ぽじふる

アドラー心理学講師。アドラーが教えてくれた人間理解の知恵をわかりやすく、対等な人間関係を創るコミュニケーションで人生と周りの人達を幸せに、をテーマに日々アドラー心理学の実践と普及に努めています。

ぽじふる

アドラー心理学講師。アドラーが教えてくれた人間理解の知恵をわかりやすく、対等な人間関係を創るコミュニケーションで人生と周りの人達を幸せに、をテーマに日々アドラー心理学の実践と普及に努めています。

最近の記事

弱くて強く、愚かで賢く、残酷で優しい私たち

物事には必ず コインの表と裏のように 相反するものが背中合わせになっている、 という考え方が好きだ。 特に人の「心」を捉えようとする時、 この見方は希望を感じやすいのではないだろうか。 たとえば、 森田療法では 神経症になる人は 生きる力が強いと考える。 生きようとする生への欲求が強いからこそ、 不安や葛藤もまた大きくなるのだと。 美なるものと醜なるもの、 真なるものと偽りなるもの、 相反する二面性があるのが人間と捉える 森田療法では、 人は自分らしさを発揮したいと

    • 言葉は符号に過ぎない

      20歳の頃、勤めていた会社に「グンジさん」 というカッチョいい苗字の女性がいて、 仕事ぶりもカッチョよかった彼女の口癖は 「あの人頭おかしい」 だった。 批判的な意味ではない。 猛烈に仕事をこなしてた専務を称して 「専務は頭おかしい」と言ったり 残業続きでフラフラでも激務をこなす社員に 「絶対頭おかしい」と言ったりしてたから、 たぶん良い意味での「クレイジー」って ことだったのではないかと思う。 私も彼女も派遣社員だったけど 彼女は3ヶ月契約の更新の時、 自ら更新を

      • ラベルにご用心

        高校1年の頃、シャネルの巾着リュックに憧れた。 A4サイズのモノが余裕で入る大きさで、 真っ黒な布地に「CHANEL」の白い文字が デカデカと印字してあり 背中に背負うとコロンと丸っこくてかわいい、 あのリュック。 私の記憶では割と流行ってたと思うのだが、 私の地元の静岡だけで起きてた現象だったのだろうか。 街に出ると、かわいい女子高生達は まるで「ギャルの指定バック」かのように 背中にそのリュックを背負っていて 見る度「いいなー私も欲しい!」と思ったものだ。 あのリ

        • すっぱいぶどう効果

          イソップ寓話に、 「すっぱい葡萄」 というキツネの話がある。 おいしそうなぶどうを見つけたキツネが それを取ろうとするのだけれど、 高い所にあるから届かない。 何回跳んでも届かないので とうとうキツネは 「どうせあのブドウは、 すっぱくて美味しくないや」 と言って去る、というお話。 この話は、心理学で 「防衛機能」とか「自己正当化」の 比喩として用いられる。 本当は手に入れたいのに 手が届かないと思うと 最初から欲しくなかったんだ、とか あれには価値がないんだ、とか

          人間の性(さが)

          どんなにデキた人だって お腹は空くし 人から認められたいし もっと自分を発揮したいし 人間なら当然持ってる「欲」がある。 もちろん人によって 安心への欲求が強かったり 快楽への関心が高かったり 成功への渇望が大きかったり 度合いは違ってくるけど それが全く「ない」人はいない。 同じように、 自分が1番正しい、 相手を自分の思い通りにしたい、 間違って見えるものは正したい、 っていう 自己中心的な考えは 人間なら誰でもあるし、 というよりすでにそうなはずだし、 それが人

          人間の性(さが)

          「普通」じゃなくていい

          たぶん、多かれ少なかれ人は何かしらの 「特別」を目指してるんじゃないか、と思う。 何かの分野で「特別」な人になりたい、とか 誰かにとって「特別」な存在でいたい、とか 「特別」なことができる自分でありたい、とか。 それは自然なことだと思う。 そこには「より良くありたい」 という願いがあるだろうし 「人に認められたい」 という欲求もあるだろうから。 そもそも人はみんな、 顔も形も考えることもできることも 今まで生きてきた経験も何もかも 1人として自分と同じ人はいないから

          「普通」じゃなくていい

          トラウマは存在しない?

          「アドラーは”トラウマは存在しない”っていってたんでしょ?」 と聞かれることがある。 残念ながら私には、死者と交信できるような特殊能力は持ち合わせていないので、80年以上前に亡くなっているアドラーが、トラウマについて実際のところどう考えてどのように言っていたのか、正確なところはわからない。 なのでこの記事は、アドラー本人が書いた本や講義やカウンセリングの記録など、わずかながらの情報から私が勝手に憶測した想像に過ぎないことを予め断っておきます。 結論からいうと、 アドラ

          トラウマは存在しない?

          支配は人の普遍的な欲求

          アドラー心理学で推奨しているのは、 人と人とが対等な「横の関係」である。 「横の関係」とは、言い換えれば 「人が人を支配しない関係」といえるが アドラー自身 「人間は他者を操作し支配しないではおられない」 ことを認めていたらしい。 なんと興味深い。 つまり 「相手を自分の思い通りに動かしたい」 と思うのは、優しさとか思慮が足らないとかいうより そもそも人の普遍的な欲求ということか。 そして 「自分の考えを手放し、相手に関心を持つ」 方に意識をシフトすることが唯一の解決方

          支配は人の普遍的な欲求

          課題の分離の先

          課題の分離は、簡単にいえば 変えられない「相手」を変えようとするのをやめて 「自分」に何ができるかに意識の矛先を変える、 今までと違う行動を生み出すための1つのステップ。 人は誰かに対して感情的になっている時、 あるいは悩んでいる時、 『ひどいあなた、かわいそうな私』 の思考状態に陥りやすい。 そんな時は大抵、相手の方が変わることを望んで 自分が何かしてみようという気にはならないので そこから脱却する解決法。 「なんであなたはやらないの、できないの」 「どうしてわかって

          課題の分離の先

          自信はなくていい

          アドラーは、人は常に理想の自分があって、 その目標追求のために行動するのだと考えた。 理想の自分から見れば、 現実の自分はいつだって「不完全」だ。 なぜなら、どれだけ成長しようと 人は更に高い理想を心に描くから 実際に目標に達することは永遠にない。 だから人間は一生目標を追求し、 この理想の自分と比べて「劣っている」感覚を 「劣等感」と表した。 そしてこの「劣等感」を克服しようとすることが 人間行動の動機になっているのだと。 ということは、人は常に 「自信がない」と

          自信はなくていい

          課題の分離

          先日、周りの人の反応の低さから 自分の不甲斐なさを感じて落ち込んだ。   それをコーチに話したら、 「他人がどう思うかじゃなくて 自分がどれだけやったか、でしょ!」 とぴしゃりと言われて、 ほっぺを引っ叩かれたような思いがした。   そうだった、 不甲斐ない自分がダメなのではなく 他人がどう思おうと悔いが残らないほど 自分にできることはやったのか、 それが目を向けるべきところだった。   他人の評価で、自分の価値を測らない。 自分の課題は、最善を尽くすことだけ。   アドラ

          課題の分離

          葛藤ではなく補完と考える

          アドラー心理学の ”人の心に矛盾や葛藤はない”という「全体論」の考え方は "人の行動には全て目的がある"(目的論) に比べると地味?な印象だが、 すごく好きな考え方だ。 これ以上に力強い 自己肯定の言葉があるだろうか。 たとえば対人恐怖症や神経症などの体の症状も、 それ自体が「問題」だとは捉えない。 その人にとっては必要なものだったから 存在してるのであって、 それさえ排除すれば解決するとは考えない。 感情も同じ。 怒りや恐怖など、ネガティブな感情は 時に排除すべきもの

          葛藤ではなく補完と考える

          目的論は量子力学

          「客観主義の原因論はニュートン力学、 主観主義の目的論は量子力学」 という言葉を耳にして、物理はさっぱりわからんクセに 「やっぱりそうかー!」とワクワクした。 アドラー心理学の考え方には 「意識を向けたところが増える」 ということが前提にある。 誰かに「優しいね」と言われたら、 「私って優しいんだ」と自覚して その人の中にあった優しさは増えていくし 誰かの「いいところ」を見ようと思えば その人のいいところが目に入ってきて 相手のいいところが増えていく。 おもしろいのは

          目的論は量子力学

          「勇気づけ」は愛だと思う

          アドラー心理学には「勇気づけ」という技法がある。 技法と書いたが、勇気づけはテクニックではない。 「スキルであり理論である」と アドラーのお弟子さんは表してたけど、 愛だと思う。 そこにあるものに光を当てる、 当たり前だと見過ごしてしまいそうなものに価値を見出そうとする、 それは意識すれば誰でも持ちうるけれど、 意識しない限り気づけることのない、人の心の運動だと思う。 アドラーは、仕事の悩みも生き方の悩みも 「結局は全て対人関係の問題」と表した。 人が人生の問題から逃

          「勇気づけ」は愛だと思う

          「共同体感覚」はアドラーが考えた社会変革の切り札

          アドラーが出した幸せの結論、「共同体感覚」とは何か? 何か?と書いておきながら何なのだが、アドラー自身がうまく表現できなかったことを、まさか私に言い表せるわけがない。 言い出したアドラーが亡くなって80年、いろんな人が様々な解釈をしているが「そう、俺が言いたかったのはまさにそれなんだよ~」とアドラーから太鼓判を押してもらえることは永遠にない。 日本では、日本にアドラー心理学を持ち込んだ野田俊作先生の説明が最もオーソドックスで、最もポピュラーなものとして広まっているのではな

          「共同体感覚」はアドラーが考えた社会変革の切り札

          アドラー心理学は科学じゃないからロマンがある

          アドラー心理学の講座をやっていると、たまに 「アドラーってなんか胡散臭い」と言われることがある。 それはある意味、その人の嗅覚が鋭いのだと思う。 なぜならアドラー心理学は、「科学」じゃないからだ。 「幸せ」についての答えを、アドラー心理学自身が持っている。 それは、人を調査したり実験したりした結果から「人はこういう時に幸福感を感じやすい」とか「これが幸福感につながっている」とか仮説検証して導き出した「幸せ」の答えではない。 アルフレッド・アドラーという人が、大勢の人を

          アドラー心理学は科学じゃないからロマンがある