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はじめに 強欲な人間であることに関しては自信がある。食欲と睡眠欲は人一倍だし、知識欲と好奇心は半ば化け物じみている。創作というアウトプットを好む以上、インプットに血眼になるのは自然な流れと言えよう。 そのような事情もあって、しばらく前から、何かに使えそうな知識を丈夫な手帳に書き込んでいる。 本を読んでいて出くわしたもの、聞きかじったものなど、雑多なあれこれを蓄えるのは、蒐集趣味も満たしてくれる。有意義な作業なのだが、一項目数行程度で済んでしまうこともあるため、なかなかペ
以前、私の曾祖母が化物を「もんもん」と呼ぶことについて覚書を書いた(詳細はリンク参照)。 まさしく柳田国男が採集した民俗語彙と、その傾向に合致する一例であり、そんなものが令和の世までも生き残っている事実は、存外我々の身近にある不思議な「過去」を思い起こさせてくれる。 そんな感傷に浸りながら記事を書き終えた私は、ふと、別の事を思い出した。 よく考えれば我が曾祖母は、隣人が狸に化かされていた話さえ、私にしてくれたのである。しかも、昔語りの伝え聞きなどではなく、「隣家の
メソアメリカ、今日でいうメキシコ南東部やグアテマラを含むマヤ地域で栄えた、マヤ文明。マヤ暦をもち、高度な建築技術と特異な文化で栄えたことが知られている。 マヤ文明は生贄の風習でもって知られ、いささかエキセントリックな遺構・遺物を残したことでも有名だ。セノーテと呼ばれる泉の周辺で繁栄した彼らは、水源であり神聖な場所であったセノーテに、絢爛な装いの人身御供を捧げた。 近年では水中考古学の発展により、セノーテの底部の調査が行われ、数百年前の人身御供と思しき人骨も調査されてい
現存する日本最古の物語は、『竹取物語』とされている。 神仙思想・羽衣伝説との関連性も論じられるこの物語は、いまだ作者の特定に至っていない。10世紀代に記された文献に、既に名前が見えることから、少なくとも10世紀中ごろ(平安時代初期)には成立していたことは確かである。 児童書や絵本で読んだことがある方もいるだろうし、映像化作品で見た方もいるだろう。故高畑勲監督により、アニメ映画化もなされている。 『竹取物語』のあらすじを改めて書いておこう。現存する写本にはいくつかの
とある顔料の話をしよう。 メソアメリカに花開いたマヤ文明の遺跡には、素晴らしい壁画が何点も残されている。これらの遺物を語るうえで、避けて通れないのが、「青」の顔料だ。 そもそも、世界中の地域・時代において、「青」の顔料に何が使われているのか、というのは、非常に複雑な様相を見せる。 人類が初めて手にした顔料は、酸化鉄の「赤」であるというのが通説だ。日本でも最初に遺跡から出土するのは、ベンガラと呼ばれる酸化鉄を使った「赤」であり、縄文時代からみられる。 そのほか、黄
鳴釜神事とは、吉備津神社にて行われている、一風変わった神事だ。祈願したことが叶うかどうかを、釜のなる音で占う、というものである。 吉備津神社の主神は大吉備津彦命だが、この鳴釜神事で託宣を下すのは、この主神に討伐された鬼、「温羅」である。 大吉備津彦命の神話は、桃太郎伝説の原型として、最有力候補に挙がっている。温羅退治の伝説と、鳴釜神事については、吉備津神社のホームページに詳しい。ここでは神事の概略のみ記す。詳細は、下記のリンクから確認していただきたい。 鳴釜神事の
故あって、伊豆は下田に滞在している。 遊びに来たわけではないので、海水浴などしている場合ではないのだが、それでも久々の関東圏脱出である。 仲間と共に七泊八日の長逗留だ。この原稿を書いているのは、二日目の夜、安いビジネスホテルの一角だが、既に伊豆入りしてからというもの、だいぶ大量の海鮮を喰らっている。 下田の名物は金目鯛であるらしい。姿煮が2000~3000円程度なので、値段に躊躇してまだ食べられていないのだが、割り勘などして滞在中に一度は食べるつもりだ。楽しみであ
世界で最も尊い宝石は何だろう。 まず思い浮かぶのはダイヤモンドだろうか。天然に産する物質としては、地球上で最も硬い石である。 しかし、ダイヤモンド鉱山は世界各地にいくつもあり、無色透明のダイヤモンドの希少価値というのは、実際にはそこまでではない(特殊な条件下で生成される、カラーダイヤモンドであれば別だが)。 希少価値が高い宝石として有名なのは、変色性を持つアレキサンドライトや、「宝石の国」の主人公としても登場したフォスフォフィライトなどだろうか。どちらも稀有な特性を
スキタイの羊、リコポデウムなどとも呼ばれた、伝説上の植物、それがバロメッツである。主に中世ヨーロッパで想像された。 バロメッツは、黒海沿岸、中国、モンゴルなどの荒野に分布する植物である。その実からは羊が生まれる。この未は蹄まで羊毛でできており、たくさんのウールが採れる。肉はカニの味がするという。 この奇怪なる植物、バロメッツについて、我らが南方熊楠先生が触れておられるので引用してみよう。 さて、いくつか補足しよう。 『旧唐書』の「払菻国」は、唐の時代に使われた
考古学が発展する以前、発見される打製石器・磨製石器は、雷石・雷斧などと呼ばれ、雷によってできた石であると考えられていた。 この説明は、文化圏に関わりなく、様々な地域でなされている。 石器と雷が結び付けられたのは、ある意味では必然的なものであった。 雷と雨は、しばしば同時に発生する気象現象である。激しい雷雨が降ると、地表面の土砂が洗い流され、今まで土の中にあった遺物が露出する。 その結果、雷のあとには、見慣れない石器が見つかるのである。 なお、日本では、石器を「
ご存じの通り「エデンの園」とは、『旧約聖書』「創世記」に見られる楽園である。神によってつくられた最初の人間、アダムとイヴは当初、この楽園に住んでいた。この場所でふたりは、老いることもなければ死ぬこともない平和な生活を謳歌していた。 失楽園に至るまでの経緯は、あまりにも有名であるので割愛するが、この「エデンの園」が、実際の地理の中でどこに当てはまるのか、という問題が、長らく議論されている。 現状、多く流布している説は、チグリス川とユーフラテス川の源流、ザクロス山脈付近