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ワタクシ流☆絵解き館その273 小林千古と南薫造 二人の画家の「新訳聖書」挿し絵①

冒頭に謝意を‥‥ほぼ無名の画家小林千古のことなど読んでくれる人がいるだろうか、ビュー数3人ほどの記事になるかもしれない、という思いに反して、私からすれば結構な人数が、千古についての以前の頁を開いてくれています。ほんとうに感謝します。
たわ言ながら‥‥noteにあふれる、華々しい展覧会の多くの紹介記事は太鼓持ち記事でしかなく、ライターの思いが何も感じられません。きっとビュー数は伸びないでしょうが、画家が有名でも無名でも、自分の好きな画家を掘り込んだ考察の記事を読みたいと私は願っています。

ここからは、今回分の記述。明治40年の、東京府勧業博覧会に大作「誘惑」を出品し完全に黙殺された、近代絵画の俊秀小林千古の不運悲愁についてこれまで語った。「誘惑」解釈の記事の補完として、次の文章を引用する。

小林千古氏の「誘惑」はこの例なり。 ( 中略 )
アレゴリーに於て、西洋には死を現すに髑髏を用ひ、女が目隠しをし、片手に秤、片手に剣を持てる図を以て、正義を象徴化す。アレゴリーは大に、読者に思想活動を要求するものなるが故に、また象徴的思想内容の作品といふを妨げず。

明治45年1月 博文館刊 田中伊藤次著「文芸論」より
小林千古 明治40年 油彩「誘惑」東京府勧業博覧会出品 厳島神社宝物館蔵

上に述べられている絵の例として、この絵を掲げておく。千古が、娘の目隠しに、西洋絵画の女神の寓意を置いていたとは思わないが、構図の類似性は意識下にあったように思える。

ハブリエル・メツー 1660年頃「正義の勝利」マウリッツハイス美術館蔵
ハブリエル・メツー 1660年頃「正義の勝利」部分

なお、千古の「誘惑」が、いかに的外れな見方をされたかを語る当時の新聞記事の例を示す。こころない揶揄と言っていいだろう。

小林千古の筆にて「誘惑」と題し、可憐の一少女が、目隠しをしたまま恋の悪魔に手を惹かれつつ、奈落の闇に陥んとする絵画あり、其前に立停まれる職人風の男連の田舎者に説明して曰く、「これは女の子が、盲目鬼 ( 目隠し鬼ごっこ ) をやってる図だ

平民新聞 明治40年3月31日の記事より

「誘惑」は、目隠しせる年若き美女あり、天使は彼女の耳辺にささやけども恋に盲ひたる彼女は、只悪魔の導くが儘に恐るべき谷底に向つて陥り行かんとす、「誘惑」の意よく現はれたれど、悪魔の乞食坊主の如く見ふるが疵なり。

平民新聞 明治40年4月2日の記事より

さて今回は、悲運の画家小林千古の画業追跡として、熱心な仏教徒であった小林千古が、「誘惑」出品の前年の明治39年に出版された、聖書解説本の挿し絵を描き、大成した画家南薫造もまた、同じく若い頃新約聖書の挿し絵を描いているのが目に止まったので紹介する。
千古の場合は、滞米暮らしと欧州巡遊のキャリアを買われてのことと思う。

先ず千古から。その挿し絵が載るのは、
明治39年2月、金尾文淵堂より出版された中村春雨「通俗新訳物語」。
新訳は新約聖書の略である。
明治時代出版の古い本の写本なので、三色摺りという画像は粗く、細部はよくわからないのが残念だ。彩色原画は失われているのだろう。

同じく金尾文淵堂より出版された姉妹本である中村春雨著「旧約物語」の方の挿し絵は、青木繁が担当していて、青木の当時の窮乏を一時救済した仕事だった。それだけに青木の意気込みが表れている。
こちらは幸運にも原画が現存していて、2022年に原画を見たことがあるが、構想力の高さを示す鮮やかな秀作群であった。

中村春雨著「旧約物語」挿絵原画の一枚 
青木繁 明治39年(1906年)原画は板に油彩 民間法人蔵

千古の挿絵の方は、図像しか伝わらないことも原因しているが、彼の才能の真髄が表れているとは言えない。挿絵の下には、ほぼ同じ場面を描いた西洋画家の絵を参考に添えた。

明治39年2月  金尾文淵堂刊  中村春雨著「通俗新訳物語」雑誌広告

❖ 荒野のイエス ー 悪魔の誘惑

そこで悪魔は、イエスをエルサレムに連れて行って、主の殿 ( みや ) の高い塔の上に登って、「さて此上より地に飛び下って、爾が神の子であることを衆人に示せ、そは雅歌の書に見えたり、神は爾の為に天使に命じ、手もて爾を支へて、爾の足を石に衝き当てざるやうにすべし」( と告げた )

中村春雨著「通俗新訳物語」より
明治39年 小林千古筆 中村春雨著「通俗新訳物語」より
1620年  ピーテル・パウル・ルーベンス 「荒野の誘惑」
パオロ・ヴェロネーゼ  1580 – 82年「荒野の誘惑」
作者はルーヴル美術館蔵の『カナの婚礼』(新約聖書の場面)で著名

▲ 解説

悪魔の誘惑という名称で語られる場面は、40日の断食を試みているイエスに、悪魔が下りてきて、イエスに自分の利だけのための行動をそそのかすが、それを拒みとおすことで、真に隣人に寄り添っているのを証す新訳聖書のヤマ場をなす場面である。

❖ ベツレヘムの飼葉桶 ― 羊飼いの礼拝

明治39年 小林千古筆 中村春雨著「通俗新訳物語」より
ジョットー 1305年頃「キリスト降誕」スクロヴェーニ礼拝堂のフレスコ画
1622年 ヘラルト・ファン・ホントホルスト「羊飼いの礼拝」
この絵は、1993年にシチリアマフィアのテロにより破壊された

▲ 解説

ベツレヘムは地名、パレスチナ自治区の町。イエスの生誕地である。貧しい家に生まれたイエスは、生まれると、牛馬の飼葉を入れる桶のなかに置かれたという。
誰よりも真っ先に名もない羊飼いの男が、祝福を述べにやって来た場面を描いている。

❖ 茨の冠 ― ピラトの裁判

イエスが人々の為めに、ピラトの前に引き出されたのは、朝早くであった。
ピラトは同国人でないから、彼らはその廰 (=庁 ) の中には入ってゆかぬ、ピラト自ら出てきて、『爾等此人に就いて何の訴をなすか?』   (中略)
ピラトはどうかしてイエスの命を助けやうとして、自分の考えを各人に見せやうと、人々の前で手を洗って、『わが手は此善人の血にかかはりなし』といふ。 (中略)
人々は『十字架につけよ、十字架に』と口々に叫ぶので、ピラトも詮方なく裁きの席について、善人と思ふイエス、何の悪事もせぬ人と知ってゐるイエスを、十字架につけて死罪に行ふと宣告した。

中村春雨著「通俗新訳物語」より
明治39年 小林千古筆 中村春雨著「通俗新訳物語」より
1566年から67年 · ヤコポロブスティティントレット「ピラトの前のキリスト」
1308年から1311年 ドゥッチョ 「ピラトの尋問」シエナ大聖堂付属美術館蔵

▲ 解説

ピラトは、パレスチナ行政府総督の人名。尋問するピラトに、イエスはこの世の救世主として地上に降されたことを告げる。ピラトには、イエスに罪を課す気持はなく、イエスに鞭を打った後に、茨の冠を被らせてことを済まそうとするが、民衆が納得せず、十字架への架刑 ( 死罪 ) という裁きを下した。

❖ 山上の説教

アルセーヌ・ロベール  1870年「山上の説教」
カステルノー・デストレトフォンのサン・マルタン教会

▲ 解説

キリスト教の根幹となる信条を、イエスが縷々述べて、信徒たちを諭した場面である。

❖ イエスの復活

明治39年 小林千古筆 中村春雨著「通俗新訳物語」より
エル・グレコ 1577-1579年「キリストの復活」聖ドミニコ修道院蔵 
驚いているのは墓所の監視人たち
シモン・チェコヴィチ 1758年「復活」クラクフ国立美術館(ポーランド)蔵
周囲にいるのは復活の姿に接した信徒たち

▲ 解説

特に説明は必要はないだろう。復活を信ずることは、聖母マリアの懐胎とともに、キリスト教信仰の根幹をなす。

❖ 迫害者サウロ ( のちの聖パウロ ) の回心

光の中には、是迄一度も見た事もない者の姿が、サウロ (※聖パウロのこと )の目に見えた。そして聞き知らぬ聲で「サウロよ、サウロよ、何故に我と鬩 ( せめ ) ぐか?」といふ。
サウロ答えて「主よ、爾  (なんじ ) は誰ぞ」。「我は爾が亡ぼさんとするイエスなり」 (中略)
キリストの姿は唯一人サウロだけに見えたのである。

中村春雨著「通俗新訳物語」より
明治39年 小林千古筆 中村春雨著「通俗新訳物語」より

下に掲げる両作とも、イエスの姿は描かれていない。その理由は、noteの記事、NatsukoTomiさんの「カラヴァッジョの『パウロの回心』にキリストが描かれていないのはなぜ?」に詳しい。ぜひそちらにも寄り道をしてみてください。

ニコラス・バーナード 1700年半ば頃「聖パウロの回心」
ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ 1600年「聖パウロの回心」
聖マリア・デル・ポポロ教会蔵(ローマ

▲ 解説

聖書の中でも劇的な場面である。キリスト教の迫害者であったパウロが、キリストの声を聴き、一転してキリスト教の布教に生涯を捧げる回心をする。何がパウロの心を衝き動かしたのか、それを作家遠藤周作は著書『キリストの誕生』で、解けない謎「Ⅹ」と言っている。

中村春雨著「通俗新訳物語」には、千古の挿し絵以外に、西洋の画家たちの絵画が要所にはさみこまれている。採用する絵は、著者の意志だけでなく千古の意見も入っているだろう。
本からの画像ではなく、公開されている別の鮮明な画像を使って二点を紹介する。

◙ 十字架に架けられたイエスの像

1621年から1625年  アンソニー・ヴァン・ダイク 「十字架のイエス」
ナポリ カポディモンテ美術館蔵

◙ 死したイエスの像

シャルル・フランソワ・ジャラベール 19世紀 「イエスの埋葬」
小林千古  肖像写真

                                  令和7年3月                   瀬戸風  凪
                                                                                             setokaze nagi




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