ワタクシ流☆絵解き館その52 青木繁「海の幸」⑩絵の中にトレースされた聖ペトロの姿
青木繁「海の幸」1904年 重要文化財 アーティゾン美術館蔵
ワタクシ流☆絵解き館 青木繁「海の幸」の絵解きシリーズの③において、画中の3匹の鱶の内、先頭の鱶は架刑のイエスを、中央の鱶は、キリスト教迫害のため、十字架の逆さ磔により殉教したイエスの弟子の第一人者、聖ペトロを寓していると解いてきた。今回はその解釈の補完をしたい。
さらには、中央奥側の、白面の人物とペアになり歩む人物が、生ける聖ペトロに寓して描かれていると解いてみたい。
絵解きの③の復習になるが、もう一度、聖ペトロについて語ろう。聖ぺトロは、イエスが架刑されるため捕縛されたあと、身に及ぶ難を恐れて三度にわたりイエスとは関係がないと、言い逃れた。しかし聖ペトロがそういう言動をとることは、すでにイエスから告げられていたことであり、すべてはイエスには見通されていた。聖ペトロは主を見捨てたことを悔い激しく泣いた。つまり初めから何事にも屈しない深い信仰心の持ち主ではなかったことを、マルコ、マタイ等の各福音書は、共通して伝えている。
しかし、イエスの復活を見たあと、聖ペトロは不屈の指導者になる。それを示唆する場面が、ヨハネの福音書にある。復活したイエスがあるときペテロたちの前に現れてこう言った。「ヨハネの子シモン(ペトロのこと)よ、あなたはこの人たちが愛する以上に、わたしを愛するか」聖ペトロは答える。「主よ、あなたはすべてをご存じです。わたしがあなたを愛していることは、おわかりになっています」それを三度繰り返した。
するとイエスはこう続けた。「わたしの羊を養いなさい。あなたは若い時分には、自分で帯をしめて、思いのままに歩いて行けた。しかし年をとってからは、自分の手をのばすことになろう。そして、他の人に帯を結びつけれれ、行きたくない所へ連れて行かれるであろう」
これは、聖ペトロの最期(磔による死)を、イエスが暗に喩えた場面なのだ。そしてそのあとイエスは言い切る。「わたしに従ってきなさい」と。
そのように、イエスと聖ペトロは最も深く結びついた主と使徒である。
聖ペトロを描いた絵には、アトリビュートとして、逆さ十字(下図①参照)と鍵(下図②参照)が添えられる。逆さ十字は磔の姿から。そして鍵は、マタイによる福音書に次の記述があるからだ。「わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」
絵に戻ろう。上の図で指示した人物は、ついてゆく聖ペトロを示すように、イエスを寓した白面の人物にピタリと寄り添い歩いている。
その右手を見てほしい。(下図②) てのひらに鍵とも見える文様が描かれているのではないだろうか。例に用いた鍵の紋章は、「天国の鍵」として、よく使われている絵柄である。そして鱶のひれの部分。絵解きの③で使った図の再掲になるが、意識的にクロスさせているようで、聖ペトロ十字の形に見えてくる(下図①)
架刑による死という最期の姿を、聖ペトロ本人に預告したイエス。聖ペトロの最期の姿を暗示する逆さ吊の鱶を、我に続く者というようにイエス自身が背負う。それでもなお、「わたしに従ってきなさい」と言い切るイエスと同じ方向に顔を上げ、わずかに目元に差してくる光を映して、歩を一にする聖ペトロ。
「海の幸」の裏側には、各福音書の記述から立ち上がってくる、キリスト教布教の胎動のイメージを敷いていることを読み取るべきと筆者は思う。
「海の幸」完成ののちに、青木繁は自由キリスト教徒となった。キリスト教について深く学んだであろう青年青木繁は、イエスの復活と、そこから始まる弟子たちの殉教をも受け入れる強い信仰の道に、畏敬の念を抱いていたに違いあるまい。
瀬戸風 凪