099 教育のこと
いつからか、「先生」という職業に強い憧れを抱いていた。それの明確な時期と理由は覚えていない。けど、なぜかずっと先生になりたかった。
教えるのが好きだとか、行事とかで先生たちにスポットライトが当たっている様子に、なんとも言えない高揚感と特別感を抱いたからなんてものはよく言いすぎてる。
きっと、「学校」や「塾」という場所が自分にとっての幼少期の大きな居場所、思い出の作られる場所であったからだろう。
もっと、休みの日とかに外へ出かけて、知らない人、知らない街と出逢っていたら、きっと「先生」の他に興味のある仕事が見つかったかもしれない。
そうすれば、こうやって教育の沼に引き摺り込まれ続けることもなかったかもしれないのに。なんて、変わりもしない過去を振り返るのはほどほどにしておこうか。
少し、興味がある人だけでいいです。僕の教育のことについて聞いていってください。
教育学部への道
教えるのが楽しくて、自分の勉強にもなるから、なんて理由で決めた大学の志望校は、「東京学芸大学 教育学部B類の英語コース」そして、「埼玉大学 教育学部」。
教育学部に行きたいから国立文系コースを選んだのか、英語数学は得意だけど、現代文理科が苦手だから国立コースを選んで教育学部を志望し始めたのか、その因果は不明瞭。
大した熱量や想いはないなかでも、周りに負けたくないというただそれだけの熱量で勉強だけは頑張っていた。
そんな一つの学部しか見ていなかった僕に転機が訪れたのは、高校2年の夏。昔別の投稿で書いたから、その辺はそちらへ。
なんというか、大袈裟かもしれないが、世界を経験したことで自分がなんとなく見すぎていた「先生」への興味に大した理由もないことに気がついた。別の興味が圧倒的に上回っていた。
もっと英語を勉強して、話せるようになりたい。いろいろなことをもっと知りたい。
これらの明確なモチベーションが、学習院大学国際社会科学部へと導いてくれたわけです。
憧れなんて消えない
国際社会科学部に入学したことで、教員への道が途絶えるわけではなかったのだが、元々は英語の教員になりたくて。けれど、弊学部は、高校の公民か中学の社会の免許しか取れなかった。
だから、大学在学中に教職課程を取る選択肢は諦めた。というか、取らなくて良いかと割り切れた。
けど、だけれども、なんとなくの想いであっても幼少期の憧れは憧れのままこころに残り続けるんです。
こんな歌詞に後押しもされたり。
中学からの友人に教えてもらう形で、自分とは縁もゆかりもない個別指導塾をアルバイト先へと決めた。
大学1年生の冬のことであった。
素直な子
この塾がターゲットとしているメインの層は、学校の成績をあげる補修程度の生徒たちだと思う。明確なカリキュラムが決まっているのは公立中学校の生徒くらいで、それ以外は高校生も含めて割と自由。
大学受験も受け持ってますだなんて恥ずかしいくらいに、担当講師の力量に左右されると思う。
なんだか働き始めて思ったことは、自分の幼少期とまるで違う様子の子供が多いなということだ。
思い返してみると、私の親は教育熱心?で、教育の大切さはそれなりに理解していた方だと思う。当時は「強制」に思えていた勉強だって、強制されているうちは嫌な気持ちにもなったけれど、たしかに、他の人よりも点数が低いなんてコトがもっと嫌に思えて、勉強だけは頑張れていた。
いや、自分が頑張れていたというよりも、環境が良かったからだと思う。
それなりのお金を払って、それなりの時間をかけて中学生から集団塾に入れてもらえた。
教科を教えることに特化した職業なのだから、そりゃあまあ、学校の先生よりもわかりやすい授業を展開してくれる先生が多かったし。なんて恵まれた環境で学びが行えていたのだろうと、自分が目の前にしている中高生を見て思う。
彼/彼女たちは、こんな大学生アルバイトごときに教えてもらっている一方で、プロの講師に教わっている子もいる。けれど、その向かう先は同じ高校/大学受験。
もちろん、ターゲットや目的が異なるから、経営上は問題ないのだろうけど、子どもからしてみてはどうだろうか。
勉強を頑張りたい、もっと点数をあげたい、けれど、お金の問題や親の関心不足で、程度の高くない塾にしか行けない。
この差が少しばかりでもあることに気がつき、悶々とし始めるのです。
答えを教えて
塾に通わせたいと考える親の動機なんてものは似たり寄ったりで、僕から言わせてもらえば、「公教育が頼りないから」という一言に集約されていると当時は考えた。
散々聞いた学校の先生の悪口。
授業が分かりづらい、つまらない。
教員不足が加速していく中、先生の働き方はブラックだとか、その負の実態を報道することが多いし、せっかく教職課程を修了した人はそれなりにいるのに、そのまま先生になろうという人は全員ではない。
もっと先生の良い側面をどうせなら報道してくれよ。
とある教育会社の説明会。かなりの大企業の説明会。
その中で、「少子化が進み、教育産業が不安視されていますが、子どもの数が減るからこそ一人あたりにかける教育費は増えると予想されています。今でこそ、私教育が拡大していく機会なのです。」
なんて感じの話が前向きにされていた。申し訳ないけど、この会社は合わないなと即座に思った。
公教育が頼りないものであることは一旦傍らに置いて、そのなかで自分たち私教育が頑張っていきます!みたいなスタンスの会社はどうも気味が悪かった。
まずは公教育を助けるべきだろ、と。
就職活動を続ける中で幾度も教育の答えは見つからなかった。
私教育の拡大が起こることで、
子どもの教育=公教育+私教育 が普通化していく。そうなると、私がまさに塾バイトの経験から懸念し始めた格差があらわになってしまう気もした。というか、その歯車に加担することだけは納得いかなかった。
教育に関心はあって、だからこそ私教育に関わっている人はたくさんいるのに、公教育で頑張っている先生たちを支援しようという姿勢が見えない会社もある程度いる。
塾の力が増すことで、学校の先生の負担は軽減されるかもしれないけれど、ビジネスとしての私教育に子どもたちが巻き込まれていく。教育とビジネスを掛け合わせるのって、なんだか難しい。そこで支払える経済力の差は子どもたちにとってみれば、変えることの出来ない定数。
考えれば考える程、社会の在り方を知れば知るほど、自分があと数年後にどこに身を置けば納得できるか分からなくなっていった。
そこで、私は、一番信用できる教育のプロにこの気持ちをぶつけてみたのです。
鳥だけど猫が好きな人
アルバイト先の塾長。この会社で働く前は、広告代理店で働いていたそうだ。今年が30代ラスト。男性。結婚願望はないらしい。そういえば、なんで教育の仕事を選んだんだ、なんて聞いてみればよかったな。
自分と教育の交わり方が分かりません。納得できる就職先の決め手に欠けます。とりあえず、思っていることは、塾なんてものが必要にならないくらい公教育が力を持って頼りがいのある存在になってもいいと思います。塾の産業が拡大していって、塾が当たり前になんてなったら、そこで支払える金銭の差で、子どもたちが受けられる教育にも差が出てしまうと思います。だから、塾だけを運営しているような会社は合ってないと思ってきました。しかも、自分の生活の面も考えると、真に子どもたちを救えるような、支援できるよな会社って、収入はそう多くはないでしょうし、、、
塾という施設の存在ってどうお考えですか?
長ったらしく、生意気に持論を展開しすぎたと今では大きく反省している。
そこでのアンサーはこうだ、
「たしかに岩ちゃんの言うこともわかる。けど、塾っていうのは単に勉強を教えるだけの場所じゃなくて、『家』でも『学校』でもない『第三の居場所』として大事に思ってくれている生徒も親御さんもいるんだよ。放課後に面倒を見てくれる施設ってのは言いすぎだけど、頼りにしてくれている人は多いから。塾ってそういう場所であったり、家での勉強のきっかけづくりにもなってる。」
、、、、、そのお言葉一つ一つをもう一度噛み締めていくと、どうにも解けずにこんがらがっていたものの一部がスカッとほどけた感触がした。
まるで彼女の細すぎるネックレスのねじれが取れたときのよう。
『第三の居場所』という言葉がそれ以来かなり気に入り、様々な場所で話している。
塾という場所を子どもたちに提供するメリットは、学力向上以外の要素も強いのだと。しかし、だからといって公教育の支援を怠って良いとはならなかった私は、法人として社会貢献の色味が強く、校舎という現場を提供しつつも公教育の支援事業も多く行えてる、学校法人河合塾を第一の居場所と定めたわけです。
まずは、大きな会社に所属してみて新たな世界を見渡してみようと思います。
こうやって、既存の自分の考え,社会に対するもやもやをそれこそ先を生きる人にぶつけてみることで何らかの応えがあります。100%が自分にとっての答えとはなりませんが、この対話の姿勢は忘れてはいけません。
価値観をずっと交換していくんです。自分にとって新しくて納得ができたならば、古いものを上書き保存。逆に、その考えは答えではないと思うのならば徹底的に拒んでも良いかと思います。
この価値観の交換作業を通して、どんどん脳内をアップデートしていく。このことはこれからもずっと行っていきたいですね。まあ、自分の考えを披露するのはたまに苦しみも伴いますが、がんばりましょうかね
猫好きさん、ほんとうに助かりました。
ありがとうごさいます。
岩田先生として学んだこと
4000字を超えました。ここまで聞いてくれてありがとうございます。
3年ちょっとの個別指導塾のアルバイトを通して思ったことを、簡単にいくつかまとめておきます。
・居場所としての役割
塾が楽しい。と言ってくれた生徒たちはたくさんいます。きっとそれは、テストや模試の点数が上がってきて、楽しさが出てきたことだけじゃなくて、我々と対話をしたり、その塾内だけの学校の友人と切磋琢磨する時間もすべてが楽しかったんでしょう。
家族でも友人でもない、圧倒的な他人であるはずの我々だからこそ踏み込める距離っていうのがあるのかなと思います。
まだ親には言えてないんですけど、、なんて枕詞から始まる相談をなんども受けてきました。
丁度良い他人 っていう我々の力,存在意義は彼らにとって偉大なときもあるのでしょう。
・丁寧に選択させる
10代は特に、自らの興味と強みを見出す準備期間かなと思います。
子どもたちには選択肢が少ない。だからこそ、その選択肢をできる限り増やしてあげた上で、丁寧にその背中を押し、たまには手綱を引いてあげないとです。
この勉強の先に待っている未来、将来は一体何なのか。それは晴れやかなのかそれとも悪夢か。我々先人を参考にして自らの将来を見渡していくんです。
だからこそ、彼らの可能性に気がついて、少し先の未来を生きる勇気を与えてあげる姿勢が大事でした。
他にもまあ、いろいろありますが、自分の中では整理がついてますから、ちょっともうめんどうなので披露するのはお預けにしましょう。
とにもかくにも、教育の仕事というのは大袈裟ではなく世界の未来を作っていると思います。
子どもたちに教育を行い、将来社会を生きる勇気を与えることで彼らひとりひとりが様々な場所で活躍し、社会課題の解決に貢献をしてくれたなら、世の中にとって大きなインパクトを生み出すそのきっかけは教育です。
これだけは否定できないと思います。
すべての社会、会社が、「教育によって人が成長する」ことの恩恵を受けるでしょう。
その成果が出るには時間がかかりすぎるかもしれないけど、それでも諦めずに支えていきたいです。
だから、教育の仕事に興味がないような人でも、ここまで読んでくれた人はそう多くはないと思うけど、関心をもってくれたら幸いです。
最後に、アルバイト最終日の最後のコマであった高1女子の言葉を紹介します。
「私は、勉強は苦手だけど会話は好きです。けど日本語は難しいです。だから、口下手だから、ストレートな表現が多い英語のほうが好きです。」
ほんの半年しか担当できなかった彼女の言葉だが、不思議と心に残っている。彼女には机上の勉強だけではなく、英会話や留学を勧めても良さそうだ。
そんな彼女が授業後、「お世話になりました」と渡してくれたものは、
龍角散ののど飴
「先生いつも食べていらっしゃったので〜あげますー」との言葉。
これだから教育は楽しくてその沼からは抜け出せないんです。
おしまい。
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