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白鳥と天国〜映画アイ・アムまきもとより〜

「よくがんばったね。牧本くん」

そう彼に差し伸べられた手は、私の正義となり礎となった。


私は小さい頃から自分の思った道筋からずれることを極端に恐怖というか、世界が存在しない、そんな感覚を覚える傾向があった。
自分の知ってる以外の世界は存在しないのだから、私は足を踏み外さないように毎日を繰り返した。
その傾向は、私にとっては当たり前のことだったが、集団になると私の行動は『変わり者』として評価され、排除されることが多かった。

なので、私は私の世界の中だけで生きていた。

私の唯一の味方は母親であり、母親の言うことを聞いていれば大抵のことはそれほどトラブルなく過ごすことが出来たため、母親の意に沿うように生きてきた。
母親が僕のルールを決め、そのレールの上を僕は進むだけで良い、そんな構図ができあがっていた。

だが、それがどうしてもうまくいかなくなる事態が起きた。

母親が急逝したのだ。
くも膜下出血だった。あっけなく私の前から母親は姿を消し、当時高校生だった私は一人取り残された。

母一人、子ひとりで生活してきた私達は、貧しい暮らしに加えて周囲に支援者が一人もいなかった。
病院の霊安室でひとり取り残された私はどうして良いかもわからず、ただ、冷たくなった母親をじっと見つめるだけだった。

そんな時、市役所の福祉課の人が私に声をかけてくれた。
『公的扶助』というもので、母親を火葬する手続まで行ってくれるという話で、そんな中で、市役所の福祉課の人は「君が望むなら、お葬式までの手続きを手伝うことが出来る」そう言った。

「お葬式って何ですか?」

私は初めて聞く言葉の意味がさっぱりわからなくて、彼にそう聞いた。

「そうだね・・・」

彼はしばらく黙り込んで、考え込んでいた。

「そうだな。お葬式って、故人を偲ぶ儀式ではあるけど、その人が生きていたときのことを思い出しながら話をしたりすることで、その人の知らないことを知ったりして、悲しい現実を少しだけ笑顔に出来る儀式かな」

彼は、そう言ってわたしの肩をぽん、と優しく叩いてくれた。

「お願いします」

私は肩を優しく叩いてくれたこの人の道筋に乗っかってみよう。そう思った。
それからは、彼の指導の下お葬式をする段取りを組んだ。

葬儀当日、元々母親は身寄りがなく、ほぼ参列者はいなかったけど、何人か集まってくれ、頼りない私を見守って、母親の人となりを話してくれた。
母の話をする知人たちの顔がとても穏やかで私は母親に抱かれているような、そんな安心感を抱いた。

その後、共同墓地に埋葬し、私は手を合わせた。

母に向けて手を合わせたつもりだったが、この中には母と同じ骨壷に入った何人もの人が埋葬されていた。

私は一体誰に手を合わせているのか?

そんな事を考え始めたら、何が本当で、何が大切で、何が大切じゃないのかがわからなくなって、福祉課の人にしがみついていた。

「どうしたの、牧本くん?」

ただならぬ私の様子に、驚いたように市役所の人は顔を覗き込む。

「あの、あの、あの、あのお墓は、母一人だけのものじゃないから、私が手を合わせても、母一人に向けられるものではなくて、あの中にいる人たち全員に向けてになってしまいます。
それが正しいのかどうか。私は、母に手を合わせたいのに、どうして、なんで、できないんだろう」

混乱しながらも、私は必死に言葉を紡いだ。

「牧本くんは、お母さんだけに、手を合わせたいの?」

「いえ、そういうわけではないんです。
あの中にいる人たち全員に想いが届けばいいなとは思いますが、私は顔も名前も知らない人たちで、どう手を合わせていいのかわからないんです」

「そうかー、全員というのは、なかなか難しい問題だねえ」

「やっぱり難しいんですか?」

「そうだね、難しいね。でも、やりたいの?」

「やりたい?」

「共同墓地に眠る人たちの顔と名前、知りたいのかな?」

「そう…なのかもしれません」

「そっか…それじゃあ、来て」

市役所の人は、私を奥の東屋に連れて行って、分厚いファイルを出してきた。

「はい。ここ数年の、共同墓地に眠る人の資料。写真はないけど、名前と住所くらいはあるよ。内緒の資料だから、ここだけで見てね」

言われるがままにファイルを捲る。
色々な人の名前と生年月日、亡くなった日付、どこで亡くなったかなどが示されていた。

あの共同墓地に眠るお骨一つ一つに、ちゃんと名前があって、人生があったんだ。

私は、あの共同墓地が急に色づいて見えた。

それから私は、母親の名前と共に、そこで眠る人の名前を一人一人名前を唱えて手を合わせた。

「よく頑張ったね、牧本くん」

色んな人の名前を呟く私の隣で、市役所の人が私に向かって、そう手を差し伸べてくれた。

「頑張った?」

私はポカンとしていた。
何を頑張ったのかわからなかったのだ。

「頑張ったよ。君は一人でお母さんを見送るだけじゃなく、ここに眠る人全員に手を合わせてくれたんだよ。すごい事だよ」

「…そうなんですか?」

「そうだよ。すごい事だよ。きっと、この中で眠る人も嬉しいはずだよ。よく頑張った!
最後までやってみて、どうだった?」

「…そうですね。楽しかったです。
いや、あの、母親が死んでしまったことはとても悲しいのですが、こうやって母親がいなくても、母親の話を聞くことで、私の知らない母親を知ることができたし、話を聞くことで、母を感じることができた。ここに眠る人のことも、少しだけですが、知ることができて嬉しかったです。だから、楽しかったんです」

「そうか。君にとって、それが正しいことだったんだね。一緒にやってみてよかった。頑張ったね。本当に頑張ったね」

私は、母親以外の人に初めて褒められて、嬉しくなっていた。

正しい事をした。
そんな自分が嬉しかった。

それから私は何十年の時を経て、おみおくり係として働いている。

あの時の市役所の人のように私を褒めてくれる人はほとんどいなかったけど、亡くなった人を共同墓地という名前のない所に収めたくない。
その信念で私は職務を全うしていた。

最後の仕事として舞い込んできたのが、蕪木という男性だった。

彼は私のマンションの向かいに住んでいた。
狭い世界で暮らしていた私の世界に急に現れた蕪木という男性は、私の生活に入り込んで私を刺激した。

やっと辿り着いた娘さんに「ありがとうございます」そう言われた瞬間、私は、私の世界は急に色づいた。

私は、誰かに「ありがとう」と言われたかった。
「がんばったね」と褒められたかった。

いや

自分を褒めたかったんだ。
よくやったね。がんばったね。

そう言いたいんだ。

そんな自分を発見した瞬間、規則正しく並んだ田んぼ、そこに差し込む朝日。
水の張った田んぼがキラキラと輝き、そこが天国のように感じた。

そう思った瞬間、白鳥が飛び立った。

まるで、私を見ているようだった。
私は今、新しい地図を広げられる。そんな自信に満ち溢れていた。

そうだ。

あの白鳥を写真に収めて、あの人に届けよう。

いつもと違う道を通っても、何も怖くなかった。私が思っている世界より外に足を踏み出しても、世界は終わりがない。
世界は、広がっているんだ。

私は、大きな一歩を踏み出していた。

あとがき
これは、アイ・アムまきもとという映画のサイドストーリーです。
市役所のおみおくり係として頑固なまでに、孤独死した人の親族を探し、なんとか葬儀や埋葬までを、家族に行ってもらいたいと奔走する人のお話です。
主役であるまきもとさんに関してはほとんど語られることがありませんでした。
なので、私はこの映画にたどり着くまでのまきもとさんを想像して今回、お話をつくりました。
なお、小説が出ているそうなのですが、そちらは読んでいないので、完全なる私の妄想であることは、ご了承ください。



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