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絵画のポエトリー ① ミレー/マルケ/ウォールデン
🌟⭐⭐🌟
朝の光の窓辺にフランソワ・ミレーの画集を開いた。『羊飼いの少女』。
斜めから光が差す。窓のレースカーテンの模様の影が絵の中の少女に落ちて、揺らぐ影が少女の悲しみを教える。
少女の脳裏には、去ってゆく人の面影がある。けれど少女は、それがさらぬ別れであると知っている。どうする術も持ち得ない悲しみの風を撓 (たわ) めるために、少女は言葉を捨て瞑目している。
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⭐🌟⭐🌟
若い船長は言った。
陸 (おか) から船へ帰ってくるといつも、係留杭 ( けいりゅうぐい ) につないだ一本のロープが、杭と船体との間で張ったり撓 ( たわ ) んだりしながら息をしているのが見えるんだ… 船も船員も休んでいる停泊中に、アンカー ( 錨 ) と係留ロープばかりは働いているのが、と。
船を停 (と) めておくというのは結局は、アンカーチェーン ( 錨鎖 ) と係留ロープという手で船を抱き寄せておくことで 、それは言うなれば力ずくなんだなあ…
けれど、おかしなことなんだが 、アンカーと係留ロープで確実に 着岸停泊できているのはわかっているのに、 陸へ上がっている間に船が沖へと 逃げてしまっているんじゃないかという幻想が 、何年船員をしていても 心を掠 (かす) めるときがある…
その思いと同じかもしれないと思うのは、いたいけなこどもを 、両腕の中に抱きしめていても、息が触れるほどに抱きしめていても 、ふとこの子がいなくなってしまうようなゆえなき不安。そんな思いを持ったこと、あなたはないかい?
ただ違うのは、船が沖へ逃げるのは幻想に過ぎないが、こどもの方はいつか必ず、確かに、沖に逃げてゆくんだよな 。
こどもを引き寄せておくのは、アンカーチェーンでもロープでもないんだから…
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あんなにさびしく消えてゆくものを他に知らない。右舷に緑灯、左舷の紅灯。夜の海をゆく船の灯。
ここからどこかへ、過ぎてゆくより他はないいたみが、わたしの胸を押し続ける。
人生の明け暮れを、海の上に繰り返す船乗りたち。星が瞬き始めると、船乗りたちは誰誘うともなく、薄灯りの操舵室に寄り集まる。同じさびしさに閉じられた者たちの無言の時間を乗せて、夜の海をゆく船の灯。
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令和5年6月 瀬戸風 凪
setokaze nagi