澄明な境地が現れていることである。
だからこそ、制作された数年の時間の隔たりと、その間の痛ましい境遇の変転を超えて、この両作は、同じ手の、同じ絵筆の、同じ精神の、同じ魔性の働きにつながれているものとして浮かんで来るのだろう。

違う部屋に展示されたこの二作品を、並べて鑑賞してみたいという熱い思いが、「運命」を前にし、「朝日」を前にして筆者の心に打ち寄せていた。

                   令和4年12月    瀬戸風  凪
  






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