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目的論は量子力学

「客観主義の原因論はニュートン力学、
主観主義の目的論は量子力学」
という言葉を耳にして、物理はさっぱりわからんクセに
「やっぱりそうかー!」とワクワクした。

アドラー心理学の考え方には
「意識を向けたところが増える」
ということが前提にある。

誰かに「優しいね」と言われたら、
「私って優しいんだ」と自覚して
その人の中にあった優しさは増えていくし

誰かの「いいところ」を見ようと思えば
その人のいいところが目に入ってきて
相手のいいところが増えていく。

おもしろいのは、
単に今まで見えてなかったものに気づく、
ということだけでなく
自分の目的通りに現象化する、ということだ。

嫌いな人には
「距離をおきたい」という目的を持ってるから
相手の嫌なところばかりが目に入ってきて
ますます相手と距離をとるようになるし、

好きな人なら
「親しくなりたい」という目的を持ってるから
相手と気が合うところとかが色々目に入ってきて
ますます親しくなる。

好きだった人のことを嫌いになると
突然その人の嫌なところばかりが目に入ってきた
経験は誰にでもあるのではないだろうか。
(え、私だけ?)

「親しくしたい」の目的が
「距離をおきたい」の目的に変わったから
見えるものが変わった、
と考えれば説明がつく。

更に、こっちが「嫌いな相手」と思って見るから
相手もそれを感じて本当にその行動が増える。
つまりそれが現実化するあたり、
個人の意識の変化が相手にも影響する、
人と人とは相互影響なのだ。

これが本当に正しいのかどうかは
自分に実験しては納得してるだけの私には
ぶっちゃけわからない(笑)

だけど
「なんで私はこうしてるんだろう」
「なんであの人とはこうなるんだろう」
と感じる数々の不思議は
目的から考えると紐解けるので
ドップリこの考え方に染まってしまった。

せっかく生きてくなら
なんでだろうと頭を悩ませるよりも
こういうことかと納得できてた方が
ならばどうすればいいんだろうと
色々実験してみたくなる。

人生は実験だ。

流されてるのではなく、
自分が焦点を定めた先に向かっている。

自分が何を見たいと思うのか、
意識を向けた先が現象化する。

だからやっぱり、
できていないことよりも
できていることの方に目を向けたい。

ネガティブよりも
ポジティブな側面に意識を向けたい。

それは
「できないことは見過ごせ」とか
「ダメなところは仕方ない」とか
そういうことではなくて、
「それよりでっかい花を咲かせれば
雑草はかすんでしまう」
ということなんだと思う。

雑草は抜いても抜いても、なくならない。
できないこともダメなところも、なくならない。

気にすればするほど増えていくのなら
既に芽が出ている花の方に水を注いだ方が
すぐに花は咲くし、
咲いた花を大きくしていくうちに
いつの間にか雑草も
花に陣地をとられて減っているかもしれないのだから。

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