読書録 2023年11月

佐藤春夫『田園の憂鬱』

 田園に引っ越してきた芸術家青年の、自然との触れ合いと憂鬱が描かれる小説。青年の目に映る精緻な自然描写が美しい。活き活きとした犬との交流も楽しい。逆に虫に襲われたりする不快感も鮮明。
 敏感な青年の満たされなさに共感しつつも、そんな態度でいたら近隣住民から白い目で見られるわ...とも思う。

泡坂妻夫『乱れからくり』

 からくりに纏わる蘊蓄がふんだんに盛り込まれたミステリ。本来なら五感を通して楽しむからくりの魅力を文章だけで表現していてすごい。からくり職人の歴史にも触れられていて、サービス精神大勢な小説。ミステリを読んでいて永井柳太郎の名前を見ることになるとは思わなかった。
 『米澤屋書店』で紹介されていたので、本作がディレッタンティズム溢れる作品であることは知っていたのだけれど、これだけ人がバタバタ死んでいくとは予想外だった。これもある種の読者へのサービスなのだろうけれど、殺人の種がシンプルだった点は少し物足りなさを感じる。

小川哲『ユートロニカのこちら側』

 生活上の五感から得られる情報を「情報銀行」へ売り渡すことができる近未来で、あらゆる情報を提供する代わりに労働をせず「自由」に暮らせる「アガスティアリゾート」が作られる。リゾートを巡る中編が六篇、クロノロジカルに描かている。
 SFではお馴染みの監視社会?モノだが、監視の主体が大企業で、情報が資本主義的に利用される点が現代的。先行世代の批判的継承を人間の本質と捉えているような印象を受けた。
 終章は「自由」をめぐって駆け足ででまとめに入っていくように感じたので、前半の章の方が好み。「理屈湖の畔で」にあったアレントの「仕事」のくだりをはじめとして、軽妙なユーモアが楽しかった。

東浩紀『動物化するポストモダン オタクから見た日本社会』

 東の名を世に知らしめた、アニメ批評の基本書の一冊。読もう読もうと思って随分時間が経ってしまった。
 著者はまず、敗戦による文化の断絶とアメリカ型消費社会の受容の後、日本は「近代」が断絶したが故にポストモダンの到来時には世界の最先端に位置するというナルシズムの上に現代のオタク的文化は存在するとした上で、オタク的文化の分析を通じて現代日本(2001年現在)の世相を読もうと試みる。現代は「大きな物語」が喪失した時代であり、人々はシュミラークル(同じ情報の表現型)の奥にある大きな非物語(データベース)を消費するようになっていると指摘する。そして、人々は小さな物語と大きな非物語のという一見矛盾する両者の消費を共存させ、動物的な「欲求」(≠欲望)を有しているしていると論ずる。
 小さな物語の消費が孤独な営みであるという指摘は、2023年現在では首肯できないとは思うけれど、それ以外の点は面白く読んだ。特にシュミラークルの再生産とデータベース的な消費行動という本書の骨子は、「萌え」に留まらず昨今の「推し」文化に至るまで益々盛んに行われているように思える。

東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2』

 2007年に出版された『動ポモ』の続編。データベース消費をはじめとするポストモダン論を軸とし、オタク的文化、特にキャラクター小説(ノベルゲー含む)を日本文学として読む方法を探っている。キャラクター小説は、データベース消費が蔓延する状況を逆手に取り(作者にその意図があるかどうかを問わず)、自然主義的な方法とは異なる形でキャラクターに「血を流」(大塚英志)させることで人間描写のリアリティを追求していると説かれる。現代においては自然主義文学よりもキャラクター小説の方が現実を描く上でコスパが良いという指摘は面白かった。
 そうした上で、物語の構造や設定のメタ的に読む態度によって、キャラクター小説を読む方法が提示され、具体例が提示されている。こうした読み方はまさに「批評」であって、本書がアニメ批評の入門書のように扱われることに納得できた。
 本旨からは外れるが、序盤の文学史云々のくだりは、自分が「純文学」という括りに感じる違和感を言語化することに役立ちそう。昨今の芥川賞周辺の小説に求められてるのってジャーナリスティックな作品だよなぁと思った。 

筒井康隆『最後の喫煙者 自選ドタバタ傑作集』(新潮文庫)

 筒井康隆の短編集。ダークユーモアが溢れていて楽しい。「ヤマザキ」「万延元年のラグビー」は読みながら爆笑した。表題作「最後の喫煙者」は著者の不満が爆発しているのだけれど、笑いによって説教くささを中和させているので楽しく読めた。オチも好き。このラインナップに「問題外科」が入っているの怖すぎる。

三島由紀夫『絹と明察』

 近江絹糸争議を下敷きに、労働争議を描く小説。争議を内側から見る視点、受ける側から見る視点、傍観者の視点がそれぞれ描かれているが、群像劇としての完成度が非常に高いと感じる。「社員は家族」と信じて疑わない社長の駒沢と、自由と権利を所望する社員たちとの相入れなさが巧みに表現されている。争議の中心である大槻が個人的な激情を離れて集団的な当事者意識を持つに至る過程や、駒沢が自社労働者への「親ごころ」から「憤怒」へ、そして「反省」へと旋回していく様の鮮やかさが見事。
 駒沢が「家族」になった菊乃を唯一憎んでいるあたりがいかにも三島だなぁと感じる。三島の小説で若者がここまで完全勝利を成し遂げる作品は珍しい気がする。

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