性愛を視点にした「わだつみのいろこの宮」の、松永伍一によるユニークな解釈を今回は紹介する。
1979年刊 日本放送出版協会 NHKブックス「青木繁 その愛と放浪」と1980年刊 有斐閣新書「近代美術の開拓者たち : わたしの愛する画家・彫刻家 1」に載る文章である。
やや長い引用だが、文意は明快だ。
🔳 松永伍一 ( まつなが ごいち )
1930年~2008年 詩人・著作家。代表的著作は、1971年「一揆論 情念の叛乱と回路」1974年「農民詩紀行 昭和史に刻む情念と行動」1979年「青木繁 その愛と放浪」1983年「松永伍一詩集」など。他多数。
出身地福岡県大木町は、青木の故郷久留米の隣町 。
この絵「大穴牟知命」を残し、青木は久留米に帰った。それがたね、幸彦との別れであった。
壺は女性の性器の象徴であると松永伍一は書いていて、そこから性交の暗示にまで論を進めているが、解釈がやや無理である。この壺は、「古事記」の二人の出会の場面に記述されているのだから、作為的に描いたものではない。この場面を語る物としては描かれるのが必然である。
若い女性に水壺が添えて描かれていれば、性的なことの暗示であると、諸書の解説にある。作品の一例を下に示す。
「わだつみのいろこの宮」は、日本民族の曙を象徴する、はじまり噺のハイライトシーンなのだが、松永伍一は、詩人らしい想像力で、この絵に、夏の日の狂想曲「海の幸」の対極にある、現実世界の恋の終焉の影を感じ取った。共感はしないが、印象深い見方である。
「何という皮肉な運命であろうか」と松永伍一は述べているが、たねの後半生は、その皮肉な運命のおかげで、一般的価値観から見て平穏な幸福とたとえてもいいものだったと思う。別の男性と結婚後七人の子に恵まれた。
青木繁とたねは短い歳月の仲であったが、たね以上に青木繁という画家の真価を知る者はいないだろう。
令和6年10月 瀬戸風 凪
setokaze nagi