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ワタクシ流☆絵解き館その85 青木繁「漁夫晩帰」下図から聞こえる語らいと、完成画の無言。

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青木繁  河野保雄コレクション  「漁夫晩帰/下図 」 1908年
福島県立美術館蔵

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上に掲げた絵の右側の男は、網の中を女に覗かせているように見える。左側の女は、腰を下ろしているようで、他の三人より位置が低いが、網の中の魚を指さして何か言っているのではないだろうか。
浜の女たちを写した明治時代の写真(下の挿図)に、この絵の女たちと同じような装いが見られる。
「漁夫晩帰」の骨組みは、房州布良で見た光景への追憶から出来ていることを前回の絵解きで述べたが、全て記憶だけで描いたというのは、極論過ぎよう。構図の大方は記憶の中に探っているのだが、実際に描くに当たっては、有明海のどこかの漁村の人たちの姿を見て、速い筆で描き取っているのだろう。

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この構図が、完成画になると変わる。左端の女は消え、こどもが加わる。右の女は、二人になり、若く描かれてはいるが、男たちの釣果にはかかわっていない様子になっている。
推測にとどまるが、こどもや若い女のいる光景を描いたのは、依頼主(清力酒造)が、無骨ではない絵を求めていることを考慮したのではないかと思う。

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青木繁  「漁夫晩帰 」 1908年  ウッドワン美術館蔵

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それにしても、下図では静かな語らいが聞こえているが、完成画の方は、描かれている誰もが唇を閉じ、言葉は何も聞こえてこない。感情を表さない顔をしている。
完成画の若い女の様子が、上に掲げた二枚の写真の様な笑顔で描かれていれば、依頼主も絵を見に来る者も、何かほっとする気持ちを覚えたことだろう。しかし、青木はそこまで媚びることをしない
これは青木繁の絵のすべてにわたる特徴だ。ほとんどの作品で、口を閉じ、何も言葉を発せず、眉根ひとつ動かさない。「海の幸」も、「わだつみのいろこの宮」もそうだ。
わずかに例外は「黄泉比良坂」と「運命」(下の挿図)の二作品だけと言っていい。この二作品には、言葉ではないが、長くひきずるような叫びが聞こえている。

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「漁夫晩帰」は青木作品の中では、一見で理解出来る種類の絵だが、そこにどんな感情を読み取るかは、見る者に委ねられている。
これもまた筆者の思い込みにとどまることでしかないが、青木自身は甘美な追憶の情感に浸ってこの絵を描いたと思う。創作欲に突き動かされ、高揚の真っただ中にあった布良滞在の季節が、追憶の風に吹かれて甦り、胸を熱くさせていたのだろうと思う。
ほとんど絵は仕上がっているのに、ただ酒飲みたさに、依頼主の清力酒造にやって来ては、ちょこちょこと加筆し、またオルガンなど弾いて気ままに楽しんでいたと伝わるけれど、それらが理由のひとつにあるとしても、根本の理由は、この絵にかかわっているのが、認められない絵描きという傷心の、自らによる慰謝であったからだろう。
布良で描いた「海の幸」のバリエーションとか、追随とか見る論があるが、見当違いだ。創作動機も創作の熱源もまったく両者は異なる。

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しかし、「漁夫晩帰」はそのビタースイートな情感を表に出して描かれてはいない。
青木には、熱い心なくしては絵は描けないものだったろうから、依頼され、金になることがわかっている絵であっても、真摯に自分の思いをこめて描いたはずだが、絵を見る者に、作者の気持ちはこうだという安易な答を晒すようなことはしない。どのような感情で受け取ってもらってもいいという信念で描いている。その方が絵は深くなると知っている。
それがこの絵を無言に、無表情に、棒立ちといっていい姿にしている理由だ。そして青木には、その絵画観こそが不動の理念であったに違いない。
「漁夫晩帰」は、解説諸本によれば、評価の芳しくない絵である。けれど、私たちが青木の絵を見るとき、芸術史的価値をつける評定者でもないのに、甲乙判定する眼で接する必要はどこにもない。
筆者は「漁夫晩帰」を見るとき、同時に青木が布良で描いた絵、「海」(下の挿図)を必ず思い出す。青木の脳中には、恋も創作欲も友情も、生きる時間のすべてを映していたこの海の空気や、音や、光が立ち返り瞬いていたと思う。
誰にも、目の前の現実が夢想郷のように見える日々があろう。青春の日々はなおさらに。その時間が過ぎ去ってしまった悲しみが「漁夫晩帰」を、さびしい絵にさせているのなら、作者とともに遠い時間を見つめればいい。
筆者には、何度でも「海の幸」や「海」や「海景《布良の海》」に立ち返らせてくれる絵、それが「漁夫晩帰」だ。
そういう絵が、魅力に乏しい絵とは、あまりに水気の涸れた心の言葉と筆者は言いたい。

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                     令和3年12月  瀬戸風  凪

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