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ワタクシ流☆絵解き館その250「白馬賞」青木繁・幻の受賞作品へのアプローチ⑨ 板に塗った白や金

■ 青木繁・「白馬賞」受賞作品についての印象を書いた木下杢太郎の文章

青木繁は、1903(明治36)年、師事していた黒田清輝主催の白馬会に出品した絵画諸作 ( ほとんどは画稿類であったと伝えられる ) で、最優秀賞に当たる《白馬賞》を受け画壇デビューを飾った。しかし、そのおおかたの絵は、発表後行方も知れず全く手がかりがない。幻の絵である。
「ワタクシ流☆絵解き館《白馬賞》青木繁・幻の受賞作品へのアプローチ」と題した過去のシリーズ記事により、雲をつかむ思いで、その絵を推察して来た。

今回は、詩人木下杢太郎
( 明治18年生まれ~昭和20年没  詩人・劇作家 詩集に『食後の唄』他に『日本切支丹史鈔』など多数。青木の画友森田恒友らとともに「パンの会」を創立した )
の「海の幸 青木繁遺作集の後に寄す」という一文を手掛かりに、推察を重ねてみる。
青木繁の没後最初の遺作展が明治45年に開催され、それを見た杢太郎の感想が書かれた、明治45年5月17日の日付の追悼文である。
この一文に《白馬賞》となった絵について短く触れられていて、貴重な証言になっている。

同氏の絵を初めて知ったのは、幾年前であったか、小さい婆羅門伝説の類集が、白馬会賞を得たときであった。
その時、多少その趣は理解することが出来た。板に塗った白や金の絵の具を地に、極めて無理な姿勢を取った、裸体の男の太ら脛などの鉛筆の迹を実際感心しながら見た。

 大正2年4月刊「青木繁画集/木下杢太郎 青木繁遺作集の後に寄す 海の幸」より 部分抜粋

📜 婆羅門伝説

婆羅門とは、古代インドにおいて、ヴェーダを聖典とする宗教。のちの変遷を経て、ヒンドゥー教の始原となった思想。バラモン教のことをいう。ヴェーダを読み込んでいて、大いに関心を持ったことを、青木は談話で述べている。
青木研究の第一人者で福岡大学人文学部文化学科教授 植野 健造先生の研究で明らかになっている《白馬賞》対象作品名は、以下のとうりである。なお、これ以外で現存する作品は省いた。読みは明らかになっていないので、難読には私の考察により読みを宛てた。 

🎯 吠陀の研究(草稿) (  ヴェーダのけんきゅう ) 
🎯 僧伽羅  ( シンガラ ) 
🎯 山住外道と両象外道
🎯 闍威弥尼と迦毘羅  (  ジャイミニとカピラ ) 
🎯 唯須羅婆拘楼須那  ( ユースーラセーナクルシュナ ※文献により筆者の推測 ) 
🎯 吠耶舎と喬多摩 ( ヴェーヤシャとゴータマ )
🎯 迦毘羅  ( カピラ )
🎯 迦耶陀と法顛闍利 ( ローカヤタとパタンジャリ ※文献により筆者の推測 )
🎯 一部の外道
上の絵画は、みな古代インドの思想、神話に関係する題材である。

📜 板に塗った白や金の絵の具

1903年 青木繁「輪転」アーティゾン美術館蔵 板に油彩

先ず「輪転」という青木繁の絵を上に掲げた。この絵は、《白馬賞》受賞年と同じく1903年の制作で、板に描かれている。
絵のサイズは 26.8cm × 37.8cm という中型のノートパソコン画面ほどの大きさでしかない。寸評にある「小さい婆羅門伝説の類集が」や「板に塗った」という部分によく照応すると思う。
「輪転」が、どういった場面を描いているのか、神話題材であろうとどの解説書にも書いてあるが、詳細は解かれていないこの絵を、以前の記事で私はこう解釈した。

現代のヒンドゥー教につながっている古代インドのバラモン教の聖典のうち、最初期の神々への賛歌集が〈リグ・ヴェーダ〉(全10巻 「リグ」は「讃歌」、「ヴェーダ」は「知識」の意味である。青木は、このヴェーダの文化を学び、大いに刺激された旨の発言をしている。
この〈リグ・ヴェーダ〉の中に示されている柱の思想が太陽神信仰である。
太陽神とは、太陽こそは万物を生かす力の源であり、ゆえに神聖なものとして、太陽を崇めるべき神とすることである。これは人類にとって最も素朴で原初的な、自然崇拝の信仰であろう。
ヴェーダにおける信仰対象の太陽神がスーリヤ。その母とも恋人とも解釈されている存在が、曙の女神ウシャスだ。ウシャスは、赤い光に包まれた四輪の馬車に乗るという。
ともあれその女神ウシャスを讃えた〈リグ・ヴェーダ〉の一節を掲げる。

「ワタクシ流☆絵解き館その109 青木繁「海の幸」⑳太陽神信仰への共感と羨望 」より
「ワタクシ流☆絵解き館その109 青木繁「海の幸」⑳太陽神信仰への共感と羨望 」より


よく知られるように「海の幸」は、空を描いた部分に、金を実際に塗っていた。それが鮮烈な印象となって、青木の友人蒲原有明が「ただ見る靑とはた金の深き調和」と「海の幸」という題を冠した詩でうたったのである。

「海の幸」発表の前年に当たる《白馬賞》受賞作で同じ試みをしていたら、金を使っていることが、白馬会展を見た人たちによってそのときに必ず驚きを持って書かれていたはずだ。

だから、「板に塗った白や金の絵の具」というのは、あくまで目に映った印象としての金色であろうと思う。私は「輪転」を、2022年開催の青木繁生誕140年展で実見したが、太陽光を表現する黄と緑が細かく重ねられた色には、印象として金色と言っていい感じが確かにあった。
現在作品名だけはわかっている《白馬賞》受賞作品のうちの、どの絵がこの「板に塗った白や金の絵の具」に該当するのかはわからないが、いくつかの作品の絵柄は現在に伝わる同時期の制作「輪転」が指し示しているのではないだろうか。

📜 極めて無理な姿勢を取った、裸体の男の太ら脛などの鉛筆の迹(あと)

挿図① 青木繁 「黄泉比良坂」習作 水彩 1903年頃 福岡市美術館蔵

「極めて無理な姿勢を取った、裸体の男」という部分から思い浮かぶのは、挿図①の「黄泉比良坂」習作 水彩である。これは、《白馬賞》受賞作の一枚として現存する「黄泉比良坂」のエスキースである。この習作自体が、白馬会展に出品されていたわけではない。

中央に描かれているのは、黄泉醜女と思われる。木下杢太郎が見た絵にも、こういうラフスケッチ風の、体をくねらせた裸体図が描かれていたのではないだろうか。
また鉛筆の迹といっているので、紙が画材であったと思われる。水彩による淡彩であっただろうか。ちなみに「黄泉比良坂」完成作品は画材は紙で、水彩絵の具、色鉛筆による彩色である。

「極めて無理な姿勢を取った」という表現からは、最初の出品作のリストに挙げたうちの、「迦耶陀と法顛闍利」が該当する気がする。なぜなら、法顛闍利 ( 法は波の誤植と考察している ) =パタンジャリはヨガの始祖である人物なのだ。
ヨガのポーズを思い浮かべてもらえば、「極めて無理な姿勢を取った」とか「裸体の男の太ら脛」などの表現が、照応するように感じられる。

                                                               令和5年11月        瀬戸風  凪
                                                                                                  setokaze nagi


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