近代短歌(3.1)与謝野晶子(1878-1942)
道をいはず後を思はず名を問はずここに恋ひ恋ふ君と我と見る
道をいはず後を思はず名を問はずここに恋ひ恋ふ君と我と見る
『みだれ髪』
【内容】
道徳には触れない、後ろのことは考えない、名前は聞かない、ただここに恋する私とあなたが見つめ合っている、というような内容。
与謝野晶子は1878(明治11)年生まれ。初めての歌集『みだれ髪』は1901年に旧姓鳳晶子の名で出版された。それまで与謝野鉄幹と不倫関係にあり、1900年の秋に結婚を果たしている。「名を問はず」とは、名前など知らなくても構わないという意味か、不倫相手(である鉄幹)との苗字の違いを表しているのか。
なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな
なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな
『みだれ髪』
【花野】はなの
「花」と言えば春の季語だが、「花野」は秋の季語になっている。撫子や桔梗など、一つ一つは控えめな花が一面に咲いている光景は、寂しくありながら華やかさを感じさせる。
【夕月夜】ゆうづきよ
秋の季語。夕方に出ている月、あるいはその月夜を指すが、厳密には陰暦八月の上弦の夜を指した。
さはいへど君が昨日の恋がたりひだり枕の切なき夜半よ
さはいへど君が昨日の恋がたりひだり枕の切なき夜半よ
『みだれ髪』
【内容】
「ひだり枕」は頭の左側を枕につけて寝ること。理由はあれど、君と愛を語りあった昨日の夜が忘れられず、今日ひとり横を向いて寝ていることが切ない、そんな真夜中だ、のような意味。
春みじかし何に不滅の命ぞとちからある乳を手にさぐらせぬ
春みじかし|何に不滅の命ぞとちからある乳を手にさぐらせぬ
『みだれ髪』
【春みじかし】
現代の感覚でも春は短いような気がする。過ぎていく春を惜しむ言葉として、「行く春」や「春惜しむ」が春の季語になっている。
【内容】
春は過ぎていく、永遠の命などどこにあるのか、満ち溢れているのは私の体ばかりだと、この胸にあなたの手を導いた、というような意味。