ワタクシ流☆絵解き館その167 一流画家たちのアルバイト画業を見る①
今日でも事情は大きくは変わらないとは思うが、一般の庶民が絵を買うに至っていない明治時代にあっては、美術マーケットの規模は小さく、油彩・水彩画家、水墨画家たちは、本来の創作だけではとても生活を賄えなかった。まさに「画家の本業一本では食べてゆけない」現実があっただろう。
よって必然的に、マスコミ媒体の雑誌の口絵・挿絵・装丁の仕事をこなしていた。しかしその仕事に画家の冒険も見えて興味を引かれる。
標題では「アルバイト画業」と便宜的な表現を用いたが、副業の仕事の一面を探ったのが今回の記事。
■ 藤島 武二
下の絵は、藤島武二44歳の仕事。この絵は、本画そのものも大いに売れ口はあったはずだ。ただ今日、この絵の実物が存在しているかどうか。藤島絵画特有の色気が匂い立っている。
1896年24歳の時から東京美術学校の教職に就いていた。出世作『蝶』 は、1904年の制作。
■ 満谷 国四郎 (みつたに くにしろう)
満谷国四郎は、フランスでサロンの大家ジャン=ポール・ローランスに学んだ。帰国後、太平洋画会の創立者の一人。画壇のエリートと言える地位にあり、生活のためアルバイトに精を出す必要はない画家だったはずだ。
マスコミに請われて、おそらく当時トップクラスの画料で描いた絵だろう。
■ 大下 藤次郎
大下 藤次郎は水彩画の先導者。今日なお高い人気を持つ。
下の絵が載る雑誌「学生文芸」が1911年1月に発行され、同年10月に大下藤次郎は病死する。最晩年の取材から生まれた絵であろう。
■ 中澤 弘光
中澤弘光は、口絵・挿絵画家と呼んでもおかしくないほど、明治から大正時代には書籍を飾る絵の仕事をしている。本業の一つと言ってもよく、標題にしたアルバイトからは外れると言うべきだろうが、油彩画の大作を本領としていた画家であるから、あえて選んだ。
また、筆者は、日本の各地の美術館の収蔵品展で、中澤の絵に気づくことがしばしばあった。美術館のコレクションに花を飾るために、一枚は所蔵したいと思うけれん味が、確かに中澤の絵にはある。多くの仕事をし、その作品が伝わり今日にも展示されている、幸運な画家だと思う。
中澤の口絵・挿絵・木版画を取り上げれば、それだけで一本の記事になるだろう。
■ 山本 鼎 (やまもと かなえ)
山本 鼎は主に版画家として知られている。下の絵の載る風刺漫画雑誌「東京パック」の漫画記者でもあった。
下の絵は、大柄な花嫁のおかしみを演出しているのだろう。昭和前期の日本映画には、まだこういった装いの男が、登場していたりする。日本髪の方も昭和戦前まで結う習慣が残っていたという。
絵柄は、多少面白く色付けしているとは思うが、明治後期にあっては、この姿は比較的よく見られるものであっただろうか。
■ 坂本 繁二郎
坂本 繁二郎は、画壇で名が通るまでに長くかかり、若いうちは、こういったアルバイト画業をこなしていただろう。
その一例であろう下の絵は、現代の絵本作家馬場のぼるの「11匹のねこ」シリーズを、ふと連想してしまう。こういうギャグセンスがあるとわかると、坂本繁二郎の本業の絵を見直したい気分になる。
こちらは、当時の坂本繁二郎の画風に通ずるリアリズムが前面に出ている。上の絵の世界とは対照的。
「坂本繁二郎の挿絵展」という企画展を見たいものだ。
■ 近藤 浩 (近藤浩一路)
近藤 浩 (近藤 浩一路)は水墨画家であり漫画家でもある。なので、下の絵もアルバイトとは言えないだろうが、一般には水墨画家として名がとおり、その面で評価されている画家なのであえて選んだ。
強烈な匂いの中で、口笛でも吹いていそうな様子で絵筆を走らせる画家。昭和の高度成長期までは、この匂いは、日本の田舎ならどこでも漂っていて、ことに日本を訪れる西洋人が閉口したという。(よくわかる!閉口したはずだ)
美しい絵は、どんな場所にいても描けますよ、という絵描きの自負ととるか、絵描きはまわりの現実なんか気にしちゃあいない、というアイロニーととるか。
下の絵は、「異国膝栗毛」の中の一枚。異国巡礼のとんちんかんな様子を絵を中心として綴っている。面白い一冊だ。
■ 竹久 夢二
夢二については説明に及ぶまい。この絵のタイトル、「親子にあらず」と言われると、想像はいかようにもふくらんでゆく。夢二には珍しく、ややブラック気調の諧謔味と言えるだろうか。
当時の大政治家の姿を揶揄している絵のようだ。
■ 石井 柏亭
石井 柏亭も、この「ワタクシ流☆絵解き館」で何度も登場させた。
奴といっても、憎からぬやつ、の方だ。古い邦画ファンならわかってもらえると思うが、女優田中絹代ふうの面差し。
■ 橋本 邦助
橋本 邦助は、白馬会研究所に学び、初期文展の時代には洋画。のちに、日本画に移った。今日では強く心に残る作品がない。
雑誌の挿絵や口絵の仕事で人気があり、その器用さに溺れた、と言えるかもしれない。洋画の本制作で、描くべき強い主題を持っていない画家ゆえの曲折であったろうか。
下の絵では、花びらが足元に散っていて、花を散らす無粋な雨といったところ。「せっかく楽しみに来たのにねえ」というセリフが入りそうな場面だ。
■ 小杉 未醒 (小杉 放菴)
小杉 未醒 (小杉 放菴)の画業はじつに多様で多彩。現代で探せば、筆者のあこがれの人、安野光雅さんしかいないだろう。
下の絵は、何となく田河水泡とか、長谷川町子とか、小杉の後に出て来る漫画家たちの絵のルーツを見る気がする。
令和4年8月 瀬戸風 凪