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僕の「トラウマ」を聞いてくれ。

どうも、「人間とは考えるポジティブである」byポジティブ屋さんです。

僕は普段ポジティブを売って生きていますが、
その前はネガティブ村でネガティブを栽培して生きていました。
特に中学生の時期は、新鮮でイキのいいネガティブがたくさん採れました。
そんなネガティブと、そこに対して僕がどう考え対処したのか
を紹介させてください。

僕が中学一年生の、まだ入学してそれほど時間が経っていない時でした。
A君と一緒に帰っているときに、僕は自分の好きな話題を話していました。
するとA君が、
お前の話は理屈っぽくてつまんない!
と言ってきたんです。

衝撃でした。
まるで金魚だと思って育てていたらサメだったくらいの衝撃を感じました。

僕は小学生の時から人を笑わせたり楽しませることが大好きで、
自分は面白いと思っていたので、人からつまんないと言われることが
あまりにもダメージが大きかったのです。

僕はその時、瀕死の重傷を抱えながらもこう思いました。
自分の好きなことだけ話しちゃいけないんだ…。
 理屈っぽく話しちゃいけないんだ…。
 これからは相手が喜ぶ話題を感情入れて話さないといけない。」

それから僕は上の事を意識して過ごし始めました。
やっていく内に段々と上手になり、
大抵の人とは楽しくお話できるようにはなりました。
あの時の僕は、明石家さんまさんばりに場を回しまくっていたと思います。
(さすがに言いすぎました)

しかし、ずーっとA君の言葉は脅迫観念のように付きまとうんですね。
理屈っぽさや自分を出してはいけない、出したら嫌われる
おかげで僕は、本来の自分を出せなくなってしまいました。

本当の自分を見せられる場所はどこか、本当の自分て何だっけ?
そう思っていた大学生時代、僕は訪問販売のインターンに参加します。
飛び込み営業というあまりにも好かれない仕事をすれば
何か自分が変わるんじゃないかと意を決して自分をぶち込みました。

その会社ではMBTIという自己分析ツールを用いて
社員のスキルアップを図っていました。
最初は僕も面白そう!くらいの感覚で受けて
自分を客観的に深堀っていく内に、
自分が本来感情的で慈愛に溢れた性格ではなく
論理的に物事を考える性格なんだと気付かされました。

その時に忘れていたトラウマが蘇りましたが、
本来の自分にもう気付いてしまったので、
無理する必要はない、このままでいいんだ。
と思えるようになりました。
それどころか、僕が本来持っていないものを持たせてくれてありがとう
という感謝の心まで出てきちゃいました。

僕にとってトラウマは、
「怖いもの、もう二度と味わいたくないもの」
という認識でしたが、
「自分を成長させるために準備されたもの、
気付きを得るために必要だったもの」

に転換されました。
つまり、僕にはもうマイナスのトラウマはありません。

そもそもトラウマという言葉が虎・馬という大きくて強そうな動物を
連想させるから怖いと思います。
僕はこの瞬間からトラウマ→リスウサギに変更します。
つまり、僕にはもうマイナスのリスウサギはありません。

この記事を読んでいる方の中にもリスウサギがある方も
いるかもしれません。
ですが、もう一度よく考えてみてください。
そのリスウサギはあなたにとってマイナスしかないのでしょうか?

自分だけではわからない!という方は、
このポジティブ屋さんを頼ってください。
いつでも待っています

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