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ワタクシ流☆絵解き館その265・青木繁「わだつみのいろこの宮」は ◼ 恋の終焉を映す◼ 説を読む

性愛を視点にした「わだつみのいろこの宮」の、松永伍一によるユニークな解釈を今回は紹介する。
1979年刊  日本放送出版協会 NHKブックス「青木繁 その愛と放浪」と1980年刊 有斐閣新書「近代美術の開拓者たち : わたしの愛する画家・彫刻家 1」に載る文章である。
やや長い引用だが、文意は明快だ。

🔳 松永伍一 ( まつなが ごいち ) 
1930年~2008年 詩人・著作家。代表的著作は、1971年「一揆論 情念の叛乱と回路」1974年「農民詩紀行 昭和史に刻む情念と行動」1979年「青木繁 その愛と放浪」1983年「松永伍一詩集」など。他多数。
出身地福岡県大木町は、青木の故郷久留米の隣町 。

福田たねとの間に幸彦が生まれ、「幸彦像」を父親の情愛を込めて描きもしたが、福田たねとの間は実質上の夫婦でありながら、次第に絵の同好の友だちという形に推移しつつあったと思われるから、そういう男と女の関係、女の父親に扶養してもらっている男の立場、未婚の母である女の力の前に屈してゆく男のもう一つの立場が、「わだつみのいろこの宮」に投影されてはいないかと仮定してみる。

「大穴牟知命」( 下の挿図 ) を例にとってもよい。ここにも自死を求めていた男を女が蘇生させた神話に材を借りているようでいて、現実の話であったというからくりが隠されている。二度目の房州旅行の実態を思い出してもらえばいい。
  ※上京していた姉と弟を置き去りにしたこの房州行き ( 5月末から8月
    半ばまでの長旅 ) には、青木にあった心中願望という死の匂いがす
    るが、身重の体になっていたたねが引き留めたことを、著者はこの
    稿の中で推測している。

( 中略 )
ここまで来る間に、福田家側の協力があった。たねも力を貸している。ヒロイックな願望の強い青木は、一方では九州男児らしい自覚で自分を悩まし、この状況ではこうするしか方法 がない ( ※不義理を福田家に詫び、仲を清算しようとしていた ) と、自分を許していたはずだ。
大地に足に着かない宙ぶらりんの生態である。「わだつみのいろこの宮」はその心理状態から生まれたのである。

松永伍一 1979年「青木繁 その愛と放浪」より
明治38年9月 乳児の幸彦のちの福田蘭童を抱く青木繁

この絵「大穴牟知命」を残し、青木は久留米に帰った。それがたね、幸彦との別れであった。

青木繁「大穴牟知命」アーティゾン美術館蔵 たねの実家に身を寄せていた時代の作品。
松永伍一は、青木の深層心理として、死する男に青木を、それを助ける女にたねを見ている。

作品 (「わだつみのいろこの宮」) をよく見てほしい。山幸彦は、英雄豪傑の型を失っている。庇護された立場に甘えてさえいる。その顔貌は倦怠の色を帯びてさえいるようだ。放心しているというべき目つきだし、虚栄の片鱗さえ失い、女の活力の前でいじけている。首をかしげたところが、去勢されたあとの無気力さを象徴している。

豊玉姫は受け身をあらわす壺をさし出しながら、それはあくまで能動的で、性交を暗示した構図だと見ると、女によって決断を迫られる男の位置もわかると言うものだ。構図の上で男が上にいるが、気持ちは女に従属していることが、二人の視線ではっきりと証明される。あきらかに「わだつみのいろこの宮」は性愛の象徴画であるが、その性格を強くうち出せばうち出すほど、官能性が陰をひそめる。冷たさが増してゆくにつれて、意味が表におし出されて来る。

壺は女性の性器の象徴であるが、下絵として描いたもう一枚の作品を見ると、その壺は女が抱くように胸に近づけているから、性交を拒否しようとする意志がそこに反映している。初々しさと不安とが、かえって官能性を高めていたのは、山幸彦の下半身だけがグロテスクに描かれたたことから来ていた。この下絵の方が生命感を秘めていて私は好きだ。 

松永伍一 有斐閣新書「近代美術の開拓者たち : わたしの愛する画家・彫刻家 1」より
左 青木繁 「わだつみのいろこの宮」 下絵 / 右 同 完成作 
松永伍一が「生命感を秘めていてこの絵の方が好きだ」と述べているのは左の下絵
壺を「抱くように胸に近づけているから、性交を拒否しようとする意志」と説く下絵部分 
「受け身をあらわす壺をさし出しながら、それはあくまで能動的」と説く完成画部分

壺は女性の性器の象徴であると松永伍一は書いていて、そこから性交の暗示にまで論を進めているが、解釈がやや無理である。この壺は、「古事記」の二人の出会の場面に記述されているのだから、作為的に描いたものではない。この場面を語る物としては描かれるのが必然である。

左  青木が自分を投影したという解釈もある「日本武尊」部分 1906年 東京国立博物館蔵 
右 「わだつみのいろこの宮」部分 
松永伍一が「倦怠の色を帯びてさえいるようだ」と書く山幸彦の表情
1964年 福田たね 水彩「幸彦誕辰の朝」 後年の回想画 たね自身はいない 右の男が青木繁

若い女性に水壺が添えて描かれていれば、性的なことの暗示であると、諸書の解説にある。作品の一例を下に示す。

左 ウィリアム・アドルフ・ブグロー 「壊れた水壺」 1891年 油彩 サンフランシスコ美術館蔵
右  ジャン=バティスト・グルーズ 「破壺」 1771年 油彩 ルーヴル美術館蔵

しかし青木繁は山幸彦に自分を託し、リアルに分身を描きこんだとき、女の心理は現実のたねの心理と重複してゆき、女と男との現実的関係の象徴とした「わだつみのいろこの宮」は、栃木流寓時代をのぞかせる記念碑的な作品になったということができる。
それはまた、この作品が完成したとき、青木繁と福田たねとの恋も終わったのである。何という皮肉な運命であろうか。

松永伍一 有斐閣新書「近代美術の開拓者たち : わたしの愛する画家・彫刻家 1」より
昭和23年4月 ケシケシ山の青木繁歌碑除幕式の日の福田蘭童 ( 幸彦 ) と 福田たね

「わだつみのいろこの宮」は、日本民族の曙を象徴する、はじまり噺のハイライトシーンなのだが、松永伍一は、詩人らしい想像力で、この絵に、夏の日の狂想曲「海の幸」の対極にある、現実世界の恋の終焉の影を感じ取った。共感はしないが、印象深い見方である。

「何という皮肉な運命であろうか」と松永伍一は述べているが、たねの後半生は、その皮肉な運命のおかげで、一般的価値観から見て平穏な幸福とたとえてもいいものだったと思う。別の男性と結婚後七人の子に恵まれた。
青木繁とたねは短い歳月の仲であったが、たね以上に青木繁という画家の真価を知る者はいないだろう。 
                                       令和6年10月                        瀬戸風  凪
                                                                                                setokaze nagi


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