ワタクシ流☆絵解き館その243 和田三造「南風」と西洋絵画
過去の記事「ワタクシ流☆絵解き館その241 青木繁の絵に感化され生まれた詩を読む part3」で、今東光の小説『悪童』の一部を紹介した。(下に掲げた文章)
その中に、青木びいきの主人公 ( つまり今東光自身 ) は、現在重要文化財の和田三造「南風」を、模倣と一言に斬捨てているのが気になった。何をもってそう断じたのかは書かれていないが、和田三造「南風」に影響を与えている美術作品、という観点から探ってみたい。
🔳 象徴主義絵画へのあこがれ
和田三造は、1899(明治32年)、画家を志し、上京。黒田清輝に師事して白馬会洋画研究所に入所している。その白馬会洋画研究所がテキストとして発行したのが『美術講話』である。
その中に、シャヴァンヌの絵があり、小舟に乗る男たちの図である。和田と同時代の同門、青木繁はシャヴァンヌに影響を受けたことを語っている。和田も同じ空気を吸っていた青年画家だったろう。この時代、一種シャヴァンヌ熱があったと言える。
浪漫性を志向する当時の洋画家志望の若者は、シャヴァンヌの絵に漂う劇的演出に影響を受けたのではないだろうか。下の図版「浜辺の女」をその一例として挙げたい。
🔳 海洋・遭難・漂流
「南風」は海難事故による漂流経験が元になって構想されている。海洋・遭難・漂流というキーワードを掲げた時思い当たったのは、レンブラントの「ガリラヤの海の嵐」という絵。
「ガリラヤの海の嵐」は「南風」よりは動的な、よりけれんみ ( いわばアク ) の強い画面構成だが、「南風」も、危機は脱した様子ではあるが、まだ波は荒い海原の上の「板子一枚」の世界を匂わせるように、静かな不安感を描き出していると言えるだろう。
🔳 ベックリンの絵が語る深淵と希望
スイス出身の象徴主義の画家アルノルト・ベックリンも、青木、和田ら白馬会系の青年画家には知られていた。
「死の島」連作として著名な一連の作品は、死と生が隣り合わせに日常を包んでいる人生の、世智、人智を超えた相克を表現する術を教えている。絵画で見せる非日常性という観点を求めるとき、ひそかに影響を与えたであろうと思われる。
同じく影響を与えたと思われるドラクロワの諸作品よりは、政治的社会現象的なつながりや宗教的な色彩が強調されていない分、ベックリンの方が寄りつきやすかったのではないだろうか。
🔳 《南風》の原始イマジネーション
タイトルになっている南風の、イメージの大元をたどってゆけば、ボッティチェッリの名作「ヴィーナス誕生」にゆきつくのではないだろうか。
この絵の中の、風の神ゼフィーロのはためく衣は、「南風」の中に再現されているように見えて来る。
「ヴィーナス誕生」の絵の愉しさを、日本の風土に翻案するのは至難だ。しかし、明治の青年画家たちは、何人もが試していると思う。以前の記事で、青木繁の「わだつみのいろこの宮」の源にも、この絵が見えてくることを述べた。
少し後の時代になるが、三岸幸太郎の「海と射光」( 1934年 ) は、「ヴィーナス誕生」へのアイロニーでもあり、オマージュでもあるという不思議さがある。
なお、和田の「南風」に次ぐ作品と言えば「煒燻」、1908年(明治41年)の第2回文展2等賞ー※最高賞( 下の図版 ) だと思うが、散逸し所在不明なのか、カラー図版を見ない。モノクロ図版で紹介する。
「南風」にある演劇的な企図、象徴性は「煒燻」では消えている。論じられることも極めて少ない作品だ。この傾向からは、青木繁が晩年、写実的な方向へ移って行ったことが、重ね合わされて来る。
令和5年9月 瀬戸風 凪
setokaze nagi
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