読書録2024年7月

金原ひとみ『蛇にピアス』

 「暗い世界で身を燃やしたい」少女・ルイ、スプリットタンの青年・アマ、刺青彫り師のシバ。アンダーグラウンドで生きる者たちの小説。
 ルイが自らアンダーグラウンドを選んで生きている様が良かった。観念的に殺される想像に酔いしれながらも、実際の殺人事件には恐怖するルイの不安定さが、若者らしい感性を捉えていると感じた。表現の次元では、アマの死後ルイの精神が不安定になるのと並行して、三名の匿名性が剥がれていく様が好みだった。

松本徹『三島由紀夫の生と死』

 三島由紀夫の「作家」としての生涯を通史的に書く一冊。戦時下における「死を覚悟しての青春」が三島の作家人生を大きく規定するとした上で、各時期における三島の作品の位置付けがなされている。また、三島は「書くことが自分の在り方を決める」作家だともされている。
 『金閣寺』を書くことで「感性の氾濫による」創作の時期を終え、以後は文体を改造して時代を描くことに注意を向けたという整理は腑に落ちた。特に自分は『豊饒の海』を「世界文学」としたり、三島がなぜ「世界文学」を描くことになったのかいまいちピンときていないところがあったので、自己の内面から、同時代の社会状況、やがては自己を取り巻く世界そのものへと視野を拡大していったのだと考えれば納得できるように思った。

泡坂妻夫『しあわせの書 迷探偵ヨギガンジーの心霊術』

 教祖の後継者問題で揺れる宗教法人「惟霊会」。死んだはずの惟霊会信者たちが相次いで目撃されが、謎解き役のガンジーたちは、小冊子「しあわせの書」を軸にことの真相に迫っていく・・・というミステリ。
 叙述トリックにすっかり騙され、面白かったなぁと感激していたら、この本に隠されていた企みにも気づいて仰天した。これは超絶技巧だ。
 泡坂妻夫は本当に幸薄い美人が好きだなぁとも思った。

鈴木大介『ネット右翼になった父』

 「ネット右翼」的な言説を唱え晩節を汚した父を媒介に、インターネットを通じて過激な排他的思考が老人を取り込んでいく社会問題を扱う書・・・と思いきや、むしろいかに父がネット右翼ではなかったかを検証する本だった。著者がいかに父のネット右翼的な発言の断片から父をネット右翼の型にはめていたかを明らかにし、父とのコミュニケーション不足と自身の偏見に向き合い、最後は亡き父と和解する。亡き父のことを理解できた喜びと、生前にそれを果たせなかった悲しみが胸に迫る本だった。映画『永い言い訳』を思い出した。

三島由紀夫『午後の曳航』

 自分を「天才」と信じる13歳の少年と、空想的世界を捨てて現実を歩み始める船乗り男を描く小説。
 少年のぱんぱんに膨れ上がった自意識が良かった。船乗りが序盤では深みのある内面世界を他者に開示できず、理解もされない様を描きながら、後半ではそうした内面世界を捨ててありきたりな現実を生きるようになり、最後は少年たちに罰される筋書きが大変鮮やかだった。「誰も知るように、栄光の味は苦い」という最後の一文が皮肉に富んでいるのも良い。

筒井康隆『おれに関する噂』

 筒井康隆の短編集。理不尽な結末を迎える小説が多いように思う。印象に残ったのは、未知の共同体に参画する恐怖を描いている「熊の木本線」と、戦争は他人事で、自分は日本人だと言えば免責されると思い込んでいる日本人を皮肉った「通いの軍隊」のふたつ。

薮本勝治『吾妻鏡 鎌倉幕府「正史」の虚実』

 鎌倉幕府第9代執権・北条貞時の時代に編纂された『吾妻鏡』。『吾妻鏡』の歴史叙述を丹念に追い、そこに貫かれる歴史観や、編者の思惑などを文学研究のように抽出する書。得宗家の歴史的正統性を裏付けるべく『吾妻鏡』は編纂されたという視点から読解が施されている。
 とりわけ面白かったのは、第六章で実朝暗殺時の北条義時について触れている部分。ここでは、義時が実朝の右大臣就任の拝賀の儀を、「白犬」を傍に見て体調不良となり欠席したと叙述することで、身分の低い義時が拝賀の儀に参列できなかったという不名誉を隠蔽し、義時は神仏に守られたのだとその正統性を示し、将軍を守れなかった北条家の責任を有耶無耶にしていると論述されている。『吾妻鏡』はかくも巧みに創作されているのだとわかり大変面白かった。

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