モンテーニュ、ユゴー、サルトル
人生は短い。
僕は後、何年生きられるのだろうか?
そんなに長くはないような気がする。
気持ちだけが先走ろうとする。
モンテーニュの「エセー」を読み始めてから、困ったことに、「レ・ミゼラブル」と「存在と無」も読みたいと思うようになってしまった。
モラリスト、ロマン主義、実存主義。
フランスの文学と哲学に立てられた金字塔。
人生の全てを描こうとした企て。人間存在の光も影も。
コロナウイルス感染症の影響で、カミュの「ペスト」を読んだことから始まったフランス熱。
アラフィフおやじには、ちと荷が重いか?
でもいいや、いけるとこまでいこう。「レ・ミゼラブル」と「存在と無」は、有名だけど誰も読破したことがない伝説な本。「存在と無」の副読本には竹内芳郎先生の「サルトル哲学序説」を。
僕の哲学の師匠、木田元先生は、あるとき仰った。「僕はハイデガーの哲学を研究してきたけど、自分の人生を死を引き受けながら生きることなんか、到底できやしない。サルトルの哲学くらいが、本当はちょうどいいんだ。」
今の時代にサルトルなんか読むやつはいまい。
でも、実存主義者の僕には、今もサルトルは熱いんだ。
なぜなら、人は自由の刑に処せられながら、実存を本質に先立たせつつ生きているから。
ユゴーはどうだろう。「レ・ミゼラブル」のタイトルを聞いたことがある人はいっぱいいるだろうけど、最初から最後まで読んだことがある人って、どれくらいいるんだろうか?気合い入れて読んでみるべ。
本は同時に10冊読めって言うしね。
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