097 夢か現か、ふつつかなタイムトラベラーに寄せて
この人生に一貫して付いてくるものは何だろうかと考えてみる。記憶を遡り、その正体を探ってみようとすると、その過程に答えが眠っているのだと気が付いた。
それは時間だ。時間ほど、この人生に付きまとっているものはないだろうと考えた。誰しも平等に、今までも、これからも付いてきてくれるのが時間。
そしてそれは(基本的に)不可逆。
記憶の中でタイムトラベルはできたとしても、実際に時間が遡ったり、スマートフォンの時刻表示が過去を示すことはない。
さらっと、述べてしまったが、まさにこの「記憶の中でのタイムトラベル」というテーマについて考えていきたい。
時制の授業よろしく
この3年と少し、塾でアルバイトを行ってきたことで身についた力は計り知れない。
傾聴力だとか、察する力だとか、些細な気配りだとか、単なるその学問の知識だとか。
英語を任されることが多かった私にとっては、高校時代よりも深く、丁寧に、英文法の理解と向き合う時間が確保できたと思う。
英語の中でも特に、「時制」を教えることが楽しい。
いかに日本語表現との類似性を持たせて、「○○な場面を伝えたいときは、△△形を使うのだ。」と教えることが面白い。
例を挙げると、
では、現在完了形と過去形との違いは?
といった感じだ。
つい最近、これら時制表現の違いをただ一回だけの振り替えで来た中学二年生に教えた。わかったんだか微妙な反応ではあったが、ここまでスラスラと時制の違いを自分の言葉で理解し、説明できている自分には、正直惚れ惚れしてしまったよ。
タイムトラベラー大学生
ところでみなさんは、タイムマシンに憧れはあるだろうか。
バックトゥザフューチャーとか、ドラえもんとか、時間旅行を可能としている世界線の作品は多い。人類が思いつくようなことは、将来的に,基本的に実現が可能である、なんて言い回しをされることもある。
けれども、タイムマシンが作成できることを今知ることは不可能だという断固とした説明が世の中には存在するらしい。
それは、タイムマシンに乗って未来からやってきた人が現れていないことが何よりの説明となる。
たしかに納得である。
現代の我々がもし、過去に戻れるタイムマシンを作成できて、実際に誰かが過去に旅立ったとする。マシンに乗った彼 / 彼女らの消息は不明に思われるかもしれないが、既に彼らと会ったことのある人がこの現代にいないのであれば、この仮定にも不都合が生じるだろう。
というか、過去へ戻れるタイムマシンが作れる/作れない関係なく、「マシンに乗ってきました!」という人と会えてない時点で、マシンが作れることは否定される。
また、未来へ進めるタイムマシンが出来た場合も同様である。というか、片方にしか進めないタイムマシンができることあるのか?
この議論はまあ小難しいので、隅に置いておいて。
実際の時間旅行は不可能だとしても、頭の中で、過去へ時間を巻き戻したり、未来へ時間を進めることは可能だ。
今を理解するために、今の視点(始点)で過去へ向かい、そしてまた今に戻ってくる。
この、記憶上のタイムトラベルが楽しめると、未来予想図を描くことだってできる。次は視点(始点)を未来に置いて、未来のありたい姿から、矢印を左に巻き戻して、今からの右矢印の方向を決定していくようなものだ。
時間は不可逆であるように思えるが、この不可逆に対して一種の(”冒涜”や”禁忌”とまでは言わまいが)”抵抗”は、人間行えるのである。
社会人の一歩手前を過ごしている私たち。この”抵抗”は、積極的に行うほうが良いのかもしれません。
to とfor のたとえ話
就職活動を通して行ってきたタイムトラベルは、主に、今(の自分)を理解するための、過去⇔現在の 果てしない往復旅である。
少しは、現在⇔未来 間も通ってきたように思えるが、その本数はそう多くはなかったな。まるで、東村山からの西武国分寺線。
私の周りには、現在⇔未来 の時間旅行を鮮明にかつ高らかに行えている人が増えてきたように感じるのが最近の思うことである。
将来の夢, なりたい職業が決まっているからこそ、その未来から逆算しての大学院進学を希望している者。
将来の夢, 教員志望の夢を叶えながらも大学院へ進学する者。
婚約者との生活を見据えて、海外に駐在できる企業への就職を考えている、僕がいつも敵わないなと感じてしまう者。
彼らすべてが同い年で、大学卒業を控えているという点でも似ている。
正直、惚れ惚れしてしまう。
英語の例を再び出すが、彼らは”for”も持っているし” to ”もある。私は" for "すら怪しいというべきか。
前置詞のtoとforは、共に、ある動作がその対象物に向かっているという矢印のイメージを一部持っている。その違いとしては、そのゴールにたどり着いた状況を指せるのがtoで、進む方向性のみを示し、到着はしていないのがforといった具合だ。
彼らタイムトラベラーたちは、未来⇔現在 の旅に慣れている。forの矢印をしっかり持っているし、ある者はtoの状況が間近である。
この時間旅行者たちを私も見習っていきたいものだ。
趣味でやっているラジオに、こんな質問が来ていた
ふざけたラジオネームに似つかわしく、ハッとさせられた。
たしかにこのnoteの記録も、ラジオ制作も、どこへ向かっているのだろうか。noteは100本投稿をゴールというか目標にはしているけれど、その達成の先には何がある?ラジオだって、ほぼ毎週出しているけど、それは何のため?
未来を考えすぎても、分からないことだらけだから、今に注力すること, 今の興味が進む方へ矢印を伸ばすことを優先していたけれど、時間旅行が得意な人たちの話を聞くと、こうも言い続けていられないなと思った次第です。
時間という不可逆への”抵抗”を見直して、右矢印の方向を問い直そう。
おしまい。
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