自信はなくていい
アドラーは、人は常に理想の自分があって、
その目標追求のために行動するのだと考えた。
理想の自分から見れば、
現実の自分はいつだって「不完全」だ。
なぜなら、どれだけ成長しようと
人は更に高い理想を心に描くから
実際に目標に達することは永遠にない。
だから人間は一生目標を追求し、
この理想の自分と比べて「劣っている」感覚を
「劣等感」と表した。
そしてこの「劣等感」を克服しようとすることが
人間行動の動機になっているのだと。
ということは、人は常に
「自信がない」ともいえるのではないだろうか。
自信は、経験からしか生まれない。
理想の自分はいつも
まだ経験したことのないところにいるのだから、
そこを目指す時「自信」はまだない。
むしろ、自信がないからこそ
目指すのだともいえる。
だから、自信はなくていい。
いや、自信がないからいいのだ。
問題があるとすれば
「自信がないからできない」と
自信がないことを口実にした時である。
それは本当の理由じゃない。
「自信がないからできない」のではなく
「やりたくないから自信がないせいにしている」
のだ。
では、なぜやりたくないのか。
失敗したら人から評価されないのではないか、
できなかったら必要とされなくなるのではないか、
こんな風に
自分の価値が脅かされることを恐れているからでは
ないだろうか。
失敗したくない、の根元には
嫌われたくない、がきっとある。
当然だ。
人は、他人なくしては生きてはいけないのだから。
でも、ちょっと待ってほしい。
そんなに人って、完璧を求めてるものだろうか。
そんなに人って、信用ならないものだろうか。
あなたの価値は、
そんなに簡単に誰かに
上げられたり下げられたりするものだろうか。
「嫌われる勇気」を持つということは
「嫌われてもいいから好き勝手にやれ」
ということじゃない。
人に嫌われることを恐れず、
「そのままの自分」でいる勇気を持て、
ということだ。
「そのままの自分」というのは、
理想の自分を「本当の自分」だとは思わず
今ここにいる現実の自分、
「不完全な自分」から始めよう、
ということだと思う。
「理想の自分」になろうとするのではなく
「不完全な自分」なら今何ができるのか。
不完全な自分を認めるには、勇気がいる。
それは今はまだ「理想の自分」
じゃないということを、
今すぐにはなれないことを、
真正面から受け入れることだから。
嫌われるかもしれないと思っている自分を
さらけ出すことだから。
でも「理想の自分」じゃなければ
嫌われるかもしれない、と怖れているのは
実は自分だけだったりする。
あなたが怖れていることは、
すべて自分の思い込みに過ぎない。
本当は別に、
「理想の自分」じゃなくてもいいのだ。
あなたの価値は、
誰かの期待に応えることでも
誰かの評価で決まるわけでもない。
自信がないあなたに、価値がある。
自信がないまま前に進もうとするその姿に、
人は魅せられる。
自信満々で何事も完璧に成し遂げる人に
人は魅力を感じないものだ。
不完全でありながら
失敗を繰り返しながら
それでも尚前進する姿に
人は魅了されるし、応援したくなるのだ。
それはきっと誰もが、
自分が不完全であることを
知っているからなんだろう。
だから、自信はいらない。
あなたに必要なのは、
「自信」ではなく
自分を「疑う」ことをやめることである。
あなたの価値は、
あなたがあなたである限り
決して揺るがない。