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#319 その存在


「おはよう」

「おつかれ」

「ばいばい」

会話はせいぜいこれぐらい。それでも私は確かに彼女に支えられている。

高校生活最後の夏休み。大学進学を志望する私にとって、今は成長する最大のチャンスです。そんなことは分かっているのに、エンジンがかけられない。勉強に集中できない。

特に、今週から。

先週との大きな違いは、学校の自習室(といっても、いつもの教室が解放されているだけ)が開いていないこと。

私は夏休みが始まってからも、毎日学校に行って自習室を利用していた。私の他にも、数人毎日学校に来る人がいる。その一人が彼女。

特別仲がいいわけではない。廊下ですれ違うときも挨拶したりしなかったり。挨拶はしても、会話はしない。そんな関係。

その関係は、夏休みに入って学校に人が少なくなったからと言って深まるものでもない。二人きりは非常に気まずい。そんな関係。

そもそも私と彼女は人間としての性格が全く違う。

彼女は、常に明るく、友達が多い。ひょうきんで人懐っこい。
私は真面目でネガティブで、社交的とは言い難い。

そんな私たちは、夏休みに入って、毎日自習室で顔を合わせるようになった。お互いのことは中学の頃から知っているけど、間には距離がある。

特別好きとか、特別嫌いとか。そんな感情は全くない。

だから、一日中同じ部屋にいてもかわす言葉は、まるで少ない。廊下ですれ違ったり、帰ったりするタイミングが異なれば、一言も言葉を交わさないなんてこともある。

それでも、私は彼女の存在に支えられていたのだなと思う。

私が今週に入って、勉強のモチベーションがかなり下がったのは、学校に行き、彼女という存在を感じなくなったからではないだろうか。

学校という場所が私にとって、次週に適しているということももちろん考えられる。しかし、彼女がいるといないでは学校での集中力も違うのではないかと思わざるを得ない。

よく「受験は団体戦」だという言葉を聞く。

私はその言葉に今まであまり納得できなかった。どうせ、頑張るのは自分一人。みんな一人で頑張らなくてはならない。人の進路は自分には関係ないし、自分の進路は人には関係ないからだ。でも、最近はなんとなくその言葉の意味をつかんできたような感じがする。

ふと自分の手が止まったときに、斜め前の彼女を見る。

彼女は最近毎日青チャートを解いている。

それを確認して、また自分の日本史の参考書に目を戻す。

こんな何気ない、一瞬の「彼女」という存在が、集中力の切れた私をまた勉強に戻していたのだと思う。

お盆の期間が終われば、また学校が開くだろう。そして、彼女と私は再開する。「ひさしぶり」なんて話すのだろうか。いや、言わない気がする。

それでも私は、彼女という存在に支えられている。無事に残り半年間を彼女も私も終えられたらいいなと思う。

いつもありがとうございます!