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ワタクシ流☆絵解き館その200 青木繁「海の幸」(青木繁生誕140年記念展)で気づいたこと

2022年11月、久留米市美術館で巡回展が開かれた展覧「生誕140年 ふたつの旅 青木繁 ✕ 坂本繁二郎」に足を運んで来た。それほど人が多くないのを幸いに、どの絵も、じっくりと鑑賞できた。
繰り返しデジタル画像・印刷画像で見て来てが、実物でしか感じ取れなかった気付きを挙げてみたい。今回は「海の幸」を取り上げる。
全ての出品作中で、「海の幸」は、やはり白眉と言えるのを強く感じた。息が詰まるような思いで見つめた。

■ 最後尾の人物の、さらに後ろの [幻] の存在感

青木繁 1904年「海の幸」全体図 油彩 重要文化財 アーティゾン美術館蔵
以下の部分図もすべて「海の幸」 説明のキャプションを画中に挿入した 

「海の幸」が紹介されるとき、ときには、右の端部はカットされたりしている。デジタル画像では、右の端部に輪郭線のみ残るいわば「幻」の人体は、
よく認識できないほどだ。この「幻」を下の図でAとする。
しかし、実際絵の前に立つと、この「幻」Aが、ふわりと浮かび上がり、そこにもう一人の人物像として、立体感を与えながら存在するのだ。
「海の幸」は、久留米での展覧の後、アーティゾン美術館に戻るであろうから、機会のある人はぜひ意識して見てほしい。

画面右端部の輪郭線が残る「幻」の人物 A

浮かび上がる理由は、Aの人体の輪郭の内側を、輪郭の外側 ( つまり海のブルーの部分 ) より色合いを薄くしているからだ。
塗り残しではない。見えているのはキャンバスの地ではなく、色は乗せている。肌を思わせるような色を輪郭の内側に塗っている効果である。
輪郭線は描いたものの、それをやめて人物の痕を塗りつぶす気なら、海の部分としてブルーで塗ったはずだ。
つまり意図して海の色とはトーンを変え、見る者の目にAを存在させていると言うべきだろう。

画面右端部の拡大図
画面右端部の拡大図
画面右端部の拡大図ーAの頭の部分

■ 最前部に見られる柱のような部分の謎

画面左端の下部分の拡大図

上の部分図、グリッド線に添うように、縦の白い部分がある。保管上のトラブルで、ここで絵が折れて褪色したか、色が落ちたかしたかに見えるが、近くに寄って見ると、この部分は白の色を塗っているようなのだ。そしてこのグリッド線から左側 ( つまり絵の枠外方向 ) には、ひときわ厚く金が施されていた痕跡がある。

そのせいで、絵の左端に一本の半透明の柱が立っているように見えるのだ。理由として、絵全体が当初はこの感じであったが、経時変化で金が剥がれ、退色したものの、端だけは金が剥がれ落ちにくくて、まだ褪せながらも残っているからだという判断も、あるいはできるだろう。

■ 絵巻物の軸の効果?

画面左端の白線を強調して、上まで伸ばしてみた加工図

しかしそういう判断をせず、白線が上から下まであると、どういうふうに見えるかを探ると、絵巻物の軸に相当する雰囲気が出て来る。(上の加工図版)先頭の縦のグリッド線を白くして、一本上から下まで描く試みをしかけたのかもしれない気がしてくるし、またそれを途中でやめたのも、あえて混沌を描き出す術なのかもしれないとも思う。

そして、右端の、グリッド線のみが引かれた地の部分の幅と響き合って、全体にハーモニーを生み出しているのは、実物を目の前にして初めて感じたことだった。
いったいに「海の幸」は混沌とし雰囲気に満ちた画相だが、先頭の足の膝下にあるこの白線のかけらは、その混沌の一役を大いに担っている。この絵にとり、何の必要がある白い縦線なのか謎が解けないからだ。
そして左端の10㎝ほどの部分は、そこだけをみると抽象絵画の色合いを帯びているのを、またそれが違和感を与えていないのを感じた。
                    
                     令和4年11月  瀬戸風  凪

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