見出し画像

詩の編み目ほどき⑪ 「雲はぎらぎら光り」宮沢賢治の詩の言葉を考える

宮沢賢治の詩集「春と修羅」所収の「第四梯形」という詩は長い。
詩句の説明は、学者先生たちが詳細に語られており、私にはそれに並ぶ学識教養もないので、詩行ごとの解釈をするものではない。この稿では、目に止まる表現を拾ってゆき、そこから賢治の詩の特徴を探りたい。

「第四梯形」      宮沢賢治

   青い抱擁衝動や
   明るい雨の中のみたされない唇が
   きれいにそらに溶けてゆく
   日本の九月の気圏です
   そらは霜の織物をつくり
   萱(かや)の穂の満潮
     (三角山はひかりにかすれ)
   あやしいそらのバリカンは
   白い雲からおりて来て
   早くも七つ森第一梯形(ていけい)の
   松と雑木を刈りおとし
   野原がうめばちさうや山羊の乳や
   沃度の匂で荒れて大へんかなしいとき
   汽車の進行ははやくなり
   ぬれた赤い崖や何かといつしよに
   七つ森第二梯形の
   新鮮な地被(ちひ)が刈り払はれ
   手帳のやうに青い卓状台地(テーブルランド)は
   まひるの夢をくすぼらし
   ラテライトのひどい崖から
   梯形第三のすさまじい羊歯や
   こならやさるとりいばらが滑り
     ( おお第一の紺青の寂寥 )
   縮れて雲はぎらぎら光り
   とんぼは萱の花のやうに飛んでゐる
     ( 萱の穂は満潮
      萱の穂は満潮 )
   一本さびしく赤く燃える栗の木から
   七つ森の第四伯林青( ベルリンブルー  )スロープは
   やまなしの匂の雲に起伏し
   すこし日射しのくらむひまに
   そらのバリカンがそれを刈る
     (腐植土のみちと天の石墨)
   夜風太郎の配下と子孫とは
   大きな帽子を風にうねらせ
   落葉松のせはしい足なみを
   しきりに馬を急がせるうちに
   早くも第六梯形の暗いリパライトは
   ハツクニーのやうに刈られてしまひ
   ななめに琥珀の陽も射して
     《たうとうぼくは一つ勘定をまちがへた
      第四か第五かをうまくそらからごまかされた》
   どうして決して そんなことはない
   いまきらめきだすその真鍮の畑の一片から
   明暗交錯のむかふにひそむものは
   まさしく第七梯形の
   雲に浮んだその最後のものだ
   緑青を吐く松のむさくるしさと
   ちぢれて悼む 雲の羊毛
     (三角やまはひかりにかすれ)

           「心象スケツチ 春と修羅」「より
           「1923、9、30」
  ■ 難語解説
 「梯形」       台形のこと
 「地被」       地表を低くはびこる植物をさす
 「伯林青( ベルリンブルー )」  色の名・プルシャンブルー 濃い青
 「ラテライト」    紅土。鉄、アルミニウムの水酸化物を含む
 「リパライト」    流紋岩
 「ハツクニー」    イギリス原産の馬ハクニー   

詩集「春と修羅」所収
ハツクニー ( 馬の種類 ) 

🧵 明るい雨の中のみたされない唇が

「青い抱擁衝動や / 明るい雨の中のみたされない唇が / きれいにそらに溶けてゆく / 日本の九月の気圏です」という冒頭の表現の裏にある心理を伝えている詩が、「春と修羅 第三集」所収の「作品第一〇七四番」に見えていると思う。下にその詩の部分を示す。

  青空のはてのはて
  水素さえあまりに希薄な気圏の上に
  「わたくしは世界の一切である
  世界は移ろふ青い夢の影である」

宮沢賢治「春と修羅 第三集」より 「作品第一〇七四番」部分抜粋

上に掲げた詩には、賢治の解脱を願う心、無常を感得しようとする情念が、青い空に目を向けさせている姿がある。そこから感じ取れるのは、「青い抱擁衝動や」以下の表現は、解脱を得、無常を真に受け止めたいという希求であり、仏教への信仰心であろう。
あえて表現をひも解くなら、「青い抱擁衝動」は、九月の、濃密な、目を眩ます夏の余光をまだ残しながらも、空が次第に、秋の青の色調を浮かび上がらせてゆくさまの形容であり、「明るい雨の中のみたされない唇」は、晴天の中の霧雨、いわゆる天気雨  ( きつねの嫁入り ) が、周囲を濡らすほどの影響もなく、あわあわと、過ぎ去ってゆく儚い思いを、かそかに触るるほどの口づけを連想させて、「みたされない唇」と表していると思う。「青い抱擁衝動」という形容とつながった表現であろう。

しかし、この詩でほのかに艶めいた雰囲気を思わせるのは、この冒頭部分だけである。全体的には、童画的でかつ、辞典の説明画像ふうな乾いた絵画的感覚である。

🧵 早くも七つ森第一梯形〈ていけい〉の

以下、
「七つ森第二梯形の」
「梯形第三のすさまじい羊歯」
「七つ森の第四伯林青 ( ベルリンブルー ) スロープ」

伯林青 ( 一般にはプルシャンブルーという )

「早くも第六梯形の暗いリパライト」
「まさしく第七梯形の」
と、山の並びに番号を付して、まるで地理の解説書のように地形の特徴を語る。

この詩の舞台になった盛岡市西方の実景は、写真で知るのみだが、確かに番号を付してもおかしくないような、小山が横並びに並んでいる。ただ、小山に付けたこの番号は、賢治だけが用いた詩の中の呼び方である。
事象を先ず数字にして大づかみにし、また情景を数値で表現するのが賢治の思考のスタイルであり、それは嗜好とも癖とも言ってもいいだろう。

もちろん、数を出すのは事象を明確にする一般的な手段だが、賢治の場合、数値を出さなければ、文章が成り立たないという感覚があって使っているように思える。
「いくらかの」とか「相当の」とか「何人かの」とか、数値は示さない表現だと何も気にせず読み流すところを、数値が示された賢治の文章の部分ではしばしば立ち止まる。
詩ではないが、場面が浮かびやすいように、よく知られた童話「銀河鉄道の夜」から、その特徴を拾ってみる。

📓 ジョバンニはすぐ入口から三番目の高い卓子テーブルに座すわった人の所へ行っておじぎをしました。
📓 その三つならんだ入口の一番左側には空箱に紫むらさきいろのケールやアスパラガスが植えてあって
📓 一秒ごとに石でこさえたふくろうの赤い眼めが、くるっくるっとうごいたり
📓 蹄の二つある足跡のついた岩が、四角に十ばかり、きれいに切り取られて番号がつけられてありました
📓 「ええええ河までは二千尺から六千尺あります。もうまるでひどい峡谷になっているんです。」
📓 両足をかっきり六十度に開いて立って、鷺のちぢめて降りて来る黒い脚を両手で片かたっ端ぱしから押えて
📓 店の前に女たちが七八人ぐらいずつ集って

七つの小山 ( それぞれ地理としての名称がある ) を、固有名詞で言うのではなく、第一から第七の番号で、しかも山でも森でもなく「梯形」と呼んだところに、賢治が情景を、固有名詞が与える印象から切り離して即物的に表現しようとする姿勢を見るのだが、一方、「卓状台地(テーブルランド)」や「ラテライトのひどい崖」や「第四伯林青(ベルリンブルー)スロープ」など、まったく馴染みのない、何なのだそれは?と言いたくなる名詞も頻出し、読者を突き放していると言ってもいい。

学校の授業で詩作があったとして、賢治のように特殊な名詞を羅列したとしたら、教師から「こういう名詞は、観単に説明を加えましょう」と、指導されることは間違いないだろう。
図譜化していると言っていいような辞典的な表現様式と、読者に意味がわからなくても構わないといった詩法が同居するこの矛盾は、意図的であると思うほかなく、賢治の詩業全般に認められる。

🧵 縮れて雲はぎらぎら光り

「ぎらぎら光る」という表現を、賢治は好んで使う。賢治の作品を読めば、どこにでもと言えるほど、この表現に当たる。
その上でさらに、上の「縮れて雲はぎらぎら光り」と同じ様子の表現は、ことに賢治は好んでいる。その例を以下に示す。

「雲が縮れてぎらぎら光るとき」       🔹詩「火薬と紙幣」

「そのために雲がぎらつとひかったくらゐだ」 🔹詩「小岩井農場」

「その上を雲がぎらぎら光って」
「ぎらぎら光る灰色の雲が、所々鼠色の縞になって」
                      🔹 童話「鳥をとるやなぎ」

ぎらぎら光るという形容は、いかにも陳腐に思われ、ことに詩人は使いたくはないはずの形容であろうと思うのだが、他に言い換えようのない賢治の鮮烈な感覚なのだろう。

こんなエピソードがある。待望のヴェートーべンのレコードを入手したとき、「この大空からいちめんに降り注ぐ億千の光の征矢はどうだ」と、感嘆をそういう表現で実弟清六に伝えたという。輝きに目を奪われ、心に留め続け、心を揺さぶる事象は脳裏に輝きとなって現われる感性の持ち主だった。いい意味での幼さが核にある、詩人に不可欠なうぶな感性と思う。
この詩においては、前段の「まひるの夢をくすぼらし」という表現から推して、なにごとかの愁いに重なって来るものとして、「梯形第三」の小山の上の雲を見ていることになる。

🧵 一本さびしく赤く燃える栗の木から

栗の木

賢治の詩には、栗はしばしば出て来る。たとえば、詩「火薬と紙幣」には、「栗の梢のモザイツクと」いう言葉がある。また詩「北上山地の春」には「黄金のゴールを梢につけた/大きな栗の陰影」とか、詩「半蔭地撰定」には「おほ栗樹 ( カスタネア ) 花去りてその実はなほし杳(はる)かなり」とか、おおむね、暮らしにおいて幸をもたらしてくれる好ましい植物として表現されている。

そういう賢治の栗の木のとらえ方に比べれば、「一本さびしく赤く燃える栗の木」は、孤立している魂を象徴していて目に止まる。
栗の木は、本来飢饉への備えという意味合いが強い。私の住む西日本では、柿の木が、その役目を持つ。戦後まもなくまでの時代においては、民家裏の畑の一角に植えられた栗の木は、人々の必死な生活=苦難を越えて生きること徴としての陰影を見せているものだったと思う。
西洋語や、学術的表現がちりばめられたこの詩にあって、「一本さびしく赤く燃える栗の木」の一行は、「夜風太郎」という言葉とともに、土俗的な空気、農耕を生業とする風土へと思いを立ち返らせる表現として心に差し込んでくる。

🧵 ななめに琥珀の陽も射して

琥珀も、次のように賢治の語彙中には散見される。

琥珀のかけらがそそぐとき
                   🔹 詩「春と修羅」
まもなく東の空が黄ばらのようにひかり、琥珀いろにかがやき、
                   🔹 童話「水仙月の四日」

賢治の故郷旧南部藩では、琥珀は重要な財源で、その用途として、お香、線香、塗料、医薬品などにも用いられていたことが、久慈琥珀のホームページに説明されている。盛岡高等農林学校に学び、一時花巻農学校の教諭であった賢治には、目にする機会のあった鉱物のひとつだっただろう。
たとえば賢治とは同時代人の詩人萩原朔太郎の詩、「盆景」(「月に吠える」所収 ) にある
「春夏すぎて手は琥珀、 瞳 (め) は水盤にぬれ」
といった用い方が観念的な色合いに包まれているのに比べ、実用の、あるいは標本の物質として、琥珀を見ていた者の視線を、賢治の用いた琥珀の比喩からは感じ取れる。

📚 この詩が伝えるものは?

それでは、この詩は何を歌おうとしたのか。
賢治は、25歳の時、わずかな期間ながら、ひとたびは東京に出て大乗仏教普及の仕事を志したが、トシの看病のため帰郷することとなった。同志とも考えていた妹トシを1923年11月に喪い、その精神的痛手が長く尾を引いていた様子が、トシ死後の作品から見える。
この詩「第四梯形」で纏綿と描き出される、蕪雑、荒蕪、冷涼、失意のイメージは、トシなきあとの故郷において呆然となり、打ちひしがれた精神状態を隠しようもなく吐露していると見えるのだが、「どうして決して そんなことはない」という、一転して詩の空気を換える言葉があって、そこに、再起の意志を告げる意図がこめられていると思われる。

「いまきらめきだすその真鍮の畑の一片から
 明暗交錯のむかふにひそむものは
 まさしく第七梯形の
 雲に浮んだその最後のものだ」

と続くそのあとの最終連の言葉が示すのは、現身の悲哀を超えた何を思い煩うことのない澄明な精神であり、詩「春と修羅」に使われた詩句で言えば、「れいろうの天の海」に在る境地と言えるだろう。

           令和5年11月           瀬戸風  凪
                                                                                                   setokaze nagi

いいなと思ったら応援しよう!